自殺がだめな理由を神様の視点から
私はうつ病で会社をクビになり、現在治療を受けています。
気分の浮き沈みが激しく浮いて時に看護士になろうと思い立ち勉強してまずは一校受験したのですが前期後期共に不合格その時本気で自殺しようと考え遺書もかきましたができませんでした。人生結果が全てだという考え方で育ち自分の納得できない結果なら潔く死ぬべきだと考えて生きてきました。来月も受験があり自分は他の受験者を食らい潰すつもりで受験しますがふと不合格なら自殺だと考えてしまいます。もし自殺したらどうなるのでしょうか?お坊さん、神様目線から教えて下さい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
神様の目線
まわりに助けを求められる人はいませんか?
詳しい状況はわかりませんが、単純にうつが理由で解雇なら、こういう可能性もあるようです。
https://hataraquest.com/depression-fired
さて、ご質問の件ですが、
自殺はそのことを考えたときから、地獄にもう入っていて、
もしそのまま死んでしまい、古来言うようにそこからそれが固定されて続いてしまうとやばくないですか?
そして、神様は一つの物差しで人間の人生を測っていないと、感じます。
いくつもいくつもの、たくさんの物差しを知っていくのが人生だとみてくれているのではないでしょうか。
その道に入れば、あなたの今のどんな経験も、きっと将来人の役に立ちます。
調子の良い時は勝ちに行く。
調子の悪い時は逃げる中での最善を探る。
そういうしたたかさがないと、調子の良い時はいいのですが、
調子の悪い時には簡単に折れます。
人生には堅くなるほうがよいときと
やわらかくなるほうがよいときがあると思います。
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以上は、自分で自分に言い聞かせてもいるんですが、
あなたはこれまでの、とてもとても厳しい考え方を捨てなければいけないと半ば受け入れつつあるように感じられました。
そして、文面からそんなご自身のことを客観的にみれてるようにも思いました。
今までは、それはそれで一面有益な考え方だったのでしょうが、あなたが心底、魂から納得できる考え方ではなかったのではないでしょうか。
あなた自身がその考え方に、とうとう悲鳴をあげてるのでは?と思いました。
いろいろ心が収まらない時だと思いますが、どうかまずはご自愛ください。
もう一度受験をするというあなたの決定を止めはしませんが、残念ながら、次戦うためには、あなたの心身はあなたが思う以上に、本当に本当に休息を必要としているのではないですか?
たっぷり休憩したら、次はどんな状況でも生き抜ける(息抜ける)したたかさを目指してみませんか?
ちなみに僕ももともと結果主義で苦しんで、大嫌いです。
でも現実無視はできませんから距離をとって、みんなの競争の集中しない方へしない方へとシフトして、努力はみんなのしないところでしてます。
怒りの煩悩
自殺する場合、「もう嫌だ」「生きていたくない」という、生きることに対する怒り、自分の現状への怒りがあるのではないでしょうか?
仏教では、怒りの煩悩は悩み苦しみの原因、つまりは悪の心だと考えます。
自殺すること自体よりも、死にたいと思うような怒りが悪なのです。
仮に受験に失敗しても、笑顔で幸せに暮らせるような柔軟な心だったら、自殺の必要がありませんからね。
とはいえ、自殺願望は「うつ」の症状かもしれませんので、まずは治療が大事ですね。
さて、浄土宗では、南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えれば極楽浄土に往生できると言われます。
仮に自殺したとしても、南無阿弥陀仏と念仏すれば、阿弥陀仏が迎えに来てくださいます。
自殺を勧めるわけではありませんが、念仏していれば自殺しても極楽浄土に往生できます。
南無阿弥陀仏で人生のハッピーエンドは確定。
そう思ったら、慌てて自殺する必要もなくなります。
死ぬまで生きれば良いだけ。
人生って、意外とチョロいものです。
適当で良いのです。
いのち
先人は、『いのち』という言葉に『命』という字をあてました。
『命』は「口」と「令」の合字で、天子の令を人民に伝え、其の令に従わしむること。『みことのり』とも言います。
ですから、天から(神様から)下されたものが『いのち』です。
では、その『いのち』は「何をせよ」と告げられているのでしょうか?
端的に言いますと、「死ぬまで生きろ」です。
私達は自分の意思で生きていると思っていますが、本当にそうでしょうか?
生きることが嫌になり「死にたい」という人がいます。
生きていることが全て自分の意思であるならば、「死にたい」と強く念ずることで心臓を止めることができるはずです。
しかし、実際にはできません。
「精神」とは別に「肉体」が勝手に生き続けようとするからです。
神様のお告げ通り「死ぬまで生きよう」と懸命になっている「肉体」を、「精神」のワガママで勝手に殺していいはずがありません。
だから『自殺』と言うのです。
生きづらい世の中をどのように捉え、どのように生きるか?
宗教、信仰とは、その思想哲学の実践です。