僧侶になりたいが別の職も目指したい
有難き法縁を最近恵まれて、僧侶になることを考えている者です。仏道に生きることは自分にとって良いだけでなく、それを世に広めることは非常に大きな意味があると思っています。教行信証を読んで、これは広めるべき教えだと深い感慨を得ました。寺族でない者が僧侶になる道もいろいろと調べました。
しかし、私が今まで積んできた学業を捨てて僧侶になることは本当に社会にとって最善なのか、と思いました。(現在、米国の大学に在籍し工学を勉強しています。ちなみに浄土真宗の寺に毎週通うようになったのもこの地です。)
もちろん、そこには自分が工学をやりつつ仏教もやるという煩悩もありますが、私がここまで工学の勉学を多額の費用が掛かるにもかかわらず進められてきたのも立派なご縁で様々な人のおかげです。技術者になれば社会に貢献できるとも思います。寺族でない者が別の職業に就きつつ僧侶になり寺を開くことは現実的でしょうか。
親鸞聖人は非僧非俗といいました。関東の農民とともに農作業にも励んだと聞いています。今日でも、別の職業に就き世の荒波に揉まれつつ、僧侶として(例えば、毎週日曜日に自宅をお寺にするなど)人々とともに仏道を歩むのは意味があることだと思うのです。
休日を持たない覚悟はあります。また、通常の寺という形に囚われず、布教所のように小さな形でも仏法を広められるのなら良いと思います。しかし、寺族でない人が別の職を持ちつつ寺を開くケースを拝見したことがありません。実際のところどうなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【僧伽】サンガ
"寺族でない者が別の職業に就きつつ僧侶になり寺を開く"
"通常の寺という形に囚われず、布教所のように小さな形で"
"寺族でな"い人が別の職を持ちつつ寺を開くケース"
これを妨げる理由は何もありません。
しかしながら、殊に浄土真宗は【在家仏教】と言われるように、その教えは必ずしも寺の中にあるとはかぎりません。あなたの生活の場、活躍するステージ、ありとあらゆる場において、あなたの念仏の声が響けば、そこには聞法のチャンスがあり、そこは布教の現場となり、そして念仏の道場になり得ます。
ただし、本当に【宗教法人格】を取得しようとなると、これは大変ハードルが高くなるでしょう。また取得してしまえば、もちろん優遇される部分もありますが、それ以上に煩雑な義務や重大な責任などの様々な制約が発生します。
これについては、沖縄の読谷村にある「我何寺」様(ぬーがー寺)が、ちょっと参考になるかもしれません。
むしろ相性がいい
拝見いたしました。
結論から申しますと、宗派によって変わりますが、ほぼ100%でOKです。
私自身がエンジニアでありながらお坊さんです。
周囲には経営者の方もいますし、作家や講演家、NPOや芸人など枚挙にいとまがありません。
昔まで遡れば、空海のような実業家もいるわけですから。
お坊さんは比較的時間が自由な部類なので、両立はできますよ。
その素晴らしい才能を工学にも仏教にも生かして欲しいです。
なぜ兼業が許されるのか?
それは仏教と工学の目的が一致しているからです。
日本では職業色が強いですが、本来仏教は苦から抜け出す生活と思考からできたものです。
そして工学とは、世の中の不便や不満を解消するために存在します。
なので工学と仏教は相性がいいんです。
あなたが工学の知識を活用して多くの方に抜苦与楽ができるのであれば、それはお坊さんとして誇るべきことなはずです。
ぜひ、理想に向かって頑張ってください。
兼業はむしろ多いが新寺建立は少ない。
あなたは工学をしていて、仏教に目覚め、僧侶になりたいとのこと。非常に尊いことです。
私は小学1年の時の夢が「電気屋さんになりたい。」で、住職をしていた父に「お坊さんが電気屋さんはできるけど、電気屋さんはお坊さんになれないんだよ。」という屁理屈で、「お坊さんになりたい。」に書き換えさせられた人生で、高校のときも工学部に進みたかったです。でも趣味で無線とパソコンに夢中になって、それを親ほも許してくれました。インターネットができてからはそれにずっとはまっています。という自分語りはさておき、本来仏教は兼業を認めていませんでした。
しかし時代の流れとともに認められるようになりました。日本では親鸞聖人がその流れを作ったのでしょうね。本来農作業も土中の虫を殺すかもしれないということで禁じられていたのですから。仏堂に籠って瞑想するだけの仏教から衆生によりそう仏教へと変化したのです。
また現実的には兼業をしているお坊さんはたくさんいますというかほとんどではないですかね。寺の経済的事情が大きいですが、昔は先生や公務員が多かったのですが、公務員の兼業禁止が厳しくなって以来、介護職が多いイメージです。
ただ、新寺建立はハードルが高いです。というか、それが難しくなっている理由は、いきなり宗教法人格取得とか既存の寺院のような箱モノを作ろうとするからじゃないのですかね?転落院さんの言われる通り、宗教法人格の取得は自己物件であることとかハードルが高いです。
浄土真宗系単立寺院のみんなの寺のケースはありますが。(本が出てますが、とても面白い。)
個人事業として寺(のようなもの)を作ることは可能でしょうし、これからは増えてくると思いますね。寺という箱モノはあまり必要ではなくなりましたから。坊さんという人がこれからは大事になってくるでしょうから。
寺の始まりも鎌倉新仏教は最初は寺ではありませんでした。草庵とか道場とかいってお坊さんが住み仏道にはげんでいるところで法を説いたのが始まりです。
一般の家を布教所にしてしまうということで言えば、キリスト教が先行しているように思います。普通の家に十字架つけて、教会にしてしまいますからね。
仏教では数は少ないですが、アパートの一室を寺にしているケースがあります。天台宗の寺院ですが、宗教法人格は取っていない寺だったはずです。(名前失念)
昔あなたのような人物がいらっしゃいました。
下記をご参照ください。
https://www.bdk.or.jp/bdk/founder.html
あなたの経験はきっと活かされるでしょう。
ちなみに私も理系で在家出身です。
質問者からのお礼
僧侶以外の方面でも活躍されているお坊様方の話を実際のお坊様から聞かせていただき、非常に大きな助けとなります。現在だけでなく、行基など、古くから技術者であり僧侶という組み合わせは多くあるようですね。簡単なことではありませんが、広く道を模索していきます。ご回答をありがとうございました。