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それほど親しくもない知り合いの葬儀

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私は田舎に住んでいて、小学校時代の同級生の父君が亡くなったと私の70代の母親が母親の知り合いから聞いてきました。

しかし、その同級生とは小学校を出てから没交渉で、私は都会の大学を出て自分の仕事や趣味の人脈もそれなりに広がって変わっています。

彼がどのような生活をしていたのかは分からないのですが、地元の農家の息子で地元にしか人脈がないような感じです。

昔はうちの近所の田舎では、斎場ではなく自宅で葬儀をしていて、それに地域住民がボランティアで駆り出されていました。

その風習はかなりなくなったのですが、70代の母親はその考え方が抜けておらず、そして自分の葬儀の時にできるだけ地域住民の方々の香典を集めて遺族の負担を楽にしたい意図があるのかもしれず(子供からすればありがた迷惑ですが)やたら地域社会の住民の葬儀にさして親しくもないのに参列したり香典を出したりしています。

私も両親の祖父母の葬儀は経験して、香典のやりとりがめんどくさそうだな…死後色々大変なのになぁ…と思っております。

話は変わりますが、小学校時代の同級生とはいえ別に親しくもないし虐められたりもしてないし、親友か?と問われれば微妙です。

ただ田舎で生きてきた彼と都会でしばらく生きてきた私との間には、もう色んな意味で越えられない壁というか溝があります。

私が尊敬するビジネス系のライターの方が「学校時代の友人よりも大人になってからの仕事の付き合いを大事にしろ」と仰っていて思わず納得しております。

私には、もう学校時代の友人に全て嫌われてもいいくらい、今はそれと関係ない自力で掴んだ友人や人間関係に恵まれています。

なのになぜ、70代の頭が固い私の母親はそういう古い田舎の考えに固執しているのでしょうか。

コロナウイルスのため葬儀はないのですが、母親は香典だけでも渡しにいけ、とうるさいですが、あまり関わりがない人がそういう態度を取るのは逆に無礼ですよね?どうでしょう?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

親孝行だと思って、

母親の言うことを聞けば良いだけです。

そちらの土地柄は分かりませんが
持って行かなかった場合の世間体を考えれば
御供を持参することはノーリスクですよね。

あなたの代になったら
あなたの価値観に従えばいいんです。

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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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同じ町内会でなければ

たとえば町内会が同じであるなら、同級生とか関係なく、同じ地域の住民として葬儀に協力する風習があるかもしれません。
また、以前、あなたの家の葬儀の際に、その同級生の家から香典をいただいていたなら、お返しをするのは礼儀でしょう。
阪神淡路大震災のとき、近所の住民同士のつながりの重要性が浮き彫りになりました。
葬儀はきっかけにすぎず、災害時などを考えたとき、普段から近所付き合いをすることに意義があるのは事実です。
今回、そこまで近所というほどではないなら、香典は必要ないと思います。
もちろん、「近所」の範囲は、地域ごとの慣例があると思います。
欲・怒り・怠け・プライドの煩悩は、悩み苦しみの原因になります。
怒りの煩悩や怠け(面倒くさい)の煩悩がないなら、お母さんの頼みを二つ返事で了解し、香典を用意して持参するだけ。1時間で済む作業です。
1時間で済む作業のために、2時間悩む人も世の中にはいますが。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。

母親の世代とは価値観も違うので、無理することもないのかなぁ、とは思います。

うちの集落でもそれほど厳格に香典を出したところに必ず返しているか、と言えばそうでもないのですが。

確かに助け合うことは大事ですが、極端な話自分の親族が亡くなったときに彼が葬儀に参列するとか、香典を渡すとか分からないのも事実です。

それから村社会の話ですが、昔は例えば村八分みたいなこともあったのかもしれませんが、最近は私より若い人が町内会長になっていてそういう人権を無視したことはできなくなっています。もちろんそれには甘えるつもりはないのですが。

ただ、田舎でも農家は減って会社員とかの比率が高くなって、昔ほど近隣住民の葬儀に出れる余裕がある人も減っています。皆忙しいです。

ということで、もうある意味価値観そのものが変わっていて、町内会なんかのイニシアティブを取っているのも若い世代なので、若い世代の価値観に従います。

老いては子に従え、ではありませんが。

「葬儀」問答一覧

祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

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母の葬儀を神式でやりたい父を理解出来ない

2月5日に、母がガンで他界しました。まだ60代の若さでした。今、悲しみと喪失感に暮れて居ます。 そんな中でも、葬儀の準備を進めなければなりません。我が家は、代々仏教式での葬儀を行なって来ました。 しかし、何故か父が神道式にしたいと言い出したのです。 ちなみに、父は特別神道を崇拝している訳でも無く知識もほとんどありません。 神式では、代々のお墓に遺骨を入れられません。魂も輪廻転生の輪に入れず、神棚に奉られる状態になると聴きました。 私は、生前散々苦労して来た母を、極楽浄土に送りたかったのです。 生まれ変わって、来世こそは、苦労無く、幸せな人生を送って欲しい。 しかし、神式では嫌な思い出ばかりが残る我が家に、魂を縛りつける事になるのでは無いかと心配しています。 父が私に相談も無しに依頼した葬儀屋さんも、神式葬儀の事例はほとんど無く、儀式なども曖昧に形だけやっている状態です。 母の亡骸は、まだ自宅に安置されています。枕直しの儀に必要な小刀などを担当の方が置いてくれました。 しかし、刀の置く向きが違います。葬儀屋さんのスタッフさん側に、神式の知識が無いのです。 用意出来る祭壇も小さく質素で、どうにも必要な用具が足りていません。これでは、あまりにも可哀想です。 まさか、お葬式の件で父とケンカをするとは思いませんでした。 どうしても神式で葬儀を行いたいのであれば、そこは仕方がありません。 ですが、せめて今の葬儀屋さんをキャンセルして、神式の儀式に詳しい、専門の葬儀屋さんに変えて貰いたいのです。 枕直しの儀を取り行ってしまった後のキャンセルは、失礼に当たるので出来ないのでしょうか…。 逆に、儀式をしたにも関わらず、別の葬儀屋さんで2度目の儀式を取り行う事は、 母の魂が迷ってしまったりなどの影響があるのでしょうか…。 葬儀業者をキャンセルして切り替えた経験のある方。 そして、数多くの魂を送って来られた、お坊様。 もう時間がありません。何卒、救いの手を差し伸べて戴けます様、お願い申し上げます。 大切な母親が人生の最後に、主役になれる日が葬儀だと考えています。 とびきり美しく、良いお式だったと言って戴ける様なものにしたい。私が出来る、最後の親孝行です。

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檀家総代について

先日父方の祖父が亡くなり、週末にかけて葬儀等を済ませたのですが 実は父が檀家総代をしているお寺の住職の母親の四十九日が祖父のお通夜と告別式が終わった次の日にあり 父は間もなくその手伝いに向かいました。 亡くなる1ヶ月前から祖父は施設のベッドから落ちて大腿骨を骨折したのちに入院と手術をしていたのですが その際はちょうど住職の母親が亡くなったあたりのタイミングだったため 本来であれば医師からの説明のためずっと病院に居なければならないはずが 檀家総代であるという理由から葬儀をまとめなければならず あまりそばに居ることができないような状況でした 「なんとかして祖父のそばに居てやれないものか」と言っても 父は「俺が葬儀のまとめをやらなければいけない」と返され聞き入れてもらえませんでした その時でも色々と疑問に思うことはありましたが まだ祖父は生きている状態だったので とりあえずはあまり口を出さずにいました でもなんだか今回は話が違うような気がするのです 昔からお世話になっているお寺なので 色々と感謝することがあるのは間違いなく 手伝う義務のようなものがあるのは十分理解しているつもりなのですが 身内の、しかも自分の親を見送るという時に葬儀から荼毘まで最低限のことだけして それが過ぎたあとは先にひかえている他人の葬儀を優先的にまとめるというのは なんだか祖父をないがしろにしているような感じに見えてしまってわたしは納得できません。 せめて四十九日までは自分の親のために集中できないものなのかと ただでさえ葬儀の前も後も大変だというのに… 檀家総代というのは、大切な家族の時間を犠牲にしてまでこなさなければならないものなのでしょうか? 本人に言っても、まわりに相談しても 「仕方がないことだから」と言われて終わってしまいます。 自分の行いは大なり小なり必ず自分にかえってくるものです もし自分があの世に行くときでも同じようにないがしろにされても良いということなんでしょうか。 あまりに薄情な気がしてなりません。。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ