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死後の世界

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相談です。今、15歳なんですが最近
よく死後について不安になるんです。

他の人の相談も見たりしているんですが、
もし無になったら怖くて、夜に一人で
泣いてしまいます。

自分が忘れたくない人を、忘れてしまったり、思い出がなくなったり、会えなくなったりなるのかと思うと、おかしくなりそうです

化学的に証明されてないので、
信じていてもやっぱりこわいです。

死後の世界はあるのでしょうか?
死んだら、意識と記憶はどうなるんでしょうか?
もし死後の世界があったら、そこでは、地球が滅んでも永遠にみんなと暮らせるんでしょうか。

長いですが、よろしくお願いします🤲


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

往還。往って還る。行って帰る。

ご質問拝読しました。
見えない、聞こえない世界
ですからね。
死んだら一体どうなる?
人間にとって、
生きとし生けるもの、
全ての課題ですよね。

愚僧も霊能者ではないのでは、
あるのか、ないのか?
わかりませんよ。

親鸞聖人のお師僧さまである、
法然聖人が、

往生三度になりぬるに、
この度ことに遂げやすし

とおっしゃっています。
三度とは、
インドにおいては
比丘、お坊さんとして、
次は、
中国において
お坊さんとして、
今度は、
日本において、
お坊さんとして、
まもなく終えようとしていますが、
今回は特にスッキリと、
清々しく往生できそうだと。
おっしゃっています。

悩んでも仕方ありませんよ。
誰にもわかりませんから(笑)
だから、
先達、先輩の言葉を
信じるのです。
信じ切るしか、
このわたしにはないのです。

この世界の修行を終えたら、
浄土に戻り = 還る
また向こうで磨き、
また時期が来たら、
娑婆世界に生まれる = 往く

だから、往還

向こうが故郷で
こちらは旅所なんですよ。

仏さまがいらっしゃって、
コンコンと肩を叩き、
そろそろ時間です。

と言われたら還るだけです。

この娑婆世界は
修行の場、
神仏の手足となって、
世のため人のために、
お役立ちできることは、
ないだろうか?

そんな人になりたいものです。

あなたの人生はこれから、
あたまは真っ白になり、
腰が曲がり、
杖をつくようになった頃、
愚僧が浄土から、
迎えに来ますから、
ご心配なく。

ご活躍を祈っていますよ。

あなたなら大丈夫!

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おきもち

個別相談可能
浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向きに楽しく愉快に生きていくためのヒントを自分自身も考え続けながら、また少しでも皆さんのお役に立てればと考えています。できるだけ、わかりやすく簡単にお答えしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。現在も整骨院をやっていますが、医療福祉関係の仕事に長年従事してきました。他に、知的障がい者施設の仕事に関わらせていただいています。また、イジメや引きこもりなど子どもたちのために何かできることがないか、現在模索中です。フリースクールをお寺で開講予定しています。仏教特に浄土学は死ぬまで研鑽だと思っていますが、居眠り専門なのが、課題です。

宗教が説く死後の世界

こんにちは。亀山純史と申します。私が考える死後の世界の見方をお話したいと思います。

現在、死後の世界は科学的にはわかっていません。また、将来においてもわからないでしょう。それは、死後の世界とは、実験や観察をすることができない分野だからです。一方、各宗教は死後の世界を説いています。

科学的にはわからないことを、宗教が説いている、ということは、「宗教が説くところの死後の世界とは、科学的な見方による世界ではない」ということです。(宗教の中には、科学の見方と同じ視点に立って、死後の世界が客観的に存在する、と説いている宗教もありますが、少なくとも、死後の世界が客観的に存在する、ということを、客観的に証明することは出来ないと私は考えています。)

しかし、この宗教による死後の世界は、単なる科学的な見方の代用ではない、ということです。つまり、「死後の世界は科学ではわからないから、宗教がその分野を担っている、ということではない」ということです。なぜならば、宗教による死後の世界には、「生きること(どう人生を生きていくべきかということ)への価値観」が含まれているからです。

宗教が死後の世界を語るとき、それは「宗教的な見方」に基づいています。宗教的とは、絶対者を通しての見方です。絶対者とは神様や仏様です。(私は仏教徒ですから、仏教の視点でお話します。)仏教における仏様とは真理(一如)の世界から来られた方(如来)ですが、その仏様の世界、つまり、仏教が説く真理(一如)の世界に基づいて説かれる世界が、極楽浄土です。そしてその世界は真理の世界ですから、それは仏教の価値観に基づく世界です。そうして、この極楽浄土は仏様の世界ですから、それは悟りの世界であって、死後の世界に限定される世界ではありません。でも、極楽浄土は真理の世界ですから、それは死後にも及ぶ世界であり、仏教における死後の世界としても捉えられているのです。

以上が私からの回答です。少しでもご参考になれば幸いです。

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おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

そればっかりはわからない

おはようございます。質問拝読しました。
死後の世界を想像し恐怖する事、私もありました。
こればかりは見てきた人がいないから100%確実にこれというものはありません。この世で確実なのは必ずいつか命は尽きるという事だけです。

答えになっていないかもしれませんが、私がお通夜などでお話するのを簡単に書くと「亡くなった人は往生された、往生とは生まれ往くと書きます。どこに生まれるのか?阿弥陀仏の極楽浄土へ諸仏としてお生まれになり私達に光を届けてくれる」とお話をする事があります。

私もこの娑婆の世界で命を終える時、諸仏の一員となれるよう、今この瞬間を懸命に生きております。

学生時代の友人など永遠に友好な関係が続くと信じておりましたが、この年になりそれぞれ人生があり、ふと思い出してはあいつ元気にしてるかなと思う事はありますよ。

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一般家庭の長男として生まれ、会社員を約20年経て浄土真宗の僧侶となりました。僧侶としてはまだまだ駆け出しではありますが、会社員経験と仏教の甘辛ミックスで皆様とともに成長させていただければと存じます。どうぞよろしくお願い致します。 令和2年4月から住職として延光寺にはいりました。やる気満々頑張ります。 ※お電話でご相談頂く場合はあらかじめメールなどで日程調整させて下さい。 法務で出たり入ったりが多いものですからその方がしっかりお話しを聞かせて頂けます。

無記から輪廻説そして極楽浄土へ

釈尊は死後の世界に対しては「無記(むき)」(語らず)だったとされています。

しかし仏教の発展に従って、インドの古典的死後感である輪廻(りんね)説が導入され、それが発展して六道輪廻(ろくどうりんね)説になります。

輪廻(りんね)説とは生まれ変わりを繰り返しているという説で、六道輪廻(ろくどうりんね)説は地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人(にん)・天(てん)の六道(ろくどう)を輪廻(りんね)するというものです。

その後大乗仏教の興起により、菩薩(ぼさつ)という考え方が出てきて、浄土経典が成立します。

その中の『観無量寿経』の注釈書である唐の善導大師の『観経疏』により口称念仏は理論づけられています。

いわゆる念仏を唱えれば(信を起こせば)西方極楽浄土に行けるというものです。

私はそれを信じる一方で、また科学的な輪廻を信じています。自分の五蘊(ごうん)(体の構成要素のこと)は地に返り、また別な生物へと輪廻するのだと。

脳が死んでしまう以上、死後の意識の存続はありえないと。唯脳論も信じていますからね。

死後の世界があるとすれば、脳が死ぬ間際に見る世界なのではないかと思っています。いわゆる臨死体験ですが、これも民族や宗教によってさまざまと言われていますから。恐らく刷り込みなんでしょうね。

それが幸せであればよいのではないでしょうか?

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浄土宗僧侶です。 寺に生を受け、小学校5年で、得度(お坊さんになる儀式)、その後宗門大学(浄土宗の僧侶養成機関)である大正大学佛教学部で学び加行(住職修行)を得るための修行)を受け浄土宗教師(浄土宗の正式なお坊さんとしての、住職資格)を取った後、某寺に入寺、京都の大本山黒谷金戎光明寺内にある浄土宗教師修練道場(浄土宗教師が更に1年間研鑽を務める場)にて1年間修行研鑽、その後も研鑽を続け、教学(浄土宗を中心とした仏教の教え)・法式(お経のあげ方・儀礼)・詠唱(ご詠歌・和讃)・布教(教えの伝え方)・雅楽の研鑽を積んでいます。 がしかし、もともと小学校時代から精神疾患で、大学で精神科初診、20代は通院しながら、学業・修行・僧職を勤めていましたが、30代で仕事と結婚のストレスがさらにかかり、大きく心身の体調を崩して入院して以来、寺は休職しています。そして、今は寺を離れ草庵に暮らしています。 2003年に大きく体調を崩して、入院以来入退院を23回繰り返しています。40代過ぎから、徐々に精神的に安定し、50代手前の最近少しバイトが出来るようになりました。デイケア、障害者職業訓練、B型就労支援事業所とステップアップし、単発派遣から初めて、バイトで、2社に勤めて、体調悪化で入院してこの2社をやめて、今は3社目のアルバイトをしています。その中で得られた人間的成長の気づきもフィードバックしていきたいと思います。 精神障害2級の統合失調症・双極性障害・不眠症持ちです。 こんな私ですが、どうぞよろしくお願いいたします。 連絡先は、blister55.takahiro@gmail.com
対応できる時間は昼間です。音声のみにてお願いいたします。体調などにより対応できない場合もあります。専門分野は精神疾患・恋愛・人生・仕事・浄土教などです。よろしくお願いします。

釈尊が言う死後の世界

が知りたければ、スマナサーラ長老の
アルボムッレ・スマナサーラ『死後はどうなるの?』角川文庫
を読むのが一番楽で速くて安くて(数百円)正確でしょう。
 あなたの望み通りの答えが欲しければ、いろいろ探すしかありませんが。
 一つ、圧倒的な真理がありまして、それは、「死後の世界はあるのか?どういうものなのか?」などと問うことは不正確で、誰でも、自分の一生(とその後)の分しか知りようがないということです。
 たとえば、あなたのお母さんが死後、良いところに生まれ変わったとしても、あなたも、そこに生まれ変わるとは決まっていないということです。各自が、自分のおこないをして、その結果を自分で受け取っています。周りの人は影響を与えたり受けたりしてお互いに縁になりますが、自分の生滅の流れは、誰も代わってあげられません。あなたが来世で天界に生まれても、他の人は畜生や地獄に生まれるかもしれず、あなたは、同じ天界に生まれた人しか見つけられません。今、人間界にいる生命の、しかも身近な人たちのことしか分からないように。
 では、「私は、死後、どうなるのか?」と問えば正確かというと、それも不正確です。「私」という確固としたものがあるわけではなくて、一瞬ごとの様々な行為と結果の連続(無我)ですから、特に将来のことは、どうなるのか、分からないのです。釈尊の言い方は、「あなたがこのような生き方を続けるならば、来世は○○でしょう」と、限定付きで予想するだけです。

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初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本仏教、浄土真宗ということで活動しております。 先祖供養とか功徳回向とか、みんなお釈迦様が最初からおっしゃっていたって、ご存知でしたか。私たちも謙虚に堂々と日本仏教しましょう。

質問者からのお礼

ありがとうございました。
やっぱり、不安ですが僕の悩みを真剣に聞いてくれる人がいて、安心しました。
死後の世界はあるのかどうか、いつか証明されて欲しいです。
僕はこの世界が大好きです。
今は証明されるのを待ちながら
周りの人に愛を伝えていきたいと思います

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