泣けなくなりました…
秋に友人が逝きました。
その時に相談させてもらい、有り難い御回答を頂きました。
しかし…
友人が逝ったことを知った日に大泣きしてから、全く泣けなくなってしまいました。
どんなに悲しいこと、嬉しいこと、悔しいことがあっても泣けないのです…。
『泣くとスッキリするよ』とTVか何かで知った気がしますが、現在全く泣けなくなってしまいました。
自分の心が壊れてしまったのでしょうか。
ツラくて苦しいのに、泣けない自分が更にツラく、苦しいです…。
元々感情の起伏が激しく、かなり泣き虫だっただけに、ツラくて苦しいです…。
笑うことも、怒ることもあります。悲しいという感情はあります。
でも、泣くことだけができなくなりました。
御回答しづらい相談かとは思いますが、御言葉を御願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
泣けない自分を責めない。
追追伸:字数制限の為、ここにこれ以上、返信が出来ませんので、お薦め書を紹介します『マインドフル・セルフコンパション・ワークブック』(星和書店)です。客観視の実践になります。あとはメールいただければ返信させていただきます。再々礼
追伸:お礼メッセージありがとうございます。トリガーのように思っているのですね。としても自分を責めないでください。さらにお気持ちをお聴き致しますので、どうぞ心の内を吐露してください。安心・安全な気持ちで居られることこそ本来と思いますので。再礼
もにゃもにゃ 様 相談ありがとうございます。
感情の起伏が激しくとも、泣けない時があります。
おそらく、泣くという感情に蓋をしてしまったのでしょう
何かがきっかけで。
それで、きっかけや原因探しをしたり、泣けない自分が辛い、苦しいと思うのは
当然かもしれませんが、自分を責めないようにして、そんな自分がいるんだなア~、とか、こんな時もあるんだなア~ぐらいに、客観視して、泣けない感情を、眺める、脇に置く、やり過ごす、---という事を試みてください。
そして、泣けない自分がいたとして、次に何が起きれば、少し気が晴れるだろうか?何かしてみたら、気持ちが変わっていくだろうか?と考えてみてください。
さらに、「本当はどうなったらいい」と考えて、「今ここで何ができる」と考える。そして何か行動してみて、良ければその行動を続ける、違ったな~と思えば、また「本当はどうなったらいい」と考えて、「今ここで何ができる」と考える。良ければその行動を続ける、違ったな~と思うえば、また・・・と繰り返していく。
結構いそがしいけれど、考えて即行動!が感情に流されずによいようです。
今ここで何ができるに、身体を休める、とか、心を休めるというのも有りですから、常に動いていなければならないという事はないですから。自分の心と身体に聴きながら、自分を責めずに考えて行動を起こしてみてください。
後になりましたが、
ご友人が逝ったこと、お悔やみ申し上げます。ご冥福をお祈りいたします。合掌礼拝。きっとあなたの祈りがとどいて、ご友人も安らかで居られるでしょう。もにゃもにゃ様も、安心して過ごされることを祈るばかりです。
おやすみなさい。
お読みいただきありがとうございました。
合掌礼
質問者からのお礼
御礼が大変遅くなり申し訳ありません。
有り難い御回答を頂き、ありがとうございます。
蓋をしてしまったきっかけは、友人が逝ったことです(自殺でした)。ほんの2週間近く前には普通に電話で会話していたのに…と思い、友人の最期のトリガーを引いたのは自分ではないかと自分を責めています。
しかし御回答を何度も読み返し、色々試してみようと思いました。
自分には何ができるのか解りませんが、自分を客観視して、行動してみようと思います。
御回答しづらい相談だと思いましたが、大変有り難い御回答を頂き、本当にありがとうございました。
上手く文章がまとまらず申し訳ありません。
追記まで頂き、本当にありがとうございます。
友人が逝く2週間近く前の最期の電話の時、いつもは友人が長話を嫌がるのに、その時は本当に長話をしました。
内容は互いの仕事の事や近況を話していただけでしたが…。
しかしその会話の中で自分が友人のトリガーになるような事を言ってしまったのかもしれない…と思っています。
今でも友人から電話やメールが来る気がして、電話番号もアドレスも消せないでいます。
友人が何を思って逝ったのか…
最期のトリガーはやはり自分だったのか…
考え出すと止まりません。
御礼のメッセージを送る場所なのに、相談の様な形になってしまい申し訳ありません。
自分を客観視する事は…
難しいことですね…
自分にできるかどうか解りませんが、やってみようと思います。
本当にありがとうございます。