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複数の精神疾患が原因で死にたくて辛いです

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重度の強迫性障害と吃音症、それにより鬱病も患ってます。
はっきり申しますと、楽しく自分らしく長生きしたいです。そのためなら、努力も苦とは思いません。素敵な人生を全うしたいです。
今まで鬱病で自殺未遂もあり、入院や自宅療養をしたこともありましたが、素敵に楽しく生きたいから頑張って生きてきました。
今までの人生に後悔も無念も何もありません。
しかし、やはり重度の強迫性障害により、その全てをぶち壊されています。
もちろん克服し、むしろ人生の糧になるくらいの気持ちで頑張って生きてきました。
吃音症も、鬱病も同様です。
しかし、もう限界です。
夢も希望も見いだせない、24時間365日強迫観念と強迫行為などの苦しみや、話すこともまともに出来ない苦しみ等々で生きる気力が全く無くなりました。生きてるのが苦痛で、努力する意味も楽しむ意味も無いと思える程です。
私は、人生恵まれている方だと思っています。人間関係や金銭面等々他にも特に問題はありません。
だから、こんなことで自殺なんてしたくなかったですが、もう、この強い終わりの無い苦しみを生きていくのが限界です。仕事も体調不良から辞めざるをえず、それでも心配して復活を待ってくれてる同僚や上司もいます。文句言わず、フォローしてくれている両親もいます。寝たきりで構えなくても愛してくれてるペットもいます。
しかし、辛すぎるし、納得がいきません。こんなおかしな病気があって良いのですかね?八方塞がりで何をどうしたら良いのか分かりません。
3日4日前から、死のうと自殺を考えています。しかし、あと一歩が踏み出せず、今も生きています。
死ぬか、苦しみの中を寿命が尽きるまで、只適当にやり過ごしすしか無いように思えます。
今は食事と排泄以外は布団の中でほぼ寝たきり状態です。
体も脳も上手くまわりません。こんな生活、以前の自分なら全く受け入れることは無かったです。
しかし、自殺するより、こんな状態でも生きていくしかないのかなとも、今は思えています。
八方塞がりの苦しい人生を自殺で終わらせるのは自分らしく退く、良い死にかたとも思っています。
悲しみを人に与えてしまうことと、ほんの少し死が怖いことで、踏みとどまっています。
どうしようもない状態なら、自殺もありだとは思っていますが、どうしたら良いでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

瞑想や念仏をしてみては?

仏教の修行は、布団に寝ながらでもできます。
悩み苦しみを減らす智慧を得られたり、自分や他人への怒りが和らぎ温かい慈悲の心が湧いてきたりする。
それが仏教の修行です。
人生の醍醐味は、仏教の修行です。
仏教の修行は、いたずらに心身を苦しめるような苦行ではありません。
かと言って、快楽を追い求めるわけでもない。
苦行と快楽主義の中間、「中道(ちゅうどう)」が仏教の特徴です。
たとえば、マインドフルネスとかヴィパッサナー瞑想というのを検索してみてください。
あるいは、「なむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶ」と一定リズムで念仏を称(とな)えるだけでもかまいません。
念仏については、リズムをとれるような打楽器(お寺では木魚などをたたきます)や手拍子や指パッチンなどで、一定リズムを刻むことをお勧めします。
これは、脳のリズム運動にもなるので、セロトニン神経を整え「うつ」軽減につながる可能性もあります。
瞑想や念仏していると、さまざまな妄想雑念や、忘れていたような記憶の断片が浮かんで来たりもします。
それらにあまりとらわれずに傍観しているだけでも、なんとなく色んな発見があり、面白いのです。
自分自身の心。これは最高のゲーム機であり、いつでもどこでも、寝ながらでも遊べるゲーム機なんです。
仏教の修行を知ると、人生に退屈する時間はなくなります。いつでも遊べるゲーム機を手にしているのだから。

追記
手拍子や指パッチンでリズムを刻むと書きましたが、音を鳴らす必要はありません。
自分なりに一定リズムを刻めればよいです。

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質問者からのお礼

御回答頂き、どうもありがとうございました。

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