ある人に言われた言葉の意味を知りたい
職場の年上の人に、「◯◯さんは諸行無常だね」と言われました。会話の中でではなく突然言われました。どういう意味なのかその人に直接聞くことはできませんでした。良い意味なのか悪い意味なのか、何かに気づくようヒントをくれたのかいくら考えてもわかりません。この言葉をどのように解釈したら良いでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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知ったかぶり
"「◯◯さんは諸行無常だね」"
【諸行無常】とは、簡単にいえば、物事は常に変化し移ろいゆくものである、変化しないものはないんだという意味です。ありとあらゆる事物の有様の話ですから、ある人は諸行無常だけど、ある人は諸行無常ではないという事はあえません。よって、「◯◯さんは」などと誰かを限定的に指して言う言葉ではありません。
件の職場の年上の人は、あなたの事を誉めたかったのか貶したかったのかは皆目検討も尽きませんが、いわゆる知ったかぶりというやつでしょうね。ちょっと恥ずかしいかも。。。
もし、また「◯◯さんは諸行無常だね」と言われた時は「おまえもなー」と言ってやっても理屈の上では何ら問題はないのですが、相手は年長者ですし、角が立ってもつまらんのでやめておきましょうね。
諸行無常の真意
●▼■
①人間は思ったことを口にするものです。
すべての人は思ったことを口にしているだけです。相手があっても無くてもただ本人が思ったことを口にしているだけなので、別にこちらがすべて取り上げる必要はないものと心得ましょう。
まぁ、推測しますとひとところにとどまっていないとか、容姿がよく変るとか、前のことをとどめていないとか、成長や変化が速いという風に受け止めればよいでしょう。
その人の言葉の使い方がどうであるかは、その人の人間性や感性によるものです。ですが、諸行無常という言葉の意味や真意を会得することで良いも悪いも吹き飛んでしまうことでしょう。
世間一般的な仏教書の説くところの諸行無常というものはその内容をキチンと説いていないものが9割方であると個人的には感じております。
お釈迦さまは救いの内容として説かれているのに、後世の学者や主観の強い人たちがもののあわれ的に説いたり、感傷的・ネガティブな意味を添えているものが多く、教科書や辞書でも単なる物理・道理的に説くものが多いです。
ものが変化するということなんぞは小学生の理科でも習うでしょう。そんなことを説いたものが仏教であるというのならば崇められるものとは言えません。
たとえ仏教について解説している仏教書であっても、仏法をきちんと会得していない人が書いた仏教書は「頭で考えた仏教」なのでその内容は確かなものとは言えません。
諸行無常とは、人間が持ち合わせている最高の救いの働きを説いた教えであり、自己の身心に映し出される一切のことの❝現われ❞が❝ある法則❞を持っているということを示すものです。
あなたが言われたその言葉も、もうどこにも表れていません。
文の冒頭に掲げた●▼■もここに同じものが記されていますが、上のものとは別もなのです。
川も同じ場所に行ってもその水は元のものではないと説かれますように、自己の身心に映し出される一切のもの・ことがどれ一つとってもなに一つとっても、まるで別物です。とどめておけないということは、思考の及ぶ世界ではないということです。今体感しているすべての音も景色もテレビの映像もすべてがすでに前のものではないでしょう。
常に新たに来たっているようでありながら、一方で去っているようにも見えます。来る、去るという人間の眺めや理屈も離れている身の上に起こりっぱなしの現れっぱなしの事実に目を向けてみましょう。
なんとも取りにくいですね。
確かに意味不明ですね。
諸行無常は万物がそうだし、
その意味は、そべてのものごとは、
くっついたりばらばらになったりしながら、変化していくという
仏教の説く真理、悟った人目線ですねえ。
多分、あなたは職場で感情をおもてにあまりださないひとなのかな?
だから悠然として、あまり動揺しない人ですね、飄々としていますね、
という意味かなあ
その人の気持ち的には、
そんな動じなさそうなあなたが羨ましいし、
もっとぐいっと心理的な意味で近づいてきてくれてもいいのにな
ってのもあるかもしれませんね。
それか、ただの感想であって特に気持ちはないのか。
よく分かりませんねえ。
無常「観」と無常「感」
根無し草さん、こんにちは。
「◯◯さんは諸行無常だね」といわれたのですね。
その上司の仏教知識・信仰観、そしてその言葉が発せられたシチュエーションがわからないので、ポジティブなのかネガティブなのかわかりません。
お釈迦様の宇宙の法則・真理を、「諸行無常(世の中は変化している)」「諸法無我(世の中は関係している)」で、悟られました。この法則を、踏まえて積極的に生きていくことが正しい生き方であるというのがお釈迦様の教えの根幹となっています。これを「無常観」といいます。
ただし、日本では平家物語の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」の名文句通り、幸せが続かない変化することの悲しさを嘆いた語句として使っています。これは「無常感」といって「無常観」とはまったく逆の見方になります。
もし上司がそのことを知っていて、あなたの積極的な生き方を見て「あなたは諸行無常のような人だ。いろんな変化する困難も受け止めて生きている」と褒めているのであれば最高の褒め言葉でしょう。でも普通は「諸行無常のような人だ。いろんな変化に振り回されて苦しんでいる」と批判している場合が多いのかも知れません。
あなたの生き方がポジティブであれば「無常観」として、上司の言葉を受け止めて、人生を楽しく生きていきましょう。合掌
馬耳東風と間違えたのでは?
私も転落院さんと同意見で知ったかぶりして、誤用したんだと思いますね。人の意見をあまり聞かない、独立独歩のあなたを「諸行無常だね。」と言ってしまったのかと思います。それをいうなら、「馬耳東風だね。」のはず。馬耳東風は「人の意見や批評を全く気にかけないで聞き流すこと」です。
質問者からのお礼
回答読ませていただきました。
諸行無常の意味を調べてみてもどんな意図で言われたのかがどうしてもわからず数年が経ちます。
特に意味はなかったのか、回答のようにわたしの感情が読めず飄々として見えたからなのか。
ずっと心の中でひっかかっていたので、ここで質問をして回答をいただくことができたことが嬉しいです。ありがとうございました。
転落院さま 回答ありがとうございます。読ませていただきなるほどと思いました。
わたしの行動や態度に問題があって、それを遠回しに指摘されたのだろうかと、正直なところ悪い意味なのかもという気持ちが強かったためずっと気になっていました。お言葉をもらい、あまり深く考えたり気にするのはもうしなくていいかなという気持ちになりました。
ありがとうございました。