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厄年について。

回答数回答 2
有り難し有り難し 19

こんにちは

厄年について教えてください。
私は今年、前厄です。
主人の勧めもあり、厄払いというものに行きました。
ですが、お恥ずかしながら そもそも厄年ということが、どういうものなのかわかりません。
しっかり理解せず厄払いに出向いてしまい、心がもやもやしています。

よく耳にするのが不運が続く事や心身に不調が訪れる…ということです。

いつか不運がくるのではないか…
また少しでも 気分が落ち込むことがあるとこれは前厄だからなのか、と勝手に結びつけてしまい逆に自ら厄に飛び込んでいる気がしてなりません。

前厄、本厄、後厄と三年続くと聞きましたがこの先ずっとそうなのでしょうか?
(勝手に魔が取り憑いたイメージです)

この厄というものを理解し、向き合うためにも (厄年)というものを教えていただけませんでしょうか?

そして、私はその間どういう立ち振舞いをしたらいいのか教えてください。

この厄年というものは家族も巻き込んでしまうものなのでしょうか…?

どうぞよろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悪いことがあるのか、悪いと思う自分の都合があるのか

こんにちは。ご相談拝読しました。

厄年については過去にもたくさん質問が寄せられているので検索して調べてみてくださいね。
さて、厄年とは科学的根拠はなく、由来もよくわかってはいないけれども根強く続いている風習です。仏教的には一切否定されるものであると私は思いますが、厄払いをあつかうお寺さんもありますので何か考え方もあるのかもしれません。

基本的には

>少しでも 気分が落ち込むことがあるとこれは前厄だからなのか、と勝手に結びつけてしまい逆に自ら厄に飛び込んでいる気がしてなりません。

とお感じの通り、これが厄年の正体でしょう。

厄年であってもなくても、不運もあれば病気もあれば気分が落ち込むことはあります。それらには厄年というわけのわからないものでなく、何かしら原因があってそうなるものです。

病気であれば遺伝や不摂生、事業の失敗であれば見通しの甘さなど、自然災害だって地球規模・宇宙規模の原因があってそうなるべくしてなっています。

原因があって結果が生じる。これが仏教の説く通りです。

その原因について自分の都合の悪いものには目をつぶって何かのせいにするというが迷信でしょう。厄年もその一つではないでしょうか。

そうはいっても風習が残っている以上気にかかってしまうことは避けられないのかもしれません。
それならば「厄年のせい」だととらわれて思いに振り回されるのでなく、「厄年だから気をつけよう」くらいに活かせたら一番よいです。

厄年であってもなくても都合の悪いことはいつでも起き得ます。自分に起こるか家族に起きるかは思い通りになりません。

問題は外にあるのでなく自分の都合にあるのです。自分の内を見つめる教えが仏教です。
せっかくのご縁ですから仏教を学ぶと日取り・方角・占いなどなどに惑わされなくなるかもしれませんね。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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厄祓いとは、身と心を守るための民俗行事です

 厄、厄年については、明確な根拠や決まりはありません。厄祓いや厄除けの祈願を依頼される寺院や神社では、厄年の一覧表を掲示して前厄・後厄も付加してますね。全部の厄年に前厄後厄を含めて、毎回神社で厄祓いしてもらったり、お寺で厄除けの御祈祷をしてもらいます。

 仏教の教えには「厄」「厄年」「厄祓い」というものはありません。そもそも「厄」というものの根拠自体が不明です。でも、平安時代の貴族の間では厄祓い・厄除けが行われていたそうですから、長く日本人に親しまれてきた民俗行事と言えます。
 日本人の宗教観を考える上で、重要なFactorの一つに「ケガレ」という概念があります。その具体例としては、古来から死穢(しえ 死によって穢れること)、血穢(けつえ 出産や月経の血で穢れること)が広く知られています。
 字数の関係で詳しく書けませんので、私が昔OK WAVEに書いた回答と私のブログ記事を参照ください。
https://okwave.jp/qa/q2473435.html
「喪に服すとはどういうことか? Part 1、Part2」
https://ameblo.jp/dorinji/entry-12510254503.html

 かなり大雑把な説明になりますが、厄とはケガレに近いものと理解すれば宜しいと思います。根拠は不明ですが、人生の中で、身体に変調を来したり、災禍が起きたりすると考えられています。その原因が厄であり、厄を取り払うために、厄除け・厄祓い・厄払い等の儀式行事を行います。神社で「祓い給え、浄め給え」と言ってお祓いを受け護符をいただく。お守りだけいただくこともあります。お寺で厄除けの御祈祷をしていただき祈祷札を戴きます。親類縁者や友人を集め、会食をする「厄払い」もあります。いつ健康を害し、災いが起きるかわからないから、緩みがちな心を戒め神仏の加護を願う。そういう民俗行事です。厄祓いをしなくても、災禍があるとは限りません。そんなに恐ろしく考える必要はありません。
厄祓いが定着し地域の恒例行事となっている場合、皆と一緒にお参りぐらいはしないと居心地が悪いから、お寺か神社をお参りした方が無難でしょう。厄祓いは無用であるとは申しませんが、気に病むほどのことでもありませんよ。

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おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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質問者からのお礼

こんにちは

お返事ありがとうございます。

記載されているように、質問について検索したのですが納得できる答えがみつからず…もう一度しっかり教えていただけるかとの願いを込めて、こちらから質問させていただいた次第です。

風習、ということで
少しだけですがスッキリしました。

私自身、心にとめている宗派等はありません。仏教ですとそういった方角や占い等にまどわされない教えなのですね
これから学ばせていただこうと思います。

ありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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