等身大と期待値のギャップ
初めて相談させていただきます。長くなってしまうのですが、宜しくお願いします。
私は幼い頃から、周囲に必要以上に期待されて育ちました。中学受験のあたりから、その期待に自分の思うように応えることが出来なくなりました。
そうなってくると、期待値を達成できないことに対して両親に怒られました。目の前で盛大なため息をつかれたり、他の子と比較したり、いないところで『どうしてこんな子に育ったんだ…』と言われていたことも覚えています。
高校生になる頃には自分より出来る人や敵わないと感じる人々に出会い、すっかり自信を無くしてしまいました。勿論、両親の態度は変わらずです。
現在私は大学に進学し、不自由なく勉学に励むことの出来る環境に感謝しています。
コンクールやオーディションに片っ端から落ちたり、想いを告げる前に失恋したりという苦い思いもしていますが、時には逃避しつつも現実と向き合いながら等身大の自分を受け入れるべく一歩ずつ前に進んでいます。
しかし、『あの頃もっと頑張っていたら、あなたはもっと上の大学に確実に入れたのに』など、期待されていたことを掘り返されます。
私のことを思い、期待して言っていることも沢山あるので、全てを否定出来ません。
期待されることって素敵なことだし、嬉しいことでもありますよね。自分の出来る最大の範囲で頑張りたいとも思います。
しかし、もう終わったことで期待外れだったことを掘り返さないで欲しいというのが正直な気持ちです。また、両親には高過ぎる期待を押し付けて、応えきれないというギャップに対して怒らないで欲しいのです。私はその時その時出来ることをしているつもりなので、その度に自信を無くしてしまいます。
まとめますと、相談内容は以下の通りです
・両親に等身大を受け入れてもらいたい
・他の人の期待や言葉に振り回されず、自信を持って毎日を過ごしたい
お坊さんの皆様、宜しくお願いします。
またお忙しい中、この相談内容を読んで下さりありがとうございます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
評価せず、出来る範囲でいい。
伏見 様 相談ありがとうございます。
・両親に等身大を受け入れてもらいたい
・他の人の期待や言葉に振り回されず、自信を持って毎日を過ごしたい
等身大を受け入れる、とは何か?
おそらく、人間は不完全で、強さと弱さ同時に兼ね備えているという事を評価してもらうことですね。そうすると大きな期待に完全に答えることを求められても応える必要がないことになります。最大であろうと最小であろうと、貴女が言う通り、出来る範囲で頑張ればよいのです。受け入れてもらおうと思わず、ひたすら自分の道を進めばよいのではと思います。
確かに「両親を喜ばせたい、期待に応えたい、受け入れてほしい、ほめられたい」気持ちはわかりますが、それが他人依存を産む心の癖となります。
褒められようと、あきれられようと、自分の道をコツコツ歩んでください。
貴女はもうそれが出来るのではないですか?
そのうえで、自分に自信を持ちたいと思うのですから、まず自分に思いやりを向けてください。他人と比較することもなく、
「自分は心を落ち着けていい」「自分に優しくしていい」「自分は幸せに向かっていい」の言葉を自分に向けてください。そして、自分の出来る範囲の出来る事に感謝と喜びを感じながら、日々積み重ねてください。
「期待されるって素敵なこと」もいいけど、「自分で自分に感謝と喜びを感じていくこと」の方が将来、とても大きく伸びるんじゃないかな!!
そして、評価せず、自分の人生をありのままにうけいれるようになれたら、とても充実したことになるのではないでしょうか!!
自分の人生は自分が主人公なのだから。
参考までに。
お読みいただきありがとうございました。
一礼
期待の荷を下ろす
伏見さん、はじめまして。質問を拝読しました。
伏見さんは、ご両親に必要以上の期待をかけられて育ってきたのですね。でも、伏見さんがご両親の期待に答えられないことが分かってきても、ご両親には認めてもらえないと感じるのですね。
確かにご両親の期待に応えて華々しい人生を送ることは、素敵なことだと思います。
しかし、もう終わったことで期待外れだったことを掘り返しても意味のないことです。
空海も「本当に知恵のある者は、一見愚か者のように見える」と言いました。賢者は知識をひけらかすことなく、余計なことを口にせず、目の前のことさえ忘れているかのように無心でいるからです。
伏見さんは「時には逃避しつつも現実と向き合いながら等身大の自分を受け入れるべく一歩ずつ前に進んでいる」と書いておられるので、ご両親から少しずつ自立しているのでしょう。
愚か者のように見える賢者は、私は素敵な生き方だと思います。等身大の自分を受け入れることができるのはご両親ではなく、伏見さん自身です。
伏見さんが自信を持って一歩ずつ歩いて行くことができることを祈念しております。
質問者からのお礼
お礼が遅くなってしまいましたが、とてもありがたいお言葉を頂けたこと、大変嬉しく思います。頂いたお言葉を見返しながら、数ヶ月経った今を生活しています。
本当にありがとうございました。