10代で母の癌が発覚しました
こんばんは。18歳の男子大学生です。
この間、母の乳がんが発覚しました。母は変わらずに振舞っていますが、ため息が増えたように感じます。手術して一応治りましたが、やはり母は病弱で、53歳なのに体の各所が悪いようです。
朝や昼は僕もさほど不安にはならないのですが、夜になって自室にいると、世界に一人だけになったような感覚がして怖いです。今も、その衝動のままにここに書き込みを致しました。
いつ母が死んでしまうか不安で不安で仕方ありません。
また、自分はすぐに怒ってしまい、親には迷惑をかけていると感じます。夜の布団の中では毎日毎日後悔をしているのに、僕は本当に親不孝者だと思います。
親に面目が立ちません。
バイトもできないこの状況で、旅行ひとつにも連れて行って上げられません。
孝行をしたい時分に親はなし。この言葉が頭を駆け巡っています。こんな自分がいちばん嫌いです。
情けないこととは思いますが、お坊さんのアドバイスをいただけたら嬉しいです。どうかよろしくお願いします。
とにかく不安になりがち。考えすぎるきらいがあります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それは本当に辛いですね。
でも
親孝行したい今
お母さまは生きておられます。
今からでも
親孝行は充分出来ます。
親は
子どもにしてもらうことは
何でもうれしいものです。
それはお金が掛かっていなくても
地味であっても
全く関係ありません。
あなたが考えている親孝行が出来なくても
あなたが今出来る親孝行をすれば良いのです。
怒るのを辛抱し
ニコニコしているだけでも
お母さまはとても嬉しいでしょうね。
なにげない日常が、輝く思い出になります
駿介さん、おはようございます。お母さんのお身体を案じる、心優しい駿介さん。このハスノハに書き込みをしていただき、大切なご縁をいただきました。駿介さんに、3つのご提案をします。1.『葉っぱのフレディ』を読んでください。2.お母さんとの日常を大切に重ねてください。3.仏教を学んでください。
1.この絵本は、「死別の悲しみに直面した子どもたちと 死について適確な説明ができない大人たち 死と無縁のように青春を謳歌している若者たち そして編集者バーバラ・スラックへ 贈ります。」と巻頭に書かれている絵本です。
私が最も衝撃を受けた絵本でもあります。これほどストレートに「死ぬ」ことを表現した絵本は、その当時初めてだったからです。数年後、大きな気づきがありました。「春が夏になる時は、その変化を一つもこわがっていない。むしろ、夏が来るのを楽しみにしている。なのに、同じ変化である老・病・死を受け入れられず、ことさらに怖がっている自分がいる。これが、いのちに対する偏った見方ということか!」仏教の学びが深まってきたことも、大きなきっかけだったと思いました。
2.旅行に行く必要はありません。何気ない毎日の生活を二人で楽しみ、心動かす。その積み重ねが何よりの思い出になります。その思い出は、たとえお母さんが亡くなられた後でも俊介さんの心に刻まれ、その思い出は俊介さんの人生を必ず支える宝物となっていきます。
3.寺社参詣が趣味ということですから、単なる死者儀礼で終わらない仏教の教えにも出会っていただきたいです。現代の私たちは、平均寿命というものを一つの基準にしていますが、浄土真宗の蓮如というお坊さまが書いたお手紙(=御文章)には、「朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり」とあります。朝たとえ元気であっても、夕方には息絶えてそのお骨を迎えなければならないのが本来のいのちの姿だ、と教え続けています。認めるか否かにかかわらず、その本来の姿だと腹に入れておくと、今日恵まれたいのちが輝いて見えてきます。いただく食事、出会う人、なし得る仕事、自然の営み・・・。どれ一つとっても、愛おしく感じるようになります。
駿介さんの感じている不安は、とても当たり前のことです。それだけ大切なお母さんですから。でもその一方で、そのお母さんと分かち合える一瞬一瞬の感動の時間も、大切に過ごしてください。応援しています。