回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「善行と悪行の線引き」
『中道(チュウドウ)』を説かれた仏様の教えで、善悪の二元論的なお話をすることの説明は、今回省くとしまして…
「善行」と「悪行」の、仏教的な線引き…として、お話致します。
生きている限り、『欲』を無くすことはできませんが、ワガママな見立てに委せた欲は、『苦しみの元 』になります。
仏様の教えで目指すところは、『苦しみの解決』ですから…
苦しみの元となる行いを「悪行」、苦しみの元にはならない行いを「善行」と呼べるかと思います。
つまり、世間的には「善行」と呼ばれるボランティアであっても、何かしらの『見返り』を期待してしまうと、期待外れの結果だった時、満たされた思いを味わうことができず、苦しみの元となる行いになってしまう…
(例えば、一日中汗流して頑張ったのに、「ありがとう」の一言も言ってもらえなかった…とか)
仏教では、道理に明るくないこと「知らない」も『悪』と捉えますので、世間的に「悪行」と呼ばれているものも、勿論「悪行」となります。
仮に「善行」と呼ばれるものであっても、「悪行」となりうることもある…
『善いことをして悪いことをしない』という道理は、幼い子どもでも知っていることですが、大人になっても実際に行うことは難しい…
と、云われる所以です。
拝読させて頂きました。
善いことは己れの心や身体を清く保ち、自らや他のためになることを善いことを尽くしていくことです。そして自分にもものごとにも決して執着や我欲を出さずにありのまま受け入れていくことです。
悪いことはその逆で貪り怒り愚かな考えや行いをすること、奪ったり傷つけたりすることです。
善 悪 は、人間如きが判断するものじゃないよ。。
悪とは 心が亜 仏様の心に達していない状態。。
人間の事です。
十悪 を犯してしまう事が悪行
六道輪廻の、中、今生でたまたま人間に生まれさせて頂いただけ。。
善 とは、自分の、持っているもの以上、ご縁以上の事をする事です。
仏様と向き合って、仏道の修行をする事が、善行
生きていると、善行を、する事は、尊く本当にむづかしいです。
それでも、仏様と共に生きていく、大切ではないでしょうか
質問者からのお礼
GALUCHAT様、とてもわかりやすい説明をありがとうございました。『苦しみの元となる行いを「悪行」、苦しみの元にはならない行いを「善行」と呼べる 』そのような発想はありませんでしたが、そう考えると腑に落ちます。
善行とされる行いでも、見返りを求めてしまうと思うような結果にならないと、苦しみのもとになってしまう。善行と呼ばれるものでも、悪行となりうることもある。善いことをして悪いことをしないというのは本当に難しいことですね。長谷雄蓮華様も回答ありがとうございました。