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供養、念仏について

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仏様を供養する・・というのは、具体的にどうすることなのでしょうか?
亡くなられた方やご先祖様を供養するときと同じですか?

また、「南無阿弥陀仏」という念仏(で合っていますか?)は、阿弥陀様だけじゃなくてお地蔵様や弥勒様にも唱えることができるのでしょうか?
もし、それぞれに唱える念仏がありましたらお教え頂けないでしょうか。

よろしくお願い致します。

2020年2月29日 20:25

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

おもてなし

供養とは、「おもてなし」だと思います。
2600年前のインドで、お釈迦様やそのお弟子さん達に食べ物や袈裟(衣服)、泊まる場所などをお布施(プレゼント)したことに端を発するのだと思います。
超人気者だったお釈迦様(ブッダ)を食事にお招きすること(供養)は、人々にとって大変な喜びだったのです。
また、ブッダや僧侶達への布施・供養は、功徳がある善行為だとされます。
功徳とは、良いことをすれば心に良い癖がつく、心の善のパワーです。
功徳は、他人に回し向けることもできます。
たとえば、仏や僧侶に食べ物を布施し、その功徳によって亡き先祖が幸せになれるようにと願う、供養の功徳を先祖のために回し向けるということをします。
仏壇に食べ物、花、灯り(蝋燭)、お香をお供えする、その功徳を先祖に回向(えこう)します。
南無阿弥陀仏は、阿弥陀仏に南無(帰依する・尊敬する)しますの意味。
南無地蔵菩薩、南無弥勒菩薩、南無三宝(三宝とは仏・法・僧)など唱えて礼拝します。
また、浄土宗では、お地蔵様や神社を拝むときも「南無阿弥陀仏」でOKです。
それは、南無阿弥陀仏と念仏する功徳をお供えするというか、念仏している私自身を奉納する、みたいな感覚です。
仏様や菩薩様達や神々は、念仏している人を見て喜んでくださるはずなので。(経典では、東南西北上下の世界の無数の仏様達が、阿弥陀仏を讃えています。)
【まとめ】
ア 生身の相手(特に僧侶・教団)には、おもてなし(供養)とプレゼント(布施)。
イ 仏像・仏壇には、供物・花・灯明・お香。
ウ 南無⚪⚪と唱えて合掌礼拝、特に南無阿弥陀仏の念仏は他の神仏も喜ぶ。
エ 上記ア~ウの功徳を、先祖のために回向する。
ですから、法事で住職にお布施を渡すのは、単なる住職への謝礼ではなく、僧侶に供養する功徳を先祖に回向するためなのです。

2020年3月1日 2:01
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浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

供養とは回向である

お経を唱えたり、念仏したりするのを回向するのが供養です。先祖供養だけが供養ではありません。具体的にはお経を唱えたり、念仏したりした後に、回向文を唱えます。回向文の種類によって、供養の対象は変わってきます。また、他の仏も南無阿弥陀仏で構わないでしょう。神社でさえ南無阿弥陀仏ですから。

2020年3月2日 8:47
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浄土宗僧侶ですが、時宗の一遍上人と同じころ活躍した一向上人の流れです。 ...

質問者からのお礼

願誉浄史さま

とても詳しく、わかりやすく、ご回答をくださいましてありがとうございます。

私の部屋には小さな阿弥陀様やお地蔵様、弥勒様が飾ってありますので、教えて頂いた「おもてなし」の供養と「南無」の念仏を唱えてみようと思います。

功徳の回向については、とても勉強になりました。今まではこの仏様はこういう功徳があるから拝んでおこう・・という風にしか見ていませんでしたが、これからは、色々な功徳が色々な誰かへ届くといいなぁという気持ちで手を合わせることに致します。

今まで仏様について考えてこなかったので、今になってわからないことだらけで申し訳ございませんが、また色々なことをお教え頂けると幸いです。

井澤隆浩さま

供養と回向について教えてくださりありがとうございます。
回向文があるとのことでしたのでネットで調べてみましたら、3種類程見つかりました。どれをいつ唱えるのかはまだよくわかりませんが、ひとつ覚えてみようと思います。

仏教の言葉って難しいんですね、ひとつの言葉にたくさんの意味や情景があるのでしょうか。
わからないことだらけですが、「南無阿弥陀仏」の念仏と「平等に一切に」の回向文を覚えて唱えてみます。

「念仏について」問答一覧

禅と念仏

こんにちは。僕はこれまで様々な道(生き方)を求めて、真宗の教えを求道中だったのですが、はっきり言ってこれまでやってきたことは偽りに過ぎなかったと思い始めました。僕は真宗(本願寺派)において信心をいただきましたが、結局疑いは消えないようです。疑いあるままの救いのようですが、どうも僕にはそれが耐えられないようです。とにかく苦しくて仕方ない。 一方、真宗大谷派の方はもとより疑うべき考え方がないので、とても気が楽になり、最終的には「事実のみが救い」だと最近学びました。 真宗大谷派が最善だと思っていたのですが、僕は精神統一をしなければとても精神が不安定になることもあり、どうせなら座禅の方が良いのではないかと考えています。 これは僕の勉強不足かもしれませんが、座禅と念仏の教えは確実に繋がっているところがあるように思うのです。座禅の教えは自力だと言われていますが、僕はそうは思わず、考え方の問題だと思います。念仏だって自分の意思で間違いなく念仏申しますが、考え方としては「阿弥陀仏の力によって念仏させられる」と考え、禅宗でも「座禅が座禅をするのだ」と言っている人もいます。それに、「座禅は悟りを開くことが目的ではなく、座禅そのものが目的」だと聞きました。 他にも禅で言う大悟も、念仏の信心と似てるというか、もう一緒ですよね。「妙好人」の著書で知られる、鈴木大拙先生も念仏の教えと座禅の教えを比べながら大悟を解説していますし、大悟したと言われる一休禅師も煩悩が消えているわけではない。実際にはどういう境地なのかは分かりませんが、おそらく「仏の眼」によって煩悩あるがままでも力強く生きることができたのではないかと理解しています。 これらの事から、僕は禅の道を歩もうと考えています。 念仏の教えと座禅の教えは、ほぼ同じようなものだと考えている僕ですが、実際はどうなのかが知りたいです。よく吟味しながら求道しようと思っていますので、遠慮なく厳しいお言葉でも構いませんので、念仏と座禅の関係性、大悟や信心の類時点や相違点を教えていただけると有難いです。

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気持ちが変わってきた

こんにちわ いつもお世話になっています。 最近仏様にお祈りして頼っております。念仏を唱えると気持ちが落ち着き支えられています。 苦しい時の神頼み的で申し訳ない気もしますが… でも、何故か?唱えているとお線香の香りがして来て近くにいてくれていると感じます。 そのせいか、気持ちが変わってきて焦りではなく早く仕事に行きたいと思わせて頂くようになりました。 前はそう思っても怖い不安が先にたちなかなか面接行っても不採用にならないかなと思っていた自分がいました。 先日面接に行ってきてまだ、採用にはなっていませんが、手応えがありました。 今は仕事に行けたら嬉しいなと思えます。 体力的に自信はありませんが、当たって砕けろ的な考えです。 自分がどこまでできるか? ダメなら辞めてもいいって考えて気楽にチャレンジしてみようかなんて! 明日の事は誰にもわからないし わからないから希望ももてるし! 明日失敗するってわかっていてもそれをこなさなければならないならば、人間って生きていけない生き物ですよね? 何が起こるかわからないから期待や希望が持てる物だと感じました。例え失敗に終わってもそれはそれでチャレンジした自分がいるわけだから満足できるのかなと。 明日採用の合否がわかります。 祈っていて下さい。

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比喩表現なのか...謎

お世話になっています。僕はこれまで、「お念仏は1日10回程度でいいだろう」と思っていました。何なら、1回でもいいと思っていました。ところが、あるお坊さんから聞いたのですが、「お念仏というのは、瞑想みたいなものだ」と言っていました。ただ手段が違うだけだと。瞑想では、呼吸や身体の感覚に集中することで、「今」に心を置きます。お念仏も瞑想と同じで、お念仏を唱えている時だけ「今」を生きることができると言っていました。自力の計らいというのも、瞑想でいうところの雑念なのでしょう。また、阿弥陀様や如来というのは、この世の大いなる働き(空、因果律)のことだと言っていました。浄土真宗はとにかく比喩表現が多いんだと。これらのことは本当なのでしょうか?もし、本当だとしたら煩悩を自覚する意味が分かりません。また、煩悩即菩提の概念もよく分からなくなってしまいます。僕は今まで本当に浄土(死後の世界)があり、阿弥陀様も実在する「人」だと思っていました。 しかし、内心では疑いを持っていました。南無阿弥陀仏と唱えれば浄土に往生でき、それが出来なければ地獄行きというのは疑問に思っていましたし、大宇宙の法則がなぜ「この人は浄土、この人は地獄」と判断するのかもおかしいと思っていました。もし、このお坊さんのいう通りなら、色々と納得できる部分がありますが、実際のところはどうなのか気になります。回答お願いします。

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【浄土宗】本当の念仏行って…何?

 いつもお世話になっております。  まず、質問に先立ちまして御礼とお詫びを申し上げます。  この件に大変尽力してくださった、先生方。ありがとうございます。 そして、大変申し訳ございませんでした。  お念仏は続けていますが、あれから菩提寺を含め、浄土系の寺院には お参りが途絶えている状況です。  私自身、自分の信じていた宗の精舎がすさんでいくのを見るのが とてもつらかったのです。私では、止めようがありません。  詳細を説明すると、 ・お坊さん(布教師)の言うことがちょっとおかしい  →他宗の行をけなしたり、念仏以外の行を積むと地獄へ行くなどと平然と  言い放つ、他の仏様をけなす。   「なむあみだぶつ以外は邪教!!」「本山が喧嘩しあってる」 「平等とは何だ」など、不安を煽るようなことを平気で言う。   結果、信徒の9割がその影響を受けて変な方に考えが行ってしまった。  とにかく、私はつらかったです。悲しかった。顔で笑っていても、 腹の底で悲しむ私の姿を、お母さんー阿弥陀様に見せたくない、 そう思って、門から出ました。  本当の念仏とは何?この数年間私は考えました。恋しい「親様」のために。  「苦行に費やす時間を、目の前の苦しむ人たちのために。 来たるべきその後の時は、仏様が確実に手を引いて導いてくれる」  他の神仏の悪口なんか言っちゃいないし、好き勝手どころか、むしろ、 「良心」を前提で動く私たちの背中を優しく見守ってくれる。 「ドジ踏んだって怒らないから安心しな」と。  本当の念仏行って、なんなんでしょうか?

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