一緒に考察してください
2度目の質問です。
よろしくお願いします。
生きる意味、生きている意味、生かされている意味、それを考えると生きていた中で味わった事のない恐怖を感じました。
なぜ、怖いと思うのか一緒に考えては頂けませんか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死でなくならないものを求める~帰命無量寿如来
生きる意味について考えているのですね。そしてそうすると怖くなってしまうのですね。
生きる意味という問いについて他人から与えられる答えなどありません。あなたが生きる意味があなた自身で見出さなければならないのです。
例えば、野球選手が野球をする意味は、観客側や、経済的視点や、様々な角度から考えることができますが、その野球選手本人にとっては、本人が実際に野球をする中でしか証されないのです。どうして野球をするのだろう?と考えても答えは出ません。
同じように、生きる意味について考える事はとても大事なことですが、ただ考えるだけで何かが見出されることは稀でしょう。生きていく歩みの中でこそ何かが見出され得るのかと思います。
しかし、その見出したものを「答え」として掴んでしまうと、今度はその答えに人は縛られるのです。その答えに合う・合わないという価値観で自他を裁くようになります。
さらには、仏教的に言うならば「諸行無常(変わらないものは何もない)」という真理の前に、人はその「答え」を奪われることにもなるのです。
例えば、母親にとっての子や、芸術家にとっての作品など、私は「これ」のために生きているという「答え」は何ものにも代え難い希望を与えてくれますが、同時にそれを失うことへの恐怖・不安や、実際に失った際の絶望をももたらす諸刃の剣が「答え」なのです。
さらに言うならば、生きる意味として何を見出そうが、その見出す主体の私自身がいつか必ず死ぬという厳しい事実があります。
その時、「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」、という問いの前に人は無力に立ちつくすのみなのかもしれません。
しかし、だからこそ、そこで人は宗教を求めたのです。「死」を超えることができるのは宗教だけです。科学で死は実証できないので超えられません。宗教でこそ人は死を超えることができます。
それはけして何かを無理やり信じ込んで妄想・観念の世界に逃げ込むというものではありません。それこそ実際の宗教的求道のなかでこそ実証されるものでありまししょう。
生きる意味の問いについて答えなどありませんが、死を超えるものを求めているとは言えるかもしれません。
この問いについては過去質問にもたくさん答えています。是非読みあさってみてください。
https://hasunoha.jp/questions/42108
【後生の一大事】
"生きていた中で味わった事のない恐怖を感じました"
"なぜ、怖いと思うのか"
ズバリ【死】が怖いからでしょう。
もし、今のまま、このまま死んでしまうとしたら、、、
生きている楽しみを失う恐怖…
生かされている責任を果たせない恐怖…
死の向こう側が不明であることの不安から来る恐怖…
泣こうが喚こうが、誰にでもいつかは死がやってくる。
さあて、どうしたら安心して不安に樹って生きていけるかな。
守りたいものがあると怖くなる
仏教では、自我は幻だと考えます。
「私」は、概念上の実体のない記号にすぎない。
実体のない「自分」ですが、それに執着して守ろうとすると、怖くなりますね。
傷つきたくないとか、失敗したくないとか、バカにされたくないとか、みんな実体のない幻の「自分」に執着することで生じるストレス。
まるで「ウサギの角」のように、言葉で想像できても本当には存在しないもの。
それが「自我」。
本当は、細胞達が出しているエネルギーの波は、瞬間ごとに新しい「私」なのです。
たとえば、昨日の失敗した「私」は、記憶データに遺された他人の影にすぎないのです。
「自分」「私」を守らなくてもよい、できることをできる範囲でやればよい、それに対して他人にどう批判されても、批判された昨日の「自分」は、今日はもういないから平気へっちゃら、と思ってはどうでしょうか。
共に学んでいきましょう
拝読させて頂きました。
そうですね、一緒に考えていきましょう。
生きること死ぬことそしてまた生まれること、或いは仕事すること人と触れ合うこと会話すること様々あります。
その中で不安や恐れや悲しみや喜びや楽しみや感動もあります。
そのことで眠れない夜を過ごすこともこれから沢山あるでしょう。
自らの体験を通して実感して身をもって学び試行錯誤していきたいですね。
宜しければこれからもあなたの思いをここで教えて下さいね。
皆さんと一緒に考え学んでいきましょう。
あなたがこれから様々な出会いやご縁を通して学びお健やかに成長なさっていかれます様切に祈っています。
質問者からのお礼
ありがとうございました。