自己肯定感が低くて生きにくいです。
昔から人目を気にしすぎ、陰で悪口を言われてたら、変に思われたらどうしようなどと考えてばかりです。
周りから変に思われたくないという気持ちが強すぎて、逆に挙動不審になったり、自分の意見が言えず自由に生きられません。
人と話しても緊張してきて、うまく頭が回らずテンパってしまいます。
また、話し終えた後も、一部始終脳内再生して、反省会が止まりません。
自分の意見も言えないどころか、もはや意見すら無くなってしまいました。みんなと意見が違うことが怖く、食べたいものや好きなものを聞かれても何もないです。空っぽです。
話がまとまらず申し訳ありませんが、もう少し気持ちを楽にして生きたいです。何かアドバイスなどありますでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「これでいいのだ」と納得していくこと。
拝読させていただきました。
言動が伴っていないと、歯痒さが生じてしまいますよね。
仏教の開祖お釈迦さまはこのようにお言葉を言ってくれています。
「沈黙する者は非難され
多く語る者も非難され
少し語る者も非難される」
人は何をしても非難される世の常であると言っておられるのです。
私たちは生きていることはとても有り難く、人として生まれてくることは尊く、五体満足で今を生きれることは尚有り難いことでもあります。
人は常に何かを求め、思い通りに物事を進めていければ、順風に人生が進みます。しかし、世間の目を気にすることで、理性にブレーキもかかるものでもあります。
・背が低ければ、高くなりたい。
・お金がなければ欲しい。
・恋人がいなければ欲しい。
・目が不自由であれば、見えるようになりたい。
など、数え切ればキリがなく、求めるものは手に入りにくく、求めるものを満たすためには、周囲の目を気にされない自身を作ることが大切です。
仏教では、他人のしたことを評価するなといいます。自分のしたこととしなかったことだけを見なさいとお釈迦はおっしゃっています。
肯定感を高めるには、精進(努力)を日々行うことで、今を生きる強さに変えることに繋がっていきます。
原因がどこにあるのかを収集することで、一つずつ足らないことを克服する努力をしていくことが不安を消していくことにも繋がるものです。
昼は元気だったり、お酒を飲んだときは気持ちが高まったりするが、夜一人になると不安が募り、自信がなくなる人も多いものです。
「自身に徹したとき、人は初めて強くなれます。徹することは他人の評価を気にしなくなるということ」
他人の評価は常々変化し続けます。自分の評価は自分でしか決めれないときもあります。嫌いな自身に″さよらな″をし、明るい希望を手にしていきましょう。
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。ひたむきに努力して周りの目をあまり意識しないようにしていきます。