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救いとは何か

回答数回答 2
有り難し有り難し 17

自分が考える救いとは、無感覚になることです。
迷いを引き受けるとか、しっかり迷うとか、答えは自分のなかにある(道を探求する、道を歩む)とかしんどいのでどうでもいいと思います。

念仏を唱えるのも違和感があるし、修行は無感覚になれるわけではないので無意味です。
悟りの段階が上がると無感情のように見えると聞いたことがあり、憧れますが仏教の悟りは廃人化ではないらしいのでこれも救いとは違うのでしょう。

世間一般的にある努力や苦労をたくさんしろという風潮や、自分の本能的な?遺伝子に組み込まれている?より良くを求める脳の神経の反応(これが仏性的なものか?)もどうかと思います。美しくなければ生きていても仕方がないです。

感覚を断ち切るには死しかないのではないか? と考えますがそこまで思い切れる力もないので、無感覚者として浮遊しているのを夢想します。何か感覚を断ち切れる良い薬があれば欲しいです。ぶらぶらさすらっていてもなんの解決にもなりません。
これまでこれからのいいことよりも、隅々まで行き渡った平穏が楽に簡単に苦行なしで欲しいです。

心境を述べているだけで、一体何を期待しているのか? よくわからないですがよかったらなにかコメントよろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

本当に実現する救いとは何でしょうね?

ご相談拝読しました。最初のご質問の時にご縁をいただいておりました。お久しぶりです。

質問をされる前にも、そして質問してからも、あなたなりに救いを求めてきたのだと思います。こうして質問いただいていることがその証です。

でも救われない…。それはなぜか。

言ってしまえば、「ないものを求めても手に入らない」ということです。あなたが思うあなたの救いをもとめても、それはあなたの思いの中にしか存在しないから現実の苦の前には歯が立たないのでしょう。

救いとは自分の思いが叶う事でなく、自分の思いが破られることです。「こうでなければならない」という思いが破られ、自分の価値観が破壊される。そこにひるがえりというものがあるのです。

自分の思う楽を求めて苦しんでも、あるいは求めずして得たいと嘆いても、いつまでたっても自分の思いの中をグルグル回るだけです。

苦しんでいるのは自分なのにその自分の価値観を是として念仏はダメ、修行は嫌だと言っていても自分の枠組みの範囲内を一歩も出ません。

そうは言ってもあなたはあなたなりにずっと考えてきたのだと思います。これ以上どうしたらという思いもあることでしょう。

でもだからこそ、あなたをあなたの思いの一歩外に出してもらえるような場や教えを求めてる方がよいようにお見受けします。

中々どうして師と出会う事や、居場所となるようなもの、ともに学ぶ仲間などは得がたいものですが、自分だけでどうにかしようとするのは一旦おいて何か他の方法に進んでみませんか?

私からしたら、「念仏以外の一体なにで救われると言うのか?」と思いますが、各宗派ともそれぞれ坐禅や真言、瞑想など色々あります。バカにせず一度虚心に学んでみてはいかがでしょうか?

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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自分の感覚だと思わなければ

「自分」というのは概念上の幻であり、あなたは、本当は瞬間ごとに浮かんでは消えている、瞬間ごとに新しいあなたなのです。1秒前のあなたと今のあなたは、記憶データを相続してはいますが、別人なのです。
だから、1秒前の感覚は、もうすでに「あなたの」感覚ではありません。
(すでに別人にバトンタッチ済みだから。)
もともとあなたの感覚ではないのに、その感覚をことさら嫌う必要はないのです。
「あ、卒業した先輩(すでに滅んだ過去の自分)の忘れてものだ」
と思って、感覚を見れば良いのかもしれませんね。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

やっぱり簡単に楽にはなれないんですね。
瞑想合宿にも行きましたが途中でやめてしまいました。
合宿の前に、途中でやめないという強い意志がありますか? と聞かれて虚勢を張って はい に丸をつけてしまいました。
仏の道を歩むのは逃げではないという言葉に気圧されてしまいます。
誰に頼っていいのかもよくわからないのでとりあえず近場の座禅会に行ってみます。
回答ありがとうございました。

ベルトコンベアーにたくさん感覚が流れて行くのを感じました。これも忙しい感じがします。
無にはなれないし悟りは複数形なんですかね。
回答ありがとうございました。

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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