生きる ということ
私には息子が二人おりますが、それぞれに家庭を持って暮らしています。私は夫と30年以上前に離別し、今は一人暮らしで、年金収入とアルバイトをして生計をたてています。
毎朝起きる、仕事する、家事をする、食べる、寝る。
何の希望もなく、楽しみもなく、生き甲斐もなく、ただ毎日生きている。
長生きなどしたくない。生きるって何だろう?人生60年生きても、わからないことです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
有り難し
ばーばっち様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
少し生きることについて、虚無的、悲観的なお考えになられているご様子・・
「生きる」というのは、主体的にみれば、自分が自分で生きているかのように思われてしまいがちですが、私たちは、独りではとても生きていけるような存在ではありません。
人、あるいは、動植物等も含めて、無数の関係性の中で生かされて生きることができている次第でございます。
日常の何気ないこと、当たり前のことでも、それが本当に当たり前かどうかを、もう一度、よく見つめられてみて下さいませ。
当たり前であるものも、無数の関係性により、支えられて、助けられて成り立っているものたちばかりであります。
その支え、助けとなっているものたちとの関係が崩れれば、即座にそのものは成り立たなくなってしまいます。
実は、私たちはそのような世界としてモノ・コトも全て成り立っており、非常に朝露の如くに儚い存在であり、実は、「当たり前」ではなく、「有り難し」なのでございます。
朝起きれるのも、仕事ができるのも、家事ができるのも、食べれるのも、寝れるのも、誠に「有り難し」でございます。
是非、この支え合い、助け合い、分かち合いの世界において、有り難く過ごさせて頂けていることについても、少しお考えを賜れましたら幸いに存じます。
この拙回答が、ほんの少しでも「有り難い」と思われましたら、「有り難し」ボタンを押して頂けましたら、有り難しです。
川口英俊 合掌
ぜひお寺に
ばーばっちさま
同じことの繰り返しの毎日のように感じてしまうのですね。
きっとその中で人生をマイナスに捉えてしまう理由があると思います。それは、どこかで他のご家庭の様子と比べたり、あなた自身が考えている理想と比べ現実との違いから、マイナスになってしまうのでしょう。
現実の生活、目の前の生活に目を向けることが大切です。毎日の生活は、同じようでいて毎日新しい時間を過ごしています。いつも歩いている道も、会っている人も、すべて新しい今までと違うものです。
刺激的ではないかもしれませんが、時は常に流れ変化しています。
あなた自身も日々変化しています。
そうした自分の有り様や、生き方を実践することが仏道です。
生活に潤いを持たせるためにも、様々なお寺さんで開いている坐禅会や写経会などに行って見るのもいいかと思います。
質問者からのお礼
有り難し。家族があるのに寂しく、一人きりで生きているような錯覚を覚えていました。色々な人やモノに生かしていただいているのですね。65歳になってもいまだに人生を悟れずに、恥ずかしい次第です。自分の離婚、息子の離婚、再婚、孫との永遠の別れ、、両親の死、つらいことばかりで心の病にかかり、今日に至っています。お坊さんのコメントで、自分の考え方 生きる を変えていければ
と感謝いたします。