嘘つきがなおりません
幼い頃から小さな嘘をやめることができません。
日常の些細なことから、仕事の事実に関することまで、自分では嘘をつきたくないと思っているのに、とどまるまえに嘘が出てしまいます。
知らないことをしっているという、やっていないとこをやったという、など、その場しのぎの嘘が一番多いです。
しかられたくない、必要とされたいという気持ちが強すぎるのか、だめだ、と思うよりもまえにことばがでています。
もう自分一人ではこの虚言癖を直せそうにありません。
なにかよい方法や、解決策はないでしょうか。
自己否定、自己嫌悪ばかりがたまり、結果なにも頑張れない自分になっている気がします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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仲人夫婦はウソばかりです
私もウソをついたことは何度もあります。が、仏教徒であるという自覚が深まるにつれて、ウソがつきにくくなっています。他者を煙に巻けたらいい、その場をしのげたらいい、というような他者との関りじゃなく、自分自身にとってよくないのだと方向をかえるようになったからです。
見方をかえると、他者にウソをつくのは、自分をよく見せたいというか、自分を守れる、隠せるという感情があるからなのでしょう。自分をよく見せたいという感情を捨てるには、自分がつまらない人間でしかなく、その自分をありのままに表現していくしかないんだと覚悟する必要があるんでしょう。そのためには、やっぱり仏教を学ぶのがよいと思うんです。仏教が目指すのは如実知見です。あるがままに見る、ということです。自分がありのままに見えたら、ウソをついてまでカッコつけるほどのものじゃないことが見えてきます。アホは楽でいいですよ。アホの自分を見つめて、アホのままに生きるということは一朝一夕にできることじゃありません。でも、少しずつできるようになります。そうしたら少しずつウソが減っていくと思います。
それから、ウソをつくと周りが迷惑します。タイトルに書いたように私たち夫婦の仲人夫婦はウソしかつきません。オバサンは私どもの家内と同じ滋賀県立八幡高校卒のくせにウソをついて騙していました。でも、同じ高校の通学圏で、かつ、同業者なのだから隠せるわけがないんです。家内はオバサンのウソがばれるまでは、高校自体の思い出を懐かしく、楽しく語っていましたが、あのウソつきと同じ高校だったということで、高校のことをいっさい語らなくなりました。私は家内の気持ちが分かる気がします。
ウソをついて他者を傷つけたことは、実は私のもあります。一生涯、背負っていかないといけない苦しみですよね。
だからこそ、あなたも苦しみ、何とかやめようとなさっているのでしょう。自分ひとりではやめられないようなら、遠慮なく相談してください。私でよければ、いくらでも話し相手になります。