死を具体的に感じて怖くなりました
40を迎えて人生折り返しを過ぎ、死を具体的に感じるようになって怖くてたまらなくなってしまいました。
全てのものはいつか滅びてしまう、今のこの世界が有限でいつか終わってしまう寂しさ、悲しさ、恐怖
この前まで楽しみと喜びばかりだった我が子の遊んだり笑ったりする姿も辛く悲しく思ってしまいます。
日々の食事も自分の口にしているものが生き物の命をいただいているという事を実感してしまい恐ろしくて悲しくてたまりません。
これから終わりまでに満足な人生であったと自分自身が思えるように生きたいと思うものの自分が何をしたいのか、何をすべきなのかもわからず、全てが無意味に感じてつらいです。
娯楽も生活も仕事も何もかもが、今こんなことをして時間を浪費している場合ではないのでは、という焦りでいっぱいになってしまい手につきません。
パニックのようになってしまい、睡眠障害、摂食障害、不安と恐怖に苛まれて身体が動かないなど心身に影響が出てしまい、先日から精神科に行き始めました。
こうしている間にも全ては死に向かっているのにどうすれば穏やかに生活して人生の終わりに向かって生きていけるのかわかりません。
長くなりましたがお返事は急ぎません。
何卒ご助言などいただけましたら幸いです。
怠惰なところが大いにあります
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
日々を自分らしく
初めまして、お早う御座います。
心からの不安の叫びを受け取り致しました。私も、様々な試練が次々と襲い掛かり不安になったりした事が御座いました。良く、人生は長い冒険旅行・・と言っております。綺麗な風景の中や、穏やかな波の風景もあれば、急変して荒れた海や岩山を上らなくてはならない試練・・そして、その先に穏やかな景色が待っている・・。
人の命は沢山のものに繋がっています。父や母、そのまた父や母・・と何代ものご先祖様と繋がり、想いや願いがこの身体に込められて今を活かされているのです。
命あるものは必ず全て、終わりがあります。ですが、死んだら人は終わり・・ではありません。想いや願いは子どもたちの身体や、生前に愛したものや人の中で霊魂は共に生きていくのです。
日々、こうして訪れる事も今を活きる事も奇跡です。こうして人として生まれ家族と出会い、友人と出会い・・色々な縁と出会い今日という日を迎えられる事に有難く日々を笑って過ごして見ませんか?
日々の想い出を、心のアルバムに沢山刻みせっかくこうして人として生まれて来たのですから・・
仕合せは自分自身で決めるもので、人生の主人公も脚本も自分で描くのです。宿命は変えられませんが、運命はいくらでも変えらる事が出来るのです。善きことを思い描いて行けば自ずと好転し始めます。そして、仕合せとは目の前にある事ではないでしょうか?家族が居て、住む家があり、御飯が食べられ、眠る布団がある・・平凡な毎日こそが仕合せだと思います。
起きていない出来事に心配をするから不安になるのです。それよりも、その時間を家族で笑って過ごせる時間に使って見ませんか?
不安になったり、苦しくなった時はここに来てください。
あなたらしく希望ある人生を仕合せに歩めますように。
合掌
質問者からのお礼
初めまして、永寛様。
回答いただきありがとうございます。
何度も何度も読み返しました。
宿命は変えられないもの、しかし運命は変えられるもの。
自分は存在欲と大事な人たちへの執着に強く囚われ過ぎているようです。どうにもならないことにまで嫌だ嫌だと駄々を捏ねていた事に気づきました。
そしてその為に今、手の中にある仕合せまで見失っていたようです。
この欲や執着について、すぐどうこうできそうにはありませんが、まずは目の前のことを大事にしようと思えました。その上でこの欲と執着に向き合うようにします。
おかげさまで完全ではありませんが落ち着いて冷静に考える事ができるようになりました。本当に、ありがとうございました。