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未来のお坊さんの在り方とは?

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以前とある聖職者(?)が言っていました。「宗教家は失業すればいい。失業するために頑張っている」
つまり必要とされなくなるために、存在しているのだと。

仏教離れが進みつつ、仏教以外にも悩みを解決する智慧が豊富にある今の時代、お坊さんはどんな気持ちで活動しているのでしょうか?

仏教を大切にすることと、僧侶として生計を立てるのは別であり、どうしても資本主義とは相容れない部分もあるかと思います。そのあたりは、どうお考えなのでしょうか?そこがわかると「宗教とカネ」という悩ましいテーマの理解が進む気がしております。

個人的には、未来の職業僧侶は、少数精鋭になるかと考えています。作家やユーチューバーのように、一部の人が活躍し、その他は趣味のような活動になり、狭き門になるのかと。

率直な意見をお聞かせ下さい。よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

興味深いご質問です

こんにちは、初めまして。

興味深い質問です。お答えしましょう。

「仏教以外にも悩みを解決する智慧が豊富にある今の時代」とのこと。
確かに、今は「悩み」に対処するハウツーの書籍、ネット情報は沢山あるでしょう。ただ、それらの情報は、先人たちの哲学の思索や、宗教の信仰や理論の積み重ねという土台があってこそ出来上がっている、派生的応用的なものです。現代に突然出てきたものではありません。その意味では、これまでの仏教の取り組みは人間・社会の重要な役割を果たしてきたし、現にその役割を果たしている(後述)と思います。美術、言葉、思考、対人関係の考え方等々、仏教は現代でも現在進行形です。一度お調べいただけると良いでしょう。

また、仏教にはその「悩み」の定義、そしてその「悩み」の原因の考察、またどう向き合っていくかによってそれぞれの宗派一流の蓄積があります。仏教の「悩み」の中心は、どの宗派であっても、生老病死(四苦)が中心になっています。つまり、死の問題(裏を返せば生きる問題)等々、自らが抱える自己中心性故に苦しまなければならないという人生のテーマについて、時間をかけて(←ここが重要)理解し、解決するべくそれぞれの宗派ごとにその対処法を考えています。

某知恵袋で、さっと聞いてさっと解決できる、という程度の「悩み」が仏教の中心テーマではありません。人間(私)そのものへの時間をかけた体系的な学びをすることは、仏教にとって昔も今も変わりません。この意味で確かに存続してく必然性があります。

「資本主義とは相容れない部分」とありますが、もう少し詳しく説明してください。

「未来の職業僧侶は、少数精鋭に」なり、「作家やユーチューバーのように、一部の人が活躍し」「狭き門」になるとのこと。「少数精鋭」というのは、裾野が広いからこそ「精鋭」として収斂できると思いませんか。「作家やユーチューバー」も数え切れないぐらいに活躍しているでしょう。最初から少人数を想定しているのなら、それは現実的ではないと思います。

また、どんな分野も他者の評価によって「狭き門」になるシステムはよろしくないと思います。なぜならば、評価する側が煩悩の集まりだからです。煩悩の集まりたる人がお坊さんを評価する。とても矛盾したシステムになると思います。

思いつくところを回答しました。

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有り難し
おきもち

浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布教研究専従職員 元龍谷大学講師 元篤志面接委員(法務省管轄) 真宗学修士、心理学学士 Fmみっきい(地元ラジオ局)出演中 趣味:サックス 2019年末頃から回答しています
応談できる時間帯は、その日によって違いますのでお確かめ下さい。 月曜日〜金曜日(祝日除く)13時〜21時 土曜、日曜、祝日 18時〜21時 お盆(8月1日〜15日)、お彼岸は対応できません。

職業としては、お医者さんに近いと思っています。

一人一人に主治医が必要なように
何でも相談できる存在としての
僧侶の必要性はあると信じています。

ただ
御布施だけで生活できる僧侶は減って
兼業する僧侶がほとんどになるとは思います。
でもそもそも
昔の僧侶はそういう生活であったわけで
近代の僧侶の生活が
特殊だったのかも知れません。

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有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
質問の的が大きすぎたと反省しております。

>また、どんな分野も他者の評価によって「狭き門」になるシステムはよろしくないと思います。

これが正に資本主義や市場原理であり、いろんな課題の本質だと思っています。ハスノハさんのシステムも、各宗教ごと宗派ごと個人ごとの力関係も、全て同じかと。

うまく言えないのですが、「それ」はお金にしづらい反面、宗教家の持っている「それ」を1/10でも社会に分配できれば、状況が変わるような気がしています。
宗教や布教という程でもなく、一般道徳に近いレベルの話です。
日本の仏教に限った話でもなく、世界中の宗教家の課題なのかと。

また経済界ではベーシック・インカムの導入を推す人がおりますが、
精神的なベーシック・インカムならば、既に寺院によって整備されつつあると思っています。つまり時代が早すぎたのかなぁと。

その辺りのビジョンが提示されると、お坊さんとどう付き合ったらいいかわからない一般人としては、とても参考になります。

重ねてご回答ありがとうございました。
他のご意見もお待ちしております。

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