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自信をもつことができるようになるには

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有り難し有り難し 13

他人に対して、この人は弱いなと判断し、強く出て、上からの物言いや態度ができる人がとても苦手です。

いじめができるタイプといいますか、強い人間が怖いのです。

そういう目に遭うことが多いのは、私に問題があるのでしょうか。

私は人と揉めてまでコミュニケーションをとりたいと思いません。強気に出られたら、もう、その上下関係でいいやと流してしまいますが、大体の人は、調子にのってエスカレートしていきます。

そんな人ばかりだと思うと、生きていきにくいなぁとため息ばかりでます。

人を威圧感で押さえつけて上にたち、そこにはなにか意味があるのでしょうか。そういう人も必要でしょうか。あまりにもそういう人が多く感じます。

人を攻撃したくありません。
でも、威圧感にさらされるのも同じ人間として違うのではないかと。

毅然とできる、自信を自分に持ちたいと思うようになりました。

優しいだけでは駄目なのでしょうか。
なぜ、つけこまれるのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

優しさには、「強さ」という裏付けが必要

他者を尊重し、優しく接してあげたい。でも、人に付け込まれたり攻撃されたりするのは嫌だ。やはり、自分を守りたい。というお考えであると理解致しました。

1、優しくあるためには
  自分のやるべきことをきちんとこなせること。時間的にも、精神的にも、周囲を見渡す余裕を持つ。それ故、他者の置かれている状況を的確に把握し、必要な方々には言葉を掛けたり手を差し伸べたりする。要は「強さ」「安全」という裏付けがあってこそ、優しさは成り立つと思います。
  「なるほど。」とは思えるかもしれないが、現実にこんなことを出来る人はそうそういません。お釈迦様ぐらいです。そうです。お釈迦様をお手本として生きることです。お釈迦様ではあまりにも目標が高すぎるなら、職場や御近所でそういうお手本になりそうな人を見つけ、その方を見習って自分のスキルを磨いていきましょう。ここで言う「強さ」については他の質問への回答を参照してください。http://hasunoha.jp/questions/3588

2、自分を守りたい
  国家レベルで言えば、防衛力を保持することですね。つまり、全てのジャンルに用心棒を雇う事です。用心棒を現代に置き換えると、法律面で、弁護士。税務会計に税理士・公認会計士。経営財務に経営コンサルタントやファイナンシャルプランナー。会社の労務管理に社会保険労務士。身の安全にボデイーガード。手紙・e-mailの送受信に秘書。ファッションはスタイリスト。化粧はメーキャップアーチスト等々。全部門ではないにしろ、これらの専門家に守ってもらっている方々が相当数居ます。これら専門家の持つ能力を自分で兼ね備えるのが理想ですが、現実には無理ですよね。
   それで現実にどう対応するかと言えば、「A社会的常識は、身に付ける。」「B力になってくれる人脈を広げる。」の2点です。

A
詐欺とまでいかなくても、ネット・電話・訪問の営業で不要なものを買わされたり、必要以上のリフォーム契約をさせられたり、ということがあります。巧みな営業トークを見抜き論破するくらいの知識は必要かと思います。

B
自分を支え守ってくれる人。相談に乗り、支えてくれる人。そういう方々が常に側に居る。そういう人脈・ネットワークを作る。同時にあなた自身も日頃から周囲の方々の支えとなり、力となってあげることです。

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有り難し
おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。

子どもを産み育てる内に、自分を守りたい、立ち位置を確保しなくては存在意義を失うという感覚が染み付いていた気がします。
自分を守りたい、そんな自己保身の心は膨れ上がるのに、私には中身がないので、自信の無さが表れてしまっていたのかと、振り返りました。

攻撃したくないのは、攻撃されたくないからというだけで、純粋な人への優しさではなかったのかもしれません。いえ、そう思いたくないので、社会的な常識や知識を身につけて勉強していかなくてはと思いました。

また思えたり気づけたら、追記させてください。

「自分に自信がない」問答一覧

間違った正義感

こんばんは。 私には好きなアーティストがいます。 そのアーティストのことを呟いたり、そのアーティストを好きな人同士で交流する用のSNSのアカウントがあります。 3年前のことです。所謂同担拒否の方のアカウントを見かけてしまい、その方は友達募集の呟きを投稿していました。その呟きには「同担需要ない」といった文言が含まれており、当時私は凄く動揺してしまったというか私の存在が否定されてしまった気がして、傷つきと怒りが込み上げてきてしまいました。そのアーティスト自身が同担拒否について苦手意識を持っているため余計にそう感じてしまいました。何を思ったのか私はそのアーティストのファンについて書かれている掲示板に行き(ファンがマナーの悪いファンを批判しているような掲示板で雰囲気はあまり良くない掲示板です)「〇〇って人の友達募集の呟きが不快。お前の方が需要ない」と書き込んでしまいました。ですが私の書き込みを気に留める人はおらずそのまま流れていきました。その時の私は、発散できただけで満足であり書き込んだのはその一回だけです。 今現在、引越しや転職をする不安からか別の過去の出来事の罪悪感に陥っており、その流れで掲示板に書き込んでしまったことも思い出し罪悪感を抱いています。今その掲示板は書き込める上限に達し新たなスレッドが作られている状態です。一度書き込んで以来全く書き込んでいないのですが、間違った正義感を振りかざしてしまったと後悔しています。流れてしまった書き込みであり、今はおそらく誰も見ていないスレッドではありますが穴に入りたい気分です。 お相手は今どうしているんだろうとふと思い、記憶を辿ってアカウントを探したところ今は同担拒否ではなくなっているようでした。非公開になっていたためどういう呟きがされているかは分かりませんでしたが… 私はこの後悔とどう向き合っていくべきでしょうか。

有り難し有り難し 4
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自分が情けないと思う

こんばんは。私は幼いころ人に沢山迷惑をかけたり傷つけたりしてきました。 思い出すだけで穴に入りたい気分になります。 定期的に思い出してはどうしてあんなことをしてしまったんだろう、なんて未熟な人間だったんだろうと後悔するばかりでそのことが頭の中でずっとグルグルしています。すぐに切り替えられる時もあるのですが、休んでいる時や何もしていない時などは特にグルグル思考に陥ってしまいます。 ある出来事がきっかけで人に迷惑をかけない、傷つけないと決めてからなんとか自分を変えてきたつもりで、現在20代も半ばですが自分を好いてくれる人も多いです(恋愛的な意味ではなく信頼の意味) ですがその人たちをなんだか騙しているような気がして情けなくなります。自分はそんな好いてもらえる人間ではないと思ってしまいます。 今年に入ってすぐですが、私がとても傷つけられた出来事があり病んでしまい仕事を退職しました。暫くはその事を引きずっていたのですが今は落ち着いてきました。それと同時に人って大なり小なり人に迷惑をかけたり傷つけたりするんだな、私だけじゃないんだなと思う反面、過去にしてきたことが帰ってきた因果応報なのではないかと思ってしまいます。 考えたって過去は変えられないというのは頭では分かっているつもりなのですがどうしてもグルグル思考から逃れられません。 私は今後この後悔とどう向き合っていけばいいのでしょうか。

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盗撮をしようとしてしまいました

一年ほど前、電車内で前に座っておられた方を魔が差して盗撮しようとしてしまいました。 当時、自分は別の健全な目的で無音カメラのアプリを入れていました。また、自分のスマホのカメラには広い角度で撮れる機能がついていました。これらを使えば、スマホを向けずとも簡単に盗撮ができるのではないかと思ってしまいました。そしてその方が映るようにカメラを起動してしまいました。 シャッターを切る前に我に返り、アプリをすぐ閉じました。そして無音アプリを悪用しようとしてしまったことが恐ろしくなり、その場ですぐに無音アプリを削除しました。それ以降、盗撮しようとしてしまったことをずっと後悔しています。 シャッターを切らなかったとはいえ、盗撮未遂も盗撮と同様に犯罪です。盗撮や痴漢防止のポスター等を見たときなど、事あるごとに過去の過ちを思い出し、罪悪感で胸が苦しくなります。本来なら謝罪し、罪を償うべきですが、それを包み隠さず打ち明ける勇気がなく、ここまできてしまいました。 自分が撮ろうとしてしまった方は、おそらく自分のやろうとしてしまった事には気づいておられませんでした。また、証拠となる写真は撮っていないことから、自分が言わなければ誰にもこのことはわからないと思います。しかし、そのことが却ってつらく感じます。かと言って誰かに打ち明ける勇気もなく、保身に走る自分がとても嫌になります。 世界には盗撮や性犯罪に苦しむ方が大勢おられます。自分も過去に猥褻なことをされたことがあり、被害に遭われている方の気持ちがわかっていたつもりでいました。しかし、自分の軽はずみな行動で自分自身が加害者の側に立ち、人を傷つけようとしてしまいました。 この罪とどのように向き合っていくべきなのでしょうか。

有り難し有り難し 16
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私の悪行について

新高校1年生です。私はたくさんの人を傷つけてきました。小学生の頃、友達に嫌なことを度々言いました。 その子は親御さんの事情で引越して、その後に小学校の運動会であって、眼鏡の模様可愛いねという会話をした記憶があります。 もう1人私は掃除をちゃんとしない子に暴言を吐きました。他にも工作のぽんぽんや小さい消しゴムを人からとりました。 中学にあがって反省したのに私はまた過ちを犯しました。友達に嫌われたくなくて友人、先生、他人にまで悪口を言いました。本当に酷かったと思います。聞こえていたかは分からないけど本当に酷いことをしました。謝れる人には謝ったけれども私は嫌われたくないというエゴのために知らぬ人まで傷つけました。最低です。私が覚えてるより多くの人を傷つけていると思います。 そして、また新たな罪を見つけました。YouTubeのスカッと系の投稿に棒読みというコメントがついていて、5年前の私はそれに「たしかに」というコメントをしていました。それは結構前にしたコメントですが今更ながら削除させていただきました。投稿主さんはその後も動画を上げていましたが5年前に止まっていて、先程私は意味は無いかもしれないし、ひとりよがりですが、絵が見やすくて分かりやすかったという旨のコメントをしました。良かったのかは分かりませんし、投稿主さんがみているかは分かりません。 そして他に嫌なコメントをしてたらどうしよう、嫌なコメントにいいねしてたらどうしようと考えるようになりました。私が覚えてないだけで他の方も傷つけたんじゃないかと不安になります。誹謗中傷にあたるような容姿や振る舞い方について何か言っていないか本当に不安でたまりません。自業自得ですね。 死んだ方がいいと思うけど、両親を悲しませたくなく死ぬことはまだできません。謝れる人には謝りましたが、傷は消えません。私が傷つけた多くの人たちがまだ苦しんでいるかもしれない、私は人を殺してしまったのではないかと考えます。身勝手ですが私にはその人たちがどうか幸せに生きているように願うしかありません。私の罪は消えません。私はのうのうと生きていていい人間じゃないと解っています。ですが、私が今止まってしまったら、さらに多くの人に迷惑をかけることになります。どうしたらいいのでしょうか。おこがましいですが、私を導いてくださると嬉しいです。長文で申し訳ありませんでした。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ