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托鉢修行のお坊さん

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 以前、難波駅近辺でとても若いお坊さん(外国人のお坊さんもいた)が
お経を読みながら托鉢をレてました

でも凄い気合いで誰もちかずけない恐ろしい才ーラがあり…

近ずく人はいません。     しかしっ  私は

お金を入れてみたくて仕方なく   勇気を絞り込んで 遠めから

腕をいっぱい伸ばした! チャラン …  五百円 入れましたら

お坊さんが 頭を下げて私にお経を唱えてくれました(*_*)

でも 家に帰って思ったんです あんな凄い気合いでしてたのに

お金を入れる人がいた事は近ずいた人がいた事で…

寺に帰ったお坊さんは怒られたんじゃないかって…

教えて下さい  托鉢の修行とかあるなら お金を入れる人がいたら
気合いが足りなかったとかで怒られたりしませんか?

ずっとお20年くらい気になってしまっているので宜しく返信お願いします(>_<)ヽ


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

托鉢の意義

少し誤解があるようなので…。
托鉢は「人を近づけないようにするための修行」ではありません。
その逆で「多くの人が功徳を積むチャンスを作る」ためのものです。

僧侶を意味する言葉「比丘(びく)」の語源はbhikkhu、「食を乞う者」という意味です。
お釈迦さま在世のころ、仏教の出家者は世俗の労働をせず、托鉢のみによって食を得ていました。
在家信者は食事をお布施をし、彼らの修行を支えることで功徳を積んでいたわけです。

あらゆる人にお布施のチャンスを与えるため、僧侶たちはにぎやかな街やお金持ちの家ばかりでなく、過疎地の村や貧しい家へも分け隔てなく托鉢に向かいました。
マハーカッサパ尊者が、誰もが見放した瀕死の病人のもとへ托鉢に行ったときのことです。その病人は腐った一握りのご飯を鉢に入れようとしましたが、壊死した指までそこに抜け落ちてしまいます。尊者はその指をよけて、なんのことはなくその腐ったご飯を口にし、彼の最後の善行を完成させたそうです。

すずち様はお坊さまにお布施という善行為をなさったことで、功徳を積まれました。
聖者の集団、サンガを別名「福田(ふくでん)」とも呼びます。春に苗を植えた田んぼが、秋には何十倍何百倍もの実りをもたらしてくれるように、すずち様の元へもたくさんの福徳が訪れますように。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

良かった~ 

天野和公さまありがとうございます<(_ _)> 良いお話も聞けて嬉しいです。

指が落ちた辺りは凄く怖くて流石に世界を感じました(||゜Д゜) 

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