hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

稼業を継ぐか、きっぱり辞めるか。

回答数回答 2
有り難し有り難し 23

初めて相談させていただきます。

大学卒業後、すぐに家業の会社に入りました。
後継者として会社で実務をこなしながら経営の勉強をしています。

物心ついた頃からなんとなく私が継ぐように導かれてきたと思います。
両親には他の会社への就職も反対されました。

私自身も会社への想いはありますが、どうしても一生懸命になることができません。内容に興味が湧かないのです。

また入社のころから重い責任を背負っている気がしています。
それは自分の将来のことだけではなくって、会社のこと、社員のこと、社員の家族のこと、たくさんのことから逃れられず気持ちが重くなります。

会社では私が後継者だということで物事が進んでいきます。

今、会社を辞めると言ったら、両親を悲しませ怒らせることになると思います。
後継者以外で、認めてもらうことはないと思います。

結局のところ、今の会社は「自分と社員の生活のため」にあると思っています。

しかし、「生活のため」の仕事だけでは、自分の一生を諦めている気がしています。

自分のやりたいことや、得意なことが活かせる仕事がしたい。没頭できる仕事がしたい。という気持ちがありますが、どうしても今の会社の仕事にどっぷり浸かってみたい。会社を大きくしたい。と思うことができません。

答えは見えていないのですが、私は自分の人生を諦めたくありません。

考えを改めるべきか、きっぱりと会社を辞めて後を継がないと決めるべきか、
ほかにどのような方法があるのか、アドバイスをお願いします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご自身の思うままに

今どき、家業をつがなくては、
ならないなどと、
寂しい気持ちになりました。
あなたがその仕事に
ご興味をお持ちで、
やりたいというなら
まだしも、
継ぎたくないなら、
継ぐ必要はないかと、
思います。
愚僧は、
住職をしながら、
会社を経営していますが、
愚息に継がせる必要は
ないと思っています。
お寺も同じです。
素晴らしいお寺なら、
後継には困らないのです。
愚息2人とも、
理工学部をでて、SEになりました。
長男はそのまま、同じ会社に
勤務しています。
次男はSEでしたが、
いろいろあって退社し、
次を探していなかったので、
一旦、うちの会社に入れました。
しかし、また戻るといので、
2月からSEとして、
自分の希望する会社に、
再就職します。
特に止めもしません。
愚僧は愚息よりも、
先に死にます。
死ぬと思います。
だから死んだあとは、
面倒見切れませんよ(笑)
大人なんだから、
選んだ道を進めばいいんです。

親は子の幸せを祈るばかりです。
祈るのは、幸せ、幸福です。
仕事でも、
お金でもないのです。

親の呪縛を離れて、
どうか自由に生きてください。
あなたの幸せを
祈っています。

{{count}}
有り難し
おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
このお坊さんを応援する

人生は一生、何をやっても自身の活動。

どっこいしょ。どっこいしょ。六根清浄。
人生はいつどこで何をしておりましても自身の活動しかありません。
稼業を継いでも、他の仕事をしていても人間万人四六時中、自己の活動にあらざる時は無し。
なにをやってもあなたはあなた。
ですが、これぞわたしのやりたいことだ、ということは本心がちゃんとわかっているはずです。
仕事も恋愛も現代は平安時代とも異なり自分でちゃんと選べる有難き時代です。
一方で、仕事を選ばず派遣で現場で何でもやれる人もいます。
パートナーもお見合いや政略結婚で人生を終えてゆく人たちもいます。
人間は本性が無我ですので、何でもできる事にはできるものですが、それでも本心はきちんとあるものです。
何を本心と呼ぶかはあえて理屈は申し上げませんが、それこそ本心が答えを出してくれるはずです。

父のワープロが壊れて❝聖地❞秋葉原のお店で治してくれるお店があるというので、
修理を引き受けて頂けるかどうか、治せるかどうかの問い合わせを色んなお店に電話をしていました。
すると電話先のその5,60代の男性が「うーん、どうしようかなぁ…。うーん、やりたくないなぁ~。」(イメージ:金田一耕助)とすごく嫌そうな本音を電話越しで言われるのです。頭をボリボリかいているような感じのトーンで、本当に居やそうでした。
「(ああ…なんて正直に本心を顧客さんに言ってしまえる人だろうか…。)」
普通だったら、オフィシャルな対応で嫌な仕事でもそこそこな対応をなされると思うのですが、童心がそのまま大人になられたようなその方の対応に私は人として何とも素直で正直なんだろうと思いました。ああ、この姿勢は現代人こそ必要なのではないか、と。
私は当時、30代だったですが、その時、秋葉原が「聖地」と言われる理由の一つが分かったような気がいたしました。本心の聖地。
♪好きならば好きだと言おう~♪というフレーズの歌が流行っていたこともありますが、人間が人間として各自が最高に生きるためには本心に忠実に生きる精神の自由が許されるべきなのではないでしょうか。人間は元々すべてがインプットされているのですから。
私も自身の人生の中で「うーん、これはやりたくないなぁ。」ということはちゃんとやらずにいます。
人間はそういう風に誰もが作られていると思いますよ。
それでいいのだと思います。
「うーん、やりたくないなぁ~。」本心に問う。

{{count}}
有り難し
おきもち

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ