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僧侶になりたいが別の職も目指したい

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有難き法縁を最近恵まれて、僧侶になることを考えている者です。仏道に生きることは自分にとって良いだけでなく、それを世に広めることは非常に大きな意味があると思っています。教行信証を読んで、これは広めるべき教えだと深い感慨を得ました。寺族でない者が僧侶になる道もいろいろと調べました。
しかし、私が今まで積んできた学業を捨てて僧侶になることは本当に社会にとって最善なのか、と思いました。(現在、米国の大学に在籍し工学を勉強しています。ちなみに浄土真宗の寺に毎週通うようになったのもこの地です。)
もちろん、そこには自分が工学をやりつつ仏教もやるという煩悩もありますが、私がここまで工学の勉学を多額の費用が掛かるにもかかわらず進められてきたのも立派なご縁で様々な人のおかげです。技術者になれば社会に貢献できるとも思います。寺族でない者が別の職業に就きつつ僧侶になり寺を開くことは現実的でしょうか。
親鸞聖人は非僧非俗といいました。関東の農民とともに農作業にも励んだと聞いています。今日でも、別の職業に就き世の荒波に揉まれつつ、僧侶として(例えば、毎週日曜日に自宅をお寺にするなど)人々とともに仏道を歩むのは意味があることだと思うのです。
休日を持たない覚悟はあります。また、通常の寺という形に囚われず、布教所のように小さな形でも仏法を広められるのなら良いと思います。しかし、寺族でない人が別の職を持ちつつ寺を開くケースを拝見したことがありません。実際のところどうなのでしょうか。

2020年5月14日 0:54

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

【僧伽】サンガ

"寺族でない者が別の職業に就きつつ僧侶になり寺を開く"
"通常の寺という形に囚われず、布教所のように小さな形で"
"寺族でな"い人が別の職を持ちつつ寺を開くケース"

これを妨げる理由は何もありません。

しかしながら、殊に浄土真宗は【在家仏教】と言われるように、その教えは必ずしも寺の中にあるとはかぎりません。あなたの生活の場、活躍するステージ、ありとあらゆる場において、あなたの念仏の声が響けば、そこには聞法のチャンスがあり、そこは布教の現場となり、そして念仏の道場になり得ます。

ただし、本当に【宗教法人格】を取得しようとなると、これは大変ハードルが高くなるでしょう。また取得してしまえば、もちろん優遇される部分もありますが、それ以上に煩雑な義務や重大な責任などの様々な制約が発生します。

これについては、沖縄の読谷村にある「我何寺」様(ぬーがー寺)が、ちょっと参考になるかもしれません。

2020年5月14日 2:34
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となりのトトロの世界のような山奥の田舎の小さな小さなお寺の住職をしています...

むしろ相性がいい

拝見いたしました。
結論から申しますと、宗派によって変わりますが、ほぼ100%でOKです。

私自身がエンジニアでありながらお坊さんです。
周囲には経営者の方もいますし、作家や講演家、NPOや芸人など枚挙にいとまがありません。
昔まで遡れば、空海のような実業家もいるわけですから。
お坊さんは比較的時間が自由な部類なので、両立はできますよ。
その素晴らしい才能を工学にも仏教にも生かして欲しいです。

なぜ兼業が許されるのか?
それは仏教と工学の目的が一致しているからです。
日本では職業色が強いですが、本来仏教は苦から抜け出す生活と思考からできたものです。
そして工学とは、世の中の不便や不満を解消するために存在します。
なので工学と仏教は相性がいいんです。
あなたが工学の知識を活用して多くの方に抜苦与楽ができるのであれば、それはお坊さんとして誇るべきことなはずです。

ぜひ、理想に向かって頑張ってください。

2020年5月14日 2:28
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昔あなたのような人物がいらっしゃいました。

下記をご参照ください。
https://www.bdk.or.jp/bdk/founder.html

あなたの経験はきっと活かされるでしょう。

ちなみに私も理系で在家出身です。

2020年5月14日 23:32
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和田隆恩
 1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱...

兼業はむしろ多いが新寺建立は少ない。

あなたは工学をしていて、仏教に目覚め、僧侶になりたいとのこと。非常に尊いことです。

私は小学1年の時の夢が「電気屋さんになりたい。」で、住職をしていた父に「お坊さんが電気屋さんはできるけど、電気屋さんはお坊さんになれないんだよ。」という屁理屈で、「お坊さんになりたい。」に書き換えさせられた人生で、高校のときも工学部に進みたかったです。でも趣味で無線とパソコンに夢中になって、それを親ほも許してくれました。インターネットができてからはそれにずっとはまっています。という自分語りはさておき、本来仏教は兼業を認めていませんでした。

しかし時代の流れとともに認められるようになりました。日本では親鸞聖人がその流れを作ったのでしょうね。本来農作業も土中の虫を殺すかもしれないということで禁じられていたのですから。仏堂に籠って瞑想するだけの仏教から衆生によりそう仏教へと変化したのです。

また現実的には兼業をしているお坊さんはたくさんいますというかほとんどではないですかね。寺の経済的事情が大きいですが、昔は先生や公務員が多かったのですが、公務員の兼業禁止が厳しくなって以来、介護職が多いイメージです。

ただ、新寺建立はハードルが高いです。というか、それが難しくなっている理由は、いきなり宗教法人格取得とか既存の寺院のような箱モノを作ろうとするからじゃないのですかね?転落院さんの言われる通り、宗教法人格の取得は自己物件であることとかハードルが高いです。
浄土真宗系単立寺院のみんなの寺のケースはありますが。(本が出てますが、とても面白い。)

個人事業として寺(のようなもの)を作ることは可能でしょうし、これからは増えてくると思いますね。寺という箱モノはあまり必要ではなくなりましたから。坊さんという人がこれからは大事になってくるでしょうから。

寺の始まりも鎌倉新仏教は最初は寺ではありませんでした。草庵とか道場とかいってお坊さんが住み仏道にはげんでいるところで法を説いたのが始まりです。

一般の家を布教所にしてしまうということで言えば、キリスト教が先行しているように思います。普通の家に十字架つけて、教会にしてしまいますからね。

仏教では数は少ないですが、アパートの一室を寺にしているケースがあります。天台宗の寺院ですが、宗教法人格は取っていない寺だったはずです。(名前失念)

2020年5月14日 9:24
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浄土宗僧侶ですが、時宗の一遍上人と同じころ活躍した一向上人の流れです。宗門...

質問者からのお礼

僧侶以外の方面でも活躍されているお坊様方の話を実際のお坊様から聞かせていただき、非常に大きな助けとなります。現在だけでなく、行基など、古くから技術者であり僧侶という組み合わせは多くあるようですね。簡単なことではありませんが、広く道を模索していきます。ご回答をありがとうございました。

「出家・得度・僧侶になりたい」問答一覧

はじめまして

はじめまして、ぽん太と申します。 家族に病人がたえず悩んでますが、毎日仏壇などで般若心経など他の経典も 読んでます。僕は、学生時代は一般在家でしたが、道元禅師などの教えにすごく興味があり、もちろんお釈迦様も、仏門に入ろうと永平寺などへ出家を考えた時もありました。40すぎですが、仏門に入るのはもう困難でしょうか。 自分はよくないいじめとかによくあい死のうとも何回も思って首を吊りかけた時もありまぶした、今でもありますが、仏教のことを思うと気が少しは変わります。それと僕は霊感は無いほうですが、頭の中などでは何かが見えたり、聞こえたり、光見たいのが見えたりもしてます。 いろんな宗教宗派をもっても大丈夫なんでしょうか。今では新興宗教とかもあるみたいですが、 家族の病気がちを考え仏教の勉強をたくさんし、仏 菩薩様などにいろいろお経を唱えることで気持ちを和らげていました。 お経には深い意味があることもわかってました。 お坊さんたちに深い教えをいただけたら嬉しく思います。 お経などにも出てくる仏教の苦の意味を知りたいです。 お坊さんたちと交流出来たらいいなと思ってます。 よろしくお願いします。仏教をさらに学んでいく所存です。

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出家の是非について

長文で失礼します。 下記のような問いを持っており、その考究(あるいは超克)に残る人生を費やしたいと考えております。 現在そのための生活様式を模索中で、出家もひとつの選択肢として考えております。   早速質問ですが、 ①下記のような問いは、仏教の中で取り組むに値するのでしょうか。 ②考究にあたり、仏教はもちろんなのですが、その他の学問の助けも借りたいと思っています。出家した場合それは可能でしょうか。   ご回答いただければ幸いです。   ーーーーー   私は相互作用の世界の中に生きている。それはすなわち、常に他者に対して影響を及ぼしている、ということ。しかし、そのような在り方は自然・当然なこととして無視されてよいものではない、と私には思われる。   私の眼前には生きるか死ぬかの選択肢が平等に与えられており、自覚的にしろ無自覚的にしろ、前者を選んで生きている。裏を返せば、私には自死という、他者への影響を自発的に止められる能力が備わっている。   一般的に生きることは尊いとされ、自身の幸福の追求が当然の権利としてみなされている。しかし私が生きるということには、他者の生や意志を損ねる、負の影響が必ず伴う。   そうであれば、生とは害悪ではなかろうか? その害悪性を無視してまで、この生は礼賛されるべきものなのか? 私はただ、生きたいという自分本意な欲求に盲目的に従っているだけではないのか? 生と死を選択肢として与えられている私が、なお自分を生かし続けるのはなぜなのか? 私が生きようとすることを、私はいかにして是認できるのだろうか?

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師僧について

自分は仕事でもプライベートいつも選ばれない人間だと感じていて、今までそれを周りのせいにしてきました。周りを恨んできました。でも最近「それは違う、それは自分のせいだ」と思うようになり、それもまた苦しく数年間悩み続けてきました。その結果、仏教を学びたいと思いある寺院を訪問しました。 そこの寺院は家からはかなり遠いのですが、住職の日々のブログの文章に感銘を受けて訪れました。仏教の制度についての勉強をあまりしておらず、未だよく分かっていない部分もありますが、一度目の訪問のときに在家得度をして修行をすることになりました。得度式までに2回訪問し、お経や念珠について教えていただき、衣の購入と着用の仕方などを教えていただきました。 しかし、実際に師僧にお会いしてみると文章の印象とはかなり違っていて戸惑いを感じました。他の修行僧の悪口ばかり言い、〇〇さんという人がいるけどあの人は声が小さいんだよね覇気もないしありゃダメだとか、××さんという人がいるけどあの人は覚えが悪いんだよねいつまで経っても覚えないとか、事あるごとにこぼします。 更に、他の修行僧や私の個人的なこと(懺悔でお話するような超個人的な内容)を「この人はこういうことで悩んで僧を目指してる」などと大声でみんなの前で言われたのにも驚きました。一緒に修行をするので、そういいったことは公にして共有するものなのでしょうか。 そしていつも尼僧たちにばかり声を掛け師僧の両脇に座らせ、頂きものの菓子を尼僧たちにだけ分け与えていて、これも驚きました。お坊さんだから清廉だとは思いませんが、イメージしていた姿と全く違い戸惑いを感じています。 自分のような考え方は偏っていて堅苦しいですか?会社でも部下のことを重箱の隅をつつくように悪い部分ばかり見て、一方で女性ばかり可愛がる上司もいますが、その上司がどんなに仕事ができても仕事のやり方は参考にしますが、尊敬はできません。 でも師僧には尊敬を求めたい。尊敬できる師の下で修業したい。こんな考え方は青臭いでしょうか。会社と同じように、修行も仕事も同じで、師僧から技術を教わればよしとするものでしょうか。もう得度式も終わってしまい、実際の修行に入っていますが、もやもやとした迷いが生じてしまい悩んでいます。

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得度に関して

大学院に通う22歳です。 将来、浄土真宗本願寺派で得度させていただきたいと考えています。 しかしながら、実家は寺院ではなく、無宗教で所属寺院もなければ、現時点で私は門徒でも無いため、どのように立ち回ればよいのか悩んでいます。 近隣に本派の寺院はあるのですが、学生の身分で足を運ぶのはすこし勇気がいることで、なかなか難しいのが現状です。 もともと宗門大学で4年間仏教について学び、より深く学びたいと思ったため、今年4月からは同大学の大学院に進学しました。 得度したいと思うに至ったのは、僧侶として生計を立てていきたいという訳ではなく、この大学で4年間過ごしてきたなかで様々なご縁を頂き自分の中で信仰心が芽生えたこと、またもっと深く知りたい学びたいと思ったこと、そして自らが仏教をこの先も研究していく過程においてやはり実践者として知見を心得ることは重要になるのではないかと考えたからでした。 正直なところ、このような動機で得度したいと言って良いのか、お門違いで身のほど知らずなのではないか、と考えることもあります。この点についてもご意見を賜りたいと共に、こういった場合はどのように動き、ご縁をいただくのが良いのか、ご助言をいただきたく思っています。 何卒よろしくお願い申し上げます。

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師僧との関係と僧籍について。

この分野には詳しくありませんので、恥ずかしながら諸大徳にご相談致します。 私の師僧(60代独身)についてなのですが、元々精神的な問題を抱えている人で、感情が高ぶると御葬儀の場やお法事の席でも大声で叫んだり、真言宗の住職でありながら真言宗や弘法大師を否定してカルト宗教に入ったり、お檀家さんや周辺とも何かとトラブルが絶えない人なのですが、数年前師僧の母親が怪我で入院した頃からさらに言動がおかしくなり、私にも「これからは毎日8時間無料で留守番しに来なさい。」等々無理難題を言ってくるようになりました。 それまでも師が母親を病院に連れていく日などには勿論留守番やお手伝いにはこちらから行っていたのですが、それで何を勘違いしたのかだんだんと要求がエスカレートしてきた状態です。 ちなみに私はお寺に雇われているわけではなく、役僧でも内弟子でもありません。 2,3か月に一度御葬儀の助法をする程度なので、普段は他の仕事で生計を立てており「私も生活があるのでさすがに毎日無料奉仕というわけには・・・」とやんわりお断りしたところ激昂されてしまい、「そんな薄情な事を言うなら師弟関係を解消させてもらう!!」と怒鳴られ師弟関係を人質に度々大した必要性もないような用事などに呼び出されております。 近所に買い物に行くだけのほんの数十分程度の外出にも留守番に呼び出されるので、仕事場からも「そんなにしょっちゅう休むんなら辞めてほしい。」と通告され、年齢的にもかなり厳しい状況です。 その旨を師に伝えても「弟子が師匠のために多少の犠牲になるのは当然の事だ。」等々しれっと言うので最早信頼などとてもできませんが、それでも在家から苦労して20数年なんとか必死の思いで続けてきた僧籍だけは消したくないと思い、ギリギリまで我慢してきましたがこれ以上の師の要求はとても受け入れられず、離弟(僧籍削除)してもらうしかないかと覚悟しております。 総代会も30年余りの間に正式に開かれたことはほとんど無い状態で、相談してもどうにもならない状態です。 そこで離弟する(僧籍が無くなる)ことでどういったデメリットや僧侶としての行動に制限が出てくるのか、師僧が無くてもできることはあるのか等、様々なパターンについてお詳しい方がいらっしゃいましたら御教示いただきたく思います。

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