弟への嫉妬をやめることができません
私には5歳年下の弟がいます。幼い頃は自分が兄としての優越感、そして兄として弟を守らねばと思う気持ちがあったのですが、同じ屋根の下でありながら、互いに異なる人生を歩んできた事でその見方が変わってきました。
一言で言い表すならば、嫉妬です。高校を中退し、勉強もできず、スポーツも苦手で体も弱く、友人もいない、そんな私と、高校では生徒会で活躍し、成績も常に上位、スポーツ万能で、友人も多い弟。この頃から嫉妬を持ち続けていました。
そして社会人になった今、弟は私にはないものを全て持っています。安定した職業、数多くの友人、車やお金、そして家族からの愛情。
仕事や友人、金銭は己の人生が歩んできた結果ですし、嫉妬するまでもないのかもしれません。ただ、私が幼少期より愛してきた、私にとって人生の全てとも言える車を、私よりも先に所有し、家族からの愛を一身に受けるその姿を見ると、生きているのが苦しくなるのです。
弟には何の罪もありません。それどころか、私の見ていないところで想像もしない苦労もしてきたでしょう。しかし、それでも嫉妬がやめられないのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
誰しも嫉妬心は持っています。
嫉妬は自然と湧き上がる感情で、止めたくて止められるものではありません。当然、私も嫉妬している人が何人もいます。ただ、嫉妬するのは人と関わって生活している以上仕方ないことで、それ自体は悪いことではないと思います。
それを、自分を奮い立たせる材料に転換できないでしょうか? 弟さんの陰ながらの苦労を想像できる貴方なら、可能だと思います。
塩ラーメンと醤油ラーメンはどっちが正しいか
家族、兄弟意識を捨てましょう。
兄弟の違いはラーメンの違いだと思ってください。
塩ラーメン、醤油ラーメンとはあなた方兄弟の事。
出汁というDNAは両親から頂いたもの。
兄の個性は兄の個性。
弟の個性は弟の個性。
仮に同じみそラーメンでも味噌にもいろんな種類がある。
比較や競争ではありません。
絶対的な個性です。
自分が醤油ラーメンなら醤油を厳選し、出汁に持戒柳雄を加え、サービス、提供内容を検討し、醤油ラーメン部門で花咲かすように精進すればよいのです。
生きていくための術は、無限にあります。
人が望むものの数だけあります。これからも生み出すことができます。
シンプルな醤油ラーメンもあれば、トッピングが沢山のものもある。
保存がきくインスタント者もあれば、すぐにできる冷凍物もある。
あなたはあなたの道を切り開くべきであると思います。わたしにも兄がいますが兄には兄にしかない部分があります。それは私には絶対にまねができませんし、それが兄の持つ個性です。
私みそなら、あなたはしょう油?塩でも、とんこつでも我が道をゆくべし、です。
自分の出汁が、何部門で花咲くか。あなたしか持っていない可能性を信じてください。
執着心
「私にとって人生の全てとも言える車」
これが大きなウェイトを占めてますよね?
人が愚かである理由にはいろいろありますが、その中で大きなものが「執着心」です。
車なんて大きかろうが小さかろうが、人を乗せて安全に走ったら良いだけの代物と思えば、それだけのものでしかないのに、そこにこだわるあまりもっともっと大切であるはずの「人とのご縁」が見えなくなっているのではありませんか?
そして、あなたは「兄」である自分への執着心も強いのではありませんか? あなたは、「弟」がいるから「兄」なんですよ。逆もしかり。
「自分」とは、「他人」がいるから成り立っているし、兄は弟や妹がいるから成り立っているし、親は子がいるから成り立っている。
兄であるあなたのおかげで、弟さんは弟として成り立っているし、その逆もしかり。
それらすべては、自分の思い計らいを超えた「ご縁」によるものであり、そのあなたという存在を形成している「ご縁」を否定しようとするから苦しんでいらっしゃるのだと思います。
あるがままなり。
他を気にしてばかりいるあまり、ご自身の在り方をしっかり見つめることがおろそかになっているようにお見受けいたします。
仕事は稼ぎも大事ですが、充実感や達成感をどれだけ得られるかが大切であり、家は雨風がしのげて安眠できれば良し、車は安全に人を乗せて走れば良し、そう思いませんか?
車がお好きだというご趣味に関してどうこう言うつもりはありません。しかし、弟さんや他の人の車と比べてどうこう思う心、つまり執着心によって純粋に好きという気持ちもただの意地を張る道具になりかねません。あなたは、あなたのペースでお好きな道をコツコツ進んでいけば良いのではないかと思います。
合掌