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過去にとらわれず、今を大切に生きたい

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こんにちは。何回かご相談させていただいてお世話になっております。
私自身、タイトルの通り過去の出来事でずっと悩んでおります。

私は、もう30代半ばなのですが、いまだに過去の10代、20代の学生の頃の過ちなどをふっと頭に浮かべて何度も振り返ってしまい、その度に辛い思いをしてしまいます。
その時の自分の過ち、対人関係で人から受けた言葉など。
頭では過去の過ぎ去ったことなので、その対象となった人や出来事、許そうと思いながらもどうしても何度も振り返っては嫌な思いをして大声をだしたりと、繰り返してしまいます。私はおかしいのでしょうか。

それと、最近は生きることに疲れてしまっていて、生きがいを感じません。
今のコロナの影響もあってか気持ちも沈んでしまい、少し仕事もお休みしております。
自分は何のために生まれて、これからの人生をどう生きていくのか。自分は何者なのか。色々と自分自身に自問自答してしまいます。
心では、もっともっといきいきと過去を悔まず、今を生きたいと思っているのですが。。。

端から見たら私は結婚もして、仕事も大変ですが人間関係にも恵まれ、仲良しの友達もたくさんいます。とても幸せな環境下に生きているのかもしれません。

どうすれば過去を全て受け入れ、今ここに集中できるのでしょうか。
もう何度も何度も過去を振り返って辛い思いをする、自分自身を傷つける癖を治したいです。前向きに生きたいです。
どうかまたお言葉をいただけたら幸いです。
まとまりがなく、読みづらい文章をお読みいただきありがとうございます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

失敗や自己嫌悪の歴史が、これからを生きるエネルギーとなる

 ご質問からリラさんの真面目さ、誠実さが感じられました。

 私自身の人生にも重なるようなご質問だったので、ついつい我が身の今までを振り返ってみました。リラさんより長く生きてきた分、たくさん「その時の自分の過ち、対人関係で人から受けた言葉」のことを思い返しました。落ち込んだりした経験は私の方が多いでしょう。振返れば、いろいろと恥ずべき言動があったことを思い知らされます。

 人間誰もが「慚愧の心」を持っています。自分の行動を振り返り、自分の過ちや落度に気が付き、恥じ入ります。そして、同じ過ちを繰り返すのはやめよう、過ちを繰り返す自分を何とかしなくては、と反省します。それが仏教でいう懴悔(さんげ)です。少々ネガテイブな見方をすれば、人生なんて失敗と懴悔の繰り返しかもしれません。

 私は自分ではまあまあ真面目で勤勉で思いやりのある人間であると思っております。でも、実際には受験生の頃勉強しようと思って図書館に行っても雑誌コーナーで時間を浪費したり、運動部にいて走力が無いので早朝のジョギングを始めても二日で終わってします。そういう怠惰な面も多々あります。
 そういうだらしない人間でも、勉強でも仕事でも、苦しい思いをしながらも、わくわくした気分で集中力をもって、達成感を得られたこともちょっとはあります。
 
 禅の言葉に「唯嫌揀択」という教えが有ります。唯(ただ)揀択(けんじゃく)することを嫌うのみ、と読みます。揀択(けんじゃく)とは、ものごとをえり好みするということです。美味しいところだけ手に入れようと思っても、都合よくいきません。自分を改善しようと志すことは大事ですが、あまり欲張っても駄目です。

 失敗も自己嫌悪も無い人生なんてありません。黒歴史なんて思い出したくないかもしれません。でもね、それらを選り好みしてもしょうがないんです。黒歴史だって今のあなたを形成してきた「糧のひとつ」です。過去のいやな思い出は、あなたが自省し、自分を向上させていくためのエネルギーなんです。駄目な自分をしっかり見つめ、改善の決意を持ちましょう。但し、あまり完璧であろうとしても、無理が来ます。

 リラさんも、私同様に失敗と懴悔を繰り返すでしょう。でも、繰り返しの中に必ず改善と向上が有る筈です。失敗と懴悔を改善と向上の糧にしてください。
 

 

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有り難し
おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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