自殺します
23年間自分なりに自分のペースで頑張ってきました。生きてるいる中で家庭の状況や恋愛、仕事全てにおいて自分の存在価値がないことがわかり生きているのが辛いそう思ったため自殺を決意しました。
23年間楽しい事や大切な友達もできましたがそれ以上に自分の無力さ存在価値の無さに全てを掻き消され1日1日ただただ過ごしていくのに疲れました。そして、ここに投稿させていただいたのはお坊さんに極楽浄土へと導いてくださりますようお願いをしたいと思い投稿いたしました。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
おつらいこととぞんじます。
その決意にいたるまでにどのような事が積み重なったのか、
推し量るのみではありますが、
どうかこれよりは、あらゆるものに「ありがとう」を言う時間だと
思い、おすごし頂けたらと存じます。
水、空気、太陽、家、電気、本、
草花、お肉、お魚、野菜、
手、足、つめ、心臓、口、鼻、目、
どれもこれも、わたしが望んでそうなったものではないものによって
有難くも存在し、ここまでわたしを生かしてくれていたものです。
そのひとつひとつに感謝し、
「死んでもいいでしょうか?」と
お声がけしてみてください。
極楽とは、そうした「感謝」に満ち溢れた世界。
あなたが行こうという世界は、まずこの世での練習が大事だと
わたしは心得ています。
導くことは出来ても、そこで歩くのはあなたご自身です。
自分で「極楽を成す」ことが大事です。
おしゃかさまはそれが本当の「自業自得」だと仰ったのだと
わたしは理解しています。
大変ななかを、書き込んで下さり、ありがとうございます。
あなたにさちあれ。さちあれ。
書き込みありがとうございます。
自分の思いを書くということは良いことです。たとえそれが自殺の気持ちであったとしても。
極楽浄土に導いてくれるのは坊さんではなく阿弥陀仏です。ですからあなたの菩提寺に行き本堂の阿弥陀仏(本尊が阿弥陀仏でない時は阿弥陀仏と思って)を前にして正座して手を合わせて心ゆくまでしっかりと南無阿弥陀仏と声に出してお称えするのが一番いいと思います。
もしそれが不可能ならどこでもいいので南無阿弥陀仏と声に出してお称えください。極楽浄土に行きますようにと願いながらお称えください。
ただ、極楽浄土に行けばそこであなたはあなたのご先祖様とお会いすることになるでしょう。ご先祖様は「どうして若くしてここに来たのかね」と聞かれるでしょう。
あなたは「やれることは全てやり、やるべきことも全てやり尽くし、思い残すことがなくなったので来ました。後悔はありません。」と答えることができるでしょうか?
今のあなたではできないのではないでしょうか。あなたは絶望を感じたから極楽浄土に来たのですから。それではご先祖様はきっと悲しまれると思います。
ですから、その前にできることをやり尽くすことを私はあなたにお願いしたい。
あなたの今の状況はよく知りません。
しかし、ハスノハに投稿できるならパソコンかスマホがあり、扱う手があり見る目もある。整った文章を書く知能もある、あなたには様々な能力や環境があると思います。あなたは決して無力ではありません。あなたの頭や身体を使ってできることはこの世にまだまだ沢山あるのではないでしょうか?
仕事も恋愛も人生の中で移り変わっていくものです。あなたは今とても辛い思いをしているのでしょう。でもそれはきっと人生という旅の中での山や谷ではないでしょうか。それを超えたらまた楽しみや幸せを感じられるところに行き着く可能性があると思います。
この世にはきっとあなたの力を必要としている人がいます。そう信じて視野を広げてあなたにできることを探してください。
あなたの拠り所はどこにありますか
こんにちは、初めまして。
「家庭の状況や恋愛、仕事全て」、その詳細は触れられていませんが、あなたのお辛い心中をお察しします。もう全てが灰色、いや真っ黒に見える、そんな時がある。私にも分かります。
分かります、と申しました。
あなたの落胆された事実と、私の経験からくるそれと同様のものかは、はかりようがないことは勿論ですが、少なくともあなたの心中を察したく、そう申しました。
以下は、あなたに資するものがあればと思って書いております。
よかったら参考にして下さい。
「存在価値の無さに全てを掻き消され」と書かれています。
繰り返しになりますが、あなたの落胆された事実の詳細を存じません。
しかし、他者から否定されたら、「存在価値」は終わってしまうのですか。
それは、あなたが他者に「存在価値」を預けていたからではありませんか。
自分の耳で感じ、舌で味わい、手で触り、足で踏みしめてきた生きる実感、喜びは他者がどうこう言おうとも確かにある、と思います。
自分には、大切なものがあった、ある。
自分がそう思えばいいのではありませんか。
他人があなたの人生を生きるのではありません。
あなたが、あなた自身の手で、誰よりも自分を大切にして生きるべきではないかと思います。
「極楽浄土へと導いてくださりますようお願いをしたい」とのことなので、浄土真宗の立場から一言申します。
死=極楽ではありません。
極楽に往かれたいのがご希望でしたら、一生を掛けて聴聞(ちょうもん)されて下さい。法話を聞くことを聴聞といいます。聴く、聞く、とにかく聞きなさいと浄土真宗では勧められます。簡単そうで簡単ではないのですが。
そのことで、あなたが人生の拠りどころを得ながら、自分の「存在価値」について再確認が出来る。
その道筋が、極楽へと続く歩みの中で発見して頂ければと願います。
ご参考になれば