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生きる意味を知りたいです。

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有り難し有り難し 18

生きる意味を見失っいます。
私は虐待を受け育ってきました。父親からの暴力、暴言、包丁で刺されたこともあります。父親はアル中で母親にも暴力をふるい入院したことも何度かあります。
最近まではこの状態が普通じゃないと理解すること難しかったように思います。
中学時代は父親に復讐を誓いました。どれだけ否定されようとこいつより社会的位置も収入も超えてやる、それだけで勉強を頑張りました。もちろん勉強の参考書に水をかけるような邪魔、学年で1位取ろうが褒められることもなく馬鹿にされ続けました。らが、その結果大学に行き、希望の業界に入社3年目になる時には会社での成績も上位、父親の収入2倍以上、社会的地位も超えたと、目標を達成出来たと自身の中で満足してしまったように思います。
その時から人生全ての目標を失い、自分は何のために生きてるのか分からなくなり鬱病が発病しました。薬で抑えても外に出ることも出来なくなり、自分の役目が終わったと希死念慮も出ました。会社も自主退職しました。
とにかく認められたかったという思い、そして今にして思えばずっと精神的に支配されてると思います、進行形で。
それから虐待を受け同じような経験を持つ女性と出会い付き合うことになり一緒に治療していきませんかという提案を受けそれに乗りました。治療に関しては過去の記憶を一つ一つ思い出して書き換えるというもので半年かけてやり切りました。
その間、トラウマを思い出して感情のコントロールも出来なくなったり父親から包丁で突きつけられ彼女が警察に通報し父親が殺人未遂で捕まり接見禁止になりました。
その後彼女からは鬱を原因に別れを切り出され私は拒絶されたように感じ周りに味方がいないように感じどんどん落ちていきました。
今はそれから数年が経ち業界大手に転職も果たしました。ですが生きる目標が分からない。ただただ死なないように生きているだけ。人は死という絶対的未来に進んでいくのに対しそこに意味を見出そうとする事で生きているように思います。意味を見出せなくなった時点で魂的には死んでるのだと。
生きることは修行であり魂を磨く為に輪廻転生を繰り返す等、宗教によって様々な捉え方はあると思います。
ほとんどの宗教でも大前提で自殺する事は悪である。しかし人によればこれは救済ではないのか?とにかく生きるとは何か本質を知りたいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生死を明らめる ❝自己の宝蔵が開かれ受用如意❞になること

壮絶な人生を歩んでこられたのですね。今日まで生きてくれていてありがとうございました。
生きる事、死ぬことの「意義・真意」を仏道を求めることで必ず明らかになるでしょう。
「仏道をならうというは自己をならうなり。」(道元禅師)
この世の真理・真実を求めれば必ずたどり着くところがある。
古来より求道者が仏門を叩いたのは単なる出家や隠遁ではありません。人生における一大事を明らめるためです。菩提心を高く持てば持つ程に妥協を許さなくなる。菩提心・求道心が低ければそこそこのもので十分でしょう。ところが生き死にに関わるような本当の深い悩みにはベタな坊さんの生ぬるい言葉に救いはなかった。そんなものでは満足などするものではない。
必ず本物❝正師❞を求めるようになる。
正しい教え。手ごたえのある教え。
真の指導者、導師「正師」とは「そこ」へ導く方です。
自己は自己意識を忘じ去って仏法と言われて伝承されてきたことを明らかにすることで決着が着きます。
人間はこの自己というものを知らないから手ごたえが無いのです。
人の書いた本や教えの文言には答えはない。
その言葉が差し示すところの実物を会得して初めて明らかになるのです。
私自身も生きることの意義を学生時代からずっと求めて心理学や哲学にも求めてきましたが、手ごたえのある答えは得られず、仏法を明らかにされた方との出会いによって解決がつきました。知識というものはネットでもいくらでも手にはいる。ところが、自分が自分に目を向けることはそれを本人が本当にやらない限りは手に入らない。
何故この世に仏道というものがあるのか。それはこの自己を明らめて、自己の真相を知るためにこそあるのです。
仏教を学ぶということは実は仏教を学ぶのではないのです。
この自分自身、自己の本来の姿を求め、見極め、見定めて明らかにすることなのです。お釈迦様自身に仏教という言葉はありません。自分自身がすべての心理的な持ち物を手放して心において為すことを無くあらしめることによって禅定という人間の見解を越えた心が開かれるのです。
そこには「解釈」はありません。
あるのは絶対的な真実と確かな手ごたえです。
仏教にはそれがあるから重宝される。
解釈というものは人によって解釈が変ってしまうものですから真実にはならない。仏道の決着とは解釈を超えた万人の共通の真実。
真剣に求めることで決着が着きます。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

仏教を学んで悟りを目指してみませんか

難しく考える必要はありません。
幸せに生きて幸せに死んでいくのと、
不幸せに生きて不幸せな気分のまま死んでいくのと、どちらがハッピーかという話です。
お坊さんの多くは、人々に幸せになってもらいたいのです。
自殺願望は「うつ」の症状でしょう。
生命の本能としては、まだ生きたい。
仏教的な観点から言えば、「もう充分に生きた!大満足!ごちそうさま!」みたいな気持ちで死ぬのが理想です。
「うつ」の症状による自殺願望は、「生きることに満足した」わけではないのです。
仏教は、生きることに満足して(煩悩がなくなり)、生きものであることから卒業する(輪廻転生から解脱する)ことを目指しています。
いわゆる「成仏」ですね。
あなたが、仏教的な考え方に賛同するかどうかはわかりませんが、
私は、お坊さんとしてはそのように考えます。
新しい生きる目的として、仏教を学んで悟りを目指してみませんか?

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

丹下覚元様
コメントして頂き誠にありがとうございます。仰る通り書籍やネット、他者の意見を聞いても自分とは違う見聞、経験を持っており自己で探究し学び続けるしか無いように思います。少し心が軽くなりました。貴重な意見ありがとうございました。

願誉浄史様
コメント誠にありがとうございます。
生きると言う事の意味、輪廻転生の解脱には非常に興味があります。かく言う私は幼児洗礼のキリスト教で簡単に言うと信じる者は救われるという教えの元、生きてきました。しかしそこに意味は見出せなく教会にも10年以上行っておりません。
動物を見ていて思うことがあります。彼らは生きる為に生きてるのだと。人間は差異はあるものの思考という能力があり追求することが出来る。宇宙という点で考えればこの時間など些細な物でしかなく意味のないことなのかもしれない。ですがだからこそ興味があります。
仏教を学ぶにはどのようにすればいいですか。

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