ギリギリなってからでも達成させたい時
ギリギリなってしまってもう遅い?という状態になってしまった時、どう対処すれば良いでしょうか?
いつも余裕を持って動くのが苦手で、頻繁に時間ギリギリや、期限ギリギリになります。取り掛かりは早く計画も綿密に立てていますが、途中で脱線したり、体調を崩して結局最後時間に追われて上手くいきません。
その上亀タイプで時間をかけてコツコツというのが得意だと思っているのですが、スタートダッシュは兎タイプでペース配分できずに精神的に、体力的に、息切れしてしまいます。
ギリギリにならない努力は勿論したいのですが、もしギリギリなってしまったとしても、あきらめずになんとかやり通したい時何ができるのかを知りたいです。特に、心と身体のケアはどうすれば良いでしょうか?よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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無余修・無間修(むよしゅ・むけんじゅ)
具体的な状況によると思います。
絶対に間に合わないものなのか、ギリギリ間に合いそうなものなのか。
間に合わなければどの程度のデメリットがあるのか。
まずは、「間に合わなかった場合はこうしよう」と、最悪の事態を想定し、最悪の事態でも人生が終わるわけではないと、気持ちを落ちつかせましょう。
遅刻しそうなときに、急いで交通事故の加害者になるくらいなら、「すみません、遅刻します」と電話を入れて、わざと遅刻した方がマシです。
「最悪を想定」した上で、ギリギリ間に合いそうなら、間に合わせるように頑張るしかありません。
まず、作業の優先順位を決めましょう。
絶対にミスってはいけない作業と、多少ミスっていても良い作業があります。
洗濯機のスイッチを押し忘れてはいけませんが、洗剤の量を間違ってもたいしたミスではないでしょう。
で、優先順位を決めたら、今やるべき作業に集中します。
念仏の用語ですが、無余修(むよしゅ)と無間修(むけんじゅ)を意識します。
無余修は、余計なこと(別のこと)をしない。
無間修は、すき間なく、中断しないで行う。
まぁ、私たちには欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩があり、失敗はつきものです。
人生は、今できることを、今できる範囲でやるだけで良いのです。
できないことはやらなくて良いのです。
あと、二つ先の作業まで決めておく。
ひとつ終わったときに「次は何をしようか」と立ち止まって考える時間が無駄なので、作業の予定が決まっている方が楽です。
また、面倒くさそうな作業は、とりあえず10分間だけやってみる。ちょっとやってみると、どれくらい時間がかかりそうな作業なのかとか、作業の課題なども見えてきます。
漠然と「面倒くさそう」という状況を破るために、ちょっとだけやってみましょう。
質問者からのお礼
ギリギリできるか出来ないか、自分の力量次第で、判断しかねていたのですが、コロナの影響で、決断をしなければならない期限が少し延びました。今のうちにアドバイスしていただいたことを実践して考えつつ、達成できる可能性を高めておこうと思います。ご回答いただきありがとうございました。