迫る母との別れ
母が今年8月に末期癌の宣告をされました。
大学病院に10日ほど入院し、自宅から化学療法で通いましたが、今は再入院して2週間です。
私の父と母、主人の四人暮らし。
弟夫婦が同じ市内に住んでいます。
私は2回目の入院時もできるだけ病院に足を運び、母の痛みや辛さに寄り添っているつもりです。
同居している父は週2、3回の仕事がありますが週の半分以上は休みで特にやることもなく家でだだらだらしています。
休日の時くらい、母の様子を見に行ってほしいのですが何かのついでに家を出た時くらいしか行くことはありません。
大学病院は車で片道一時間弱です。面倒なのでしょうか。
弟夫婦は子供が一人いますが土日に必ず来てくれるわけでもなく、お嫁さんは一応、私には母の様子がどうなのかラインで聞いてくるくらいです。
母はどんなときも家族を一番に気にして心配していたのに、母がこんな状態になっても普段と変わらない表情をしている自分の身内にすごく腹が立ちます。
痛みでご飯も食べれず、いずれ来る終わりの時を待っているだけのように見えて涙が出ます。
母がいなくなったら寄り添える家族は私にはいないような気がします。
こんな家族っているのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人はそれぞ異なる人格を有し、異なる感情を有しています
私は父も母も既に故人となっています。たいした親孝行も出来ませんでした。実家から離れていたので、頻繁には見舞いに行けませんでした。仕事があると十分な時間を取るのはなかなか難しいもんでした。
末期癌の宣告を受けた時の御気持ちは辛かったとらかったと思います。残された日々の中で看病に通う気持ちも辛いでしょうけど、お母様と過ごせる残された時間を大切にしたいというお気持ちで看病に行かれて居られることと思います。お母様の病状にさわらない限り、いろんな思い出を語ったりして残された時間を有意義なものにしてください。
ご質問から、お母様を大事に思う気持ちが痛いほど伝わってきます。きっとお母様にもoak-oakさんの気持ちはしっかりと伝わっていると思います。それだけに気をつけていただきたいことがあります。「私はこれだけ頑張っている、母のために尽くしている。あなたたちは、何もしていない。何故、何もしてくれないの?」と言葉で言わなくても、そういうオーラを周囲にガンガン飛ばしているんじゃないでしょうか?
「もっと病院に行ってくれたっていいんじゃないの?看病に行く時間、あるんじゃないの?」とoak-oakさんには思えても、人其々です。其々の仕事があったり、其々の生活があったりします。自分の物差しだけで判断するのは、注意が必要です。家族とは言えども、其々持っている感情は違います。同じ感情を抱いていても、感情の表現の仕方は異なります。お母様の看病する中で「自分と同じ感情を抱き、自分と感情表現をするのが当然」という気持ちが言葉や態度に出てしまうと怖いですよ。一生懸命お母oak-oak様のためにやっていることが、あなたの「独りよがり」「自己ちゅう」と受け止められかねません。せっかく一生懸命にやっていることが「一人で突っ走っている」と受け取られたら悲しいですよね。oak-oakさん自身が苦しくなるだけです。それだけに、看病もチームプレーとなるように努めたいものです。
そうは言っても、oak-oakさんが「こうしましょう。」と言って提案したとしても、みんながその提案を受け入れ、行動してくれるとは限りません。提案して動いてくれたことには素直に「ありがとう。」と言い、動いてくれない時は「違う人間だから、しょうがない。」とおおらかに受け留めることも必要ですよ。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
ご住職の仰る通りでした。独りよがりな行動になっているのだと思います。
母のことを思えば思うほど、私の行動は威圧感でいっぱいになっていたのだと思います。
明日、先生からのお話があります。
いよいよ本当に母との時間が限られて来るのだと思います。
寄り添える時間を私なりに作って過ごしたいと思います。
少し気持ちが楽になりました。
ありがとうございました。