生きていればいいことがある?
生きていればいいことがある、と言って、自殺願望のある人を思い止まらせようとしますが、私には「生きていればいいことがある」は、綺麗事にしか聞こえません。誰がそんなことを言いきれるのでしょうか?
このご時世でも仕事があり、何とか健康で暮らせていれば、十分幸せとも言われます。
確かにそうかもしれませんが、安定だけを求めて就いた、そんなに好きでもない仕事をし(自己責任ですが)、特に楽しみも見つけられず「ただ生きているだけ」。つまらない人生だと思うし、特にこのところ、いやなことばかりが起きます。
趣味を見つけようと色々やってみましたが、何をやってもそんなに楽しくありません。
気分を変えようと美容院なども行きますが、全然。何をすれば自分が喜ぶのか、わかりません。
最近は、食べることもそんなに好きではなく、人生八方塞がり。
泣ける時もありますが、「心療内科に行け」と言われます。そんな答えは求めていません。
この、嫌な状況、仏教などの心意気で、払拭できないものでしょうか?
「心療内科に行け」以外のご回答をくださるとありがたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【遠離一切顛倒夢想】『般若心経』
満足=達成度/欲求
欲求をどれだけ達成できたかによって【満足】が決まる。
人間は、誰もが分子である「達成度」を大きくすることで満足を得ようとする。しかし、放っておけばどこまでも膨らみ続ける「欲求」に、いつまでたっても「達成度」が追いつかず、結局「不満足」の状態から抜け出せずにいるのが、今のあなたの状態です。
仏教は、分母である「欲求」の方をどこまでも小さくしていく事で、満足を獲得していく作戦を教えている。
ちなみに、GDP(国内総生産)GNP(国民総生産)といえば、カネやモノがどれだけ動いたかで国の景気をはかる指標の事だが、仏教国であるブータン王国では、GNH(国民総幸福量)という指標を用いて、どれだけ稼いだかではなく、どれだけ国民が満足を感じられたかを役人がガチで調査し、これで国の豊かさをはかっている。
私は生きていて良かったと感じています。
20代のサラリーマン時代は
仕事や人間関係に疲れウツ状態になり
死ぬことばかり考えていました。
顧客のお坊さんたちと雑談する中で
だんだん元気になっていって
脱サラし入寺しました。
そこから20年以上経ちましたが
良いことも(もちろん悪いことも)
経験させてもらいました。
これは私だけの事柄ですが
私はそういう人生を歩んでいます。