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仏教における種の概念と死の現場の妥協点?

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六道輪廻では、ヒトと動物を明確にカテゴライズする立場があるかと思います。(あくまで大雑把な区切り、とする見解があることは知っております)

遺伝子工学(ヒトの遺伝子を含んだブタの誕生、デザイナーズベイビーなどの事例)やペット葬儀が発達する昨今、葬儀をすべき生命としなくてもよい生命の区切りを、どのようにお考えでしょうか?
もしその区切りが恣意的なものであれば、無縁仏は困るから供養してくれ!みたいな話は一体なんだったのでしょうか?というか、過去の葬儀文化そのものが、疑わしく思えてしまいます。

まさに諸行無常や諸法無我を見える化するような技術が、更に発展していく見通しです。仏教界は死刑制度などの発信にも慎重なようですが、個人的には今こそ仏教の出番だと思います。 

https://www.google.com/amp/s/www.kyoto-np.co.jp/articles/amp/149140

そのあたりは、どんな状況になっているのでしょうか?宗派ごとの見解というより、お坊さん個人ごとの発信ばかりを目にします。組織的な働きかけを期待して待つのは、間違っているのでしょうか?

よろしくお願い致します。

2020年5月17日 21:58

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

日本の仏教は、本来の仏教ではないのです

ご質問有難うございます。
拝読させていただきました。

ご質問が複数あるようなので、私なりの回答をさせていただきたく思います。

葬儀をすべき生命としなくてもよい生命の区切りについてですが、供養すべき生命はどのような命であっても供養すべきです。
葬儀をしなくてよい生命はありえません。

また、もともとお釈迦さまは、「葬儀は仏教者が行うことではない」といわれています。
現に、お弟子さんからお釈迦様の葬儀はどうされたらよいかと聞かれた際に、「お前たちは葬儀には関わらず自分の修行に励みなさい」とおっしゃっています。

時代の背景で、今のような葬儀の形になってはおりますが、その形態は時代背景によって変化しているだけです。
本来、仏教は「よりよく生きるため」「生きている人間のため」にあるべきものなのです。
そういう視点からみていくと、お坊さんがいまの葬儀文化を形成したのではなく、日本の社会が要求するような形に対応したと考えています。

そのため、無縁仏は困るから供養してくれ!というのも、困るのは残された遺族です。
(無縁墓になると物理的には困る場合もありますが・・)

死刑制度に関しても、私個人の意見では、仏教界はもとより日本が他の諸外国に比べると遅れている感じがします。
これも国民性があるからでしょうか・・・

現実的に考えれば、死刑制度もそうですが、尊厳死なども仏教界でどう受け止めるべきか考えないといけませんね。

余談ですが、仏教は「よりよく生きる」ためと申しましたが、僧侶は「苦しみを取り除く役割」も担っていると感じております。
その点からみても、このハスノハはよい行いかと感じております・・

+++

ご返事ありがとうございます。
とみたさんのご質問で、改めて仏教について考え、新しい気付きがございました。
なかなか周りを変えていこうと思うと難しいですよね。
とみたさんにお伝えした言葉が偽りのものにならないように、日々励んでいきたいと思います。

+++

今後の供養文化については書いている記事は、今のところないのですが、今後こういう内容も書いていきたいと思います。
カンタンにいってしまえば、苦しみや悲しみを癒していける文化になっていければと考えております。
またとみたさんのお考えもお伺いしたいです。

2020年5月18日 2:22
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合掌 私は日蓮宗の坊さんです。 2人の男の子を持つ父親でもあります...

葬儀は文化にすぎない。やりたいからやる

葬儀は、やりたいからやるだけ。
ただの文化・風習にすぎません。
だから、相手が人だろうと畜生だろうと、やりたければやればよいし、やりたくなければやらなくても良いです。
無縁仏で困るという意味がわかりませんが、お寺の境内にお墓やお骨を放置されると、他の檀家さんに迷惑になりますから、祭祀の後継者がいないなら、しかるべき処分(撤去など)をしてもらわないと、他人に迷惑をかけることになります。
亡くなった者のために、生きている人が善行為をして、その功徳を回し向けることは、良いことだと思います。
亡くなった方が、人以外の天や餓鬼や畜生や地獄に転生している可能性もあります。
功徳の回向や供養の対象は、人に限定する必要はないと思います。
死刑制度については、仏教では不殺生が基本ですが、世の中は仏教徒ばかりではありませんので、社会に対して仏教団体があれこれ口出しする必要はないかもしれません。
戒律は個人の問題です。
不殺生を徹底したい人は、あまり殺生しなくてよい職業を選ぶべきでしょう。
死刑執行に携わる仕事には、つかない方が良いでしょう。
しかし、現実問題としては、殺生しなくてよい職業はほとんどないかもしれませんね。

2020年5月19日 0:48
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浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

質問者からのお礼

ありがとうございます。
どちらのご回答もタイトルがド直球で、とてもうれしいです。

別に葬儀文化は悪いことではありませんし、多少仏教と乖離したって問題ないと思っています。但し、それを利用してポジショントークに励んだり、適当な説明で煙に巻く僧侶の多さ、何よりも鵜呑みにするだけの消費者に、ウンザリしているのが本音です。きっと多くの方も同じでしょう。
お二方のようにはっきりと違うと言って頂けると、仏教界の悪いイメージがかなり回復すると思うのですが、、。
まぁ文句があるなら、自分で変えろということなのでしょうね。
私のフィールドで頑張ろうと思います!とても参考になりました。

(なお、この質問はカーッと感情的に書いてしまったので、ラブレターを読み直したような恥ずかしさです、、!!!)

「仏教全般」問答一覧

待つことは仏教でも大事ですか?

前の話と似たような内容なのですが、同じ職業(画家)の好きな人と疎遠になっています。 母親曰く「待て」と言われてます。 向こうの方が立場が上なので、まずは実力をつけろと言われてます。会うのはそれからでもいいだろうと。 私の中に、なんでこんなに頑張らないといけないんだ、という焦る気持ちと、 頑張って違った新しい自分という土俵でまたお会いできたらという気持ちがあります。 焦っている時、イライラして家族にも邪見にされるときがあります。 また逆におろおろしまってもっとゆっくり物事を進めなさいともいわれます。 親の言うことは正しいと思っているのにイラっとすることもあります。 でも待ちながらそれが正解だと感じることもあります。 画家の仲間が増えて、みんな同年代の人は凄く苦労されてその中でも夢に向かってひたむきに頑張っている。中には同業者に貶されている人もいる方もいますしバイトしながら、別の仕事をしながら頑張っている人も。 年上の人達は年上の人たちでライバルがいて、年下の人たちに追い上げられそうになる中、孤高に取り組んでいる方もみられます。 もっと年上の人は本当に素晴らしい絵を描くのに、それでも絵の事で悩んでいる人も見ました。 私も貶されたり叱咤されたこともありますが、励まされたり期待されたりしながらやってていて、しかも家族も一応応援はしてくれてるので救われてる方だなと思います。仲間の話をネットや現実で聴くのもためになっています。 そういう人たちを見てると、その人がきっかけで待っていた縁のパワーって侮れないなと感じました。 仕事を極めるというのは難しいですね。 もっとゆったりとした心で仕事や日常に向かい、精進したいと思ってますが、 中々できない自分に悩んでます。でももっと視野を広げて縁のパワーを広げたら、いつかまたその人に仕事を通じて出会えるんじゃないか、同業者として支えられるぐらいの力が持てるんじゃないかという不思議な気持ちがしています。 こういう待つ縁の話は、仏教のお話にもあったりしますか?

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仏教の教えを守ってるけどダメみたいです

最初に、、、別に報われたいわけではありません。 どちらかというと達観していると思います、いろいろ経験して結論として出した考えです。 仏教を勉強し、理不尽な目に会う度に疑問に感じるので質問をしたいです。 ・人の不幸には圧倒的な差がある。→どうしようもない、心の持ち方一つで変えられるものではない、不幸は不幸。 仏教修行をして執着を手放してる群発頭痛の人が幾ら心もの持ち方を変えても苦しく痛みに関しては、生まれつき健康で他人に危害を加える人よりも圧倒的に不幸である。 ・人に親切にしたり愛したり優しくしても、恩を仇で返されたり感謝すらされない人もいる。→最新の研究では人はサイコパスに魅力を感じるようです。また生まれつきの容姿や印象で好感度が変動するようです。 ストックホルム症候群や共依存など他人に優しくしない方が人は恩恵を得れる生物のようです。 ・人に与える人より搾取する人の方が富を得れる。不幸量は下がる。 →本人の認知としては搾取している気がしない人も沢山います。 というより世の中先進国は後進国から搾取していますが誰も富を彼らに分け与えません。 そして搾取した人達の方が贅沢できます。 教育を受けたいサウジアラビアの女性よりも専業主婦になりたい日本人女性の方が教育が整備されています。 食べ物を欲しがるアフリカの貧しい人よりも、廃棄する先進国の人の方が不幸ではありません。 ・感謝しても報われないが、他人を侮辱して壊す人は報われる。→感謝感謝の毎日ですが、感謝するより他人を貶す方が相手を支配できます、経営学や政治学ではよく言われてますが他人を従わせるには恐怖や暴力的な支配が有効です。 当たり前と思ってる方が気が楽です、私たちの生活にはありとあらゆる犠牲があります。小さい細菌やらが私たちの身体を守り、昆虫が生態を守り、牛さんの内臓が食べられ、低賃金の人がサービスを支え、私のような人はガス抜きにされ笑、後進国の人を搾取して。それに感謝してたらキリがありません。当たり前と思って見下してる世界に対して感謝ゼロの人の方が楽ですよね笑  ・耐え忍んで努力しても惨めに何も得られず、生まれてただ朽ち果てるのみ。→生まれつきかなりの運命が決まっていて、奮闘しても生まれつき全てを手に入れてる人に搾取される世界です。 報われなくてもいいから、少しは良い方向に向かいたい

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解脱って怖い?

昨今の陰鬱とした情勢の中、多忙を極められておられるであろう僧侶の方にご相談をさせて頂けることに感謝いたします。 私は、宗教や哲学などの学問に興味があるのですが、仏教における「解脱」という考え方に一抹の不安を覚えています。 といいますのも、この概念は様々なしがらみから解き放たれ、心が安らぐという点で素晴らしいと思う一方で、考えようによっては自己研鑽や他者との競争といったものを一蹴し、様々な枠組みを冷めた目線で見る無情で腰の引けた概念にも捉えられるのではないか、と思っているからです。 例えば、世俗では結婚を是、独身を非とする意見を度々耳にするのですが、私自身は伴侶の有無だけで人の貴賎が決まることはない、もっと言えば、そんな二項対立などで張り合いしないで平和の範疇で気楽に生きればいいのにと思っています。 ところが、ある時似たような意見を呟いた方が、ネット上で「生存競争についていけなかった腰抜けの負け惜しみ」、「生命や家族の尊さが分からない薄情者の言い草」といった罵倒を浴びせられているのを見て、この意見は既婚者の方や婚活を本気で行っている方に対して無自覚の批判や無粋な発言になり得ると悟らされたことがあります。 私自身は、特定の誰かを見下そうという気は全くないのですが、多くの人は何かと甲乙つけたがるものらしく、今に至るまで自身の本心が話せず度々肩身の狭い思いをしています。 そして、私が何より恐れているのは、この考え方を極限まで突き詰めた結果、今回の相談含め、全ての悩みについて「んなもんどうでもいいから腹でも切ってさっさと涅槃においでなさい」と強引に押し切られることです。こうなると最早立つ瀬がありません。 ただ、一つ思う所があるのは、「救世を考えるお釈迦様や僧侶の方々がそんな本末転倒な事言う?」ということです。 思えばこれまでハスノハでお世話になった方々からそんな極端なコメントを頂いたことは全くないですし、私が浅学の身で解脱という概念を持ち上げる余り甚だしい見当違いをしているとも思われます。 長々と語らせて頂き申し訳ないですが、私の悩みはこんな感じです。 今一度断っておきますが、私はこの概念を弱さの言い訳や他人を足蹴にする詭弁に使うつもりは毛頭ないです。 そのことを踏まえて、本職の方に解脱という概念について忌憚なきご意見をお聞きしたいと思う次第です。

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