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お坊さんとしての職業は価値のある人生か?

回答数回答 5
有り難し有り難し 89

お坊さんには失礼な質問と思い躊躇ったのですが、やはり聞いておきたいので質問

します。お釈迦様は無常を説き、人生は無価値である語ったと聞いたのですがお坊

さんという立場は価値のある人生なのでしょうか。私は今、瞑想をして個人的に

心を浄化をいている最中で気になって質問しました。大変不躾にな質問で申し訳

ありません。

生きとし生けるの全てが幸せでありますように。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お坊さんに限らず、

必要とされている職業は
全て価値があると思っています。

では
人生はというと
どのような立場の人であろうと
どのような状況にあろうと
どなたの人生も価値があります。
それが仏教のものさしです。

現実社会に生きているから
世間のものさしで
勝ち負けや損得で
自分の人生をはかってしまいますが
それとは別のものさしを知っただけでも
お坊さんになった甲斐はありました。

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おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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お釈迦さまは「人生は無価値」などと言っていません

 「お釈迦様は、人生は無価値であると語った」とありますが、それは誤りです。
 確かに仏教の基本に「無常」(諸行無常)がありますが、お釈迦さまの説いた「諸行無常」とは、人生は無価値であるという意味ではありません。私たちの心は、周囲の刺激を受けて、うれしかったり悲しかったり、怒ったり恨んだり、いろいろ変わりますよね。その事を言っているのであり、悲観的詠嘆的なことを言っているわけではありません。
 私たちの心は、コロコロと変わるから、悪い事をせず、善いこと(人のためになること。四摂法・六波羅蜜など。瞑想(禅定)もそのひとつであるがそれだけじゃない)をして、善い心の状態を保って、楽しく生活しようというのが仏教の教えなんです。お坊さんは仏教の教えに従い善い生き方をして、みなさんにも仏教の教えを伝え善い生き方に導くものだと私は考えています。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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ブランドの価値。。。。

あなたが幸せでありますように

天上天下唯我独尊とはいいますが、
お坊さん「ブランド」に価値があるわけでなく
人の尊さのことを述べていると思っています。

お坊さんの価値の大小ではなく、弥陀の価値に救われる。

慈悲の瞑想さまがしあわせでありますように
慈悲の瞑想さまが報われますように。

+++++++
返信ありがとうございます。
僧侶は職業か生き様かという問答は若い頃から議論にあがっていました。

僧侶の価値は何によって支えられているのか、師匠からの度蝶なのか、信者からの布施か、食材となりし動植物のいづれか、はたまた全てか。
また、その価値は僧侶にしか当てはまらないのか、無戒の名ばかりの比丘や衆生にも当てはまるものか、そんなことも考えています。

青空の境地にはまだ遠いですが、僧侶も迷いながら歩んでいます。

心の中の真摯なお言葉ありがとうございました。

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おきもち

泰庵  一法
「変えるべきは自身ではなく歩む方向」「時間とお金の使い方」「向きが変われば...
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私(お坊さん)自身が幸せなので

私(お坊さん)自身が幸せなので、まぁいいんじゃないかなと思います。
たまたまお寺とご縁があったから仏教を学ぶ機会に恵まれたので、ラッキーでした。
また、私に仏教を学ぶ機会を与えてくれたお寺に、少しばかりの恩返しはしたいなと思っています。
慈悲の瞑想、いいですよね。
私は浄土宗のお坊さんですが、若いとき、テーラワーダ仏教の某長老の瞑想指導に参加したこともあります。
それも、お坊さんとして仏教全般に興味があったからこそのご縁だと思います。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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慈悲と智慧により

拝読させて頂きました。
あなたの思いやお考えは至極当然な疑問かと思います。

僧侶や宗教者としての価値は人それぞれの人生や生き方によっても違ってきますので一概には言えないかと思います。

人がどのように生きていくか、それを正直に問い答えを見つけたり生き方を見つけていくには僧侶や宗教者という道は価値あると思います。

お金儲けの為や名誉や権力や社会的な地位を得る為の職業としては僧侶や宗教者としてはあまり価値はないのではないかと思います。

改めてこの様な世界や世の中の状況にあって宗教者の価値は問われていますし、人々に何を伝えて与えることができるかによっても本当の僧侶や宗教者としての価値が見直されてくると思います。
そして私達僧侶や宗教者も限りある命や人生を生きています、そして必ず天寿を全うする時が参ります。その時に本当の価値が分かると思います。

テクノロジーがどんどん進化してもそこには本当にあまたのものが救われる道はありません。いつか人は死なない存在になるかもしれませんけれども、そこに真の慈悲や智慧や慈愛や信仰が無ければ決して救われることはないと思います。

私個人的な考えですが真の仏教や宗教や信仰はあまたの生きるものを救い導き幸せを与えることができると信じています。

おそらくその様なことを素直に問いながら生きることは真に尊く価値のある人生と思います。

あなたもゆっくりお考えなさって下さいね。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

たくさんのコメントを頂き本当にありがとうございます。人生で様々なことがあり今、人生が足踏みの状態です。その時お釈迦様の人生や真理にふれとても勇気づけれらました。お坊さんと言う仕事に興味があり憧れがあります。現在、世界はウィルス禍にあり人が自由に行動ができません。日本も同じ苦しみにあります。私も瞑想の修行を行いたいのですがそれがままなりません。その時にふと思い綴った次第です。ありがとうございました。
生きとし生けるもの全てが幸せでありますように。

冷静になって考えたのですがタイトルの付け方が間違っていると思いました。私はこれまで他に比べて才能がなく社会的価値を何とかつけようと執着していたと思っていました。ようやくそこを克服することができ、ほっとしていたのですが人生の困難にぶつかりお坊さんになれないだろうかと考えていました。ですが様々な心の葛藤に悩まされもしやお坊さんになることを自分の価値を高めるためではないかと不安になったのです。それならばお坊さんとは何だろうかと思い始め書き込みをしたのです。もう少し瞑想をして心の汚れをとり考えてみたいと思います。全ては因果によるものですので無理をしないで生きていきたいです。
生きとし生けるもの全ては幸せでありますように。

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