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なぜ、仏教では宗派間の争いが起きにくい?

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日本の仏教ならではでしょうか。はっきりとした要因があるのか興味があります。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

慈悲がすべてを保っています。

「平等」という見方、観点、想念が争いを起こさないことに繋がっていると感じます。

元を正せば、仏教は皆「お釈迦様」です。時代に秀でた僧侶が宗派を起こされた。また、秀でた僧侶が亡き後に弟子たちが、意志を引き継ぎ宗派を立ち上げたことが歴史にあります。
僧侶たちも昔は「僧兵」として、武力を行使していた時代もありました。しかし、武将たちは僧侶は僧侶のことをしっかりしておきなさいと伝え、対戦しましたが武将に負かされました時代もあります。
奈良時代(奈良県)などでは、僧侶が勢力を高め、政治を司るほどに権力を持っていた時代もありましたが、そんなことから奈良から平安京(京都)へ都を移され、平安時代が始まりました。

過去を追うと、色々と宗派に僧侶もブツかり合った時期はありました。

お釈迦様の時代の仏教は「初期仏教」であり、私たち日本で行っている仏の教えは北伝仏教の流れにて、インド(西ネパール含む)から中国(シルクロード)から韓国(百済)から、日本に538年(大乗仏教)に渡来しました。

仏教の根本は「慈悲」です。
この慈悲こそが争わない原因であると現在は思います。しかし、僧侶は悟りを開いた者ではなく、イチ煩悩を待ち合わせた僧侶であり、覚りを開きたい、仏の教えを請いたい思いから、日々人生を修行と思い精進しているのです。

お釈迦様は晩年「法鏡」と言いました。
※仏教を学ぶということは自己を学ぶこと。

お釈迦様は他人のしたことは見ず、自身の行ったことと、しなかったことだけを見なさいと言っています。

説明の流れが適切ではないですが、私自身一人の僧侶としての見解は「慈悲」が答えになります。ご参考までに。

-あとがき-
コンビニで例えれば、ローソンとセブンイレブンは売り上げなどを競いあっても、対立や争いは起こらないのと変わらないこととも感じます。売ってる商品はオリジナルを避ければ、ほぼ同じ商品であり、仏教も同じく教えは基本お釈迦様であり、各宗派のオリジナルの教えが盛り込んでいるくらいと思います。

合掌

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はじめて投稿させていただきます。 とある梵字が分からず苦慮しており、どなたか教えていただくことはできますでしょうか。(教理上の理由で回答が難しい場合には、そのように仰っていただければと思います。密教に関することで在家が伺って問題ないことと、伺うこと自体が失礼なことの境目が分かっておらず、もし失礼でしたら申し訳ありません) 空海筆『秘蔵宝鑰』冒頭部分にて「麼吒の恵眼は無明の昏夜を破し、日月の定光、有智の薩埵を現ず」という一文があります。吒は日の種子、麼は月の種子を表して密教行者は修行の際にこれを左右の目において修行すると辞典や註釈にあるのですが、吒の字が一体どの悉曇文字であるかが分からず困っています。 とある注釈書には「慢」を表す字義の文字が、とある辞書には字義「住處」の文字が、『青龍寺儀軌』にはまた別の文字(判別できませんでした)が書かれてあり、同じ「タ(もしくはダ?)」をふりがなとする悉曇文字の中で何が相当するものなのかの解釈が文献によってバラバラのように見受けられます。おそらく悉曇文字が音写された漢字が時代と人によって変遷しているのかもしれませんが、結局のところこの修行を行う際に観想する「麼吒」の吒の字はどれに当たるのか、もし可能でしたら教えていただくことはできますでしょうか。 また、そもそも種子に字義解釈と相応する仏尊があることは知っていましたが、月の種子とか日の種子とかいうのはどういう分類法から生まれた解釈なのでしょうか…この辺りの思想がもしわかる文献があれば教えていただけないでしょうか。 大変申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。

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