お地蔵様。
こんばんは。
プロフィールにも書かせて頂いたのですが、幼い頃より祖父の隣で読経したりお墓参りやお供えをしたりしていました。
結婚し子供にも恵まれ、祖父が亡くなってしまったこともあり、なんとなく仏教というものと疎遠になっていたのですが、最近になりまた仏教に関心が出てきて、子供の頃なんとなく諳じていたお経の意味やその他諸々を勉強するようになりました。
まだ子供が2人とも小さいこともあり、毎日のお勤めまではなかなか継続して出来そうもないのですが、いずれは祖父のように、ご先祖様や子や人の為を思いながらお経をあげられるようになりたいと思っています。
さてご相談なのですが、無知なのでこれが仏教となにか関わっているのかさえわからなかったのでこのカテゴリーにさせていただきました。
もういつ頃から始めたのかは覚えていないのですが、多分小さい頃から祖父と墓地に並ぶお地蔵様に手を合わせたりしていて、その癖?なのか道にいるいわゆる事故等で亡くなられた方のためにあるお地蔵様にも手を合わせています。
これは結婚してからも子供が産まれてからも、祖父が亡くなってからも続いています。
運転中にも目には入ると、片手ですが手を合わせる真似みたいにして軽くお辞儀をしていて、毎回通る道なんかは、もうすぐあのお地蔵さんのところだな、と覚えてしまいました。
自分的には、もうこんなに毎回手を合わせなくても…と思ったこともあるのですが、一度やりだすと途中で投げ出すみたいで結局続けています。
しかし人に聞いたのですが、事故で亡くなられた方のお地蔵様に手を合わせたりしていると悪い?霊が寄ってきたり、なにか障りが出るんじゃないかと言われてしまい、どうすればよいのだろうかと思案しています。
この一連のわたしの行動は、仏教的にはどうなのでしょうか。
あまりしないほうが良いのであればやめようと思いますし、大丈夫なのであれば続けていこうと思います。
それとも仏教には関係ないのでしょうか。
ちなみに祖父はお寺に建つ石の柱?みたいな所にも名前が載るほど熱心な真言宗の檀家さんで、亡くなった時はお坊さんが泣いてくださるほどでした。
なのでわたしも他の宗派に触れたことはないですが、偏見や拒絶等はございませんので、是非多角的に教えて頂きたいと思います。
稚拙な文章を長々と失礼いたしました。
幼い頃より朝は決まって祖父の隣で読経を聞き、全てを諳じることはできませんがある程度は覚えて一緒になって手をあわせていました。 結婚し子供にも恵まれ、大好きな祖父が亡くなってしまったこともあり、なんとなく仏教というものと疎遠になっていたのですが、最近になりまた仏教に関心が出てきて、子供の頃なんとなく諳じていたお経の意味やその他諸々を勉強するようになりました。 まだ子供が2人とも小さいこともあり、毎日のお勤めまではなかなか継続して出来そうもないのですが、いずれは祖父のように、ご先祖様や子や人の為を思いながらお経をあげられるようになりたいと思っています。
欲しいと思うものが多い 愛しているはずの子供にキツイ物言いをしてしまう 自分を優先してしまうことが度々ある 他人を羨んだり、見下げてしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏像の前で必ず手を合わせるのはとても良いことだと思います。
ご本山での修行中に、仏像の前を横切るときは必ず仏像に向かって手を合わせてから横切るように教育されます。今でも私はそのようにしています。挨拶みたいなものです。
ただし、車の運転中にそのような事をすると危ないので心の中で手を合わせる感じにした方がよいでしょう。
特に手を合わせた(/合わせなかった)からといって何か取り憑かれたりするような事はありません。(そもそも拝んだら取り憑かれるようなものをわざわざ建立しないでしょう)。
こっちの心の問題だと思います。
質問者からのお礼
大変わかりやすくお教え下さってありがとうございます!
運転中は心のなかだけにしておこうと思います…
ありがとうございました。