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自分の能力のなさに失望している

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有り難し有り難し 6

こんにちは。
2度目の投稿になります。前回は家族のことについて相談させていただきました。大変お世話になりました。
今回は自身のことについてご意見をいただければと思います。

3月に転職し全くの異業種となる新たな職に就いたのですが、業務が複雑でなかなか理解が追いつかないまま、新型肺炎の流行により入社から数週間で完全リモートワークとなってしまいました。

机を並べていない状況ではこれまでのように都度質問や指示を仰ぐことができず、経験がないため自分から動いてできることも限られ、経験不足と不安感からミスも多発している状況です。

やるべきことがあるときには経験不足からか他の人が簡単にできる業務でも非常に長い時間がかかって結局徹夜してしまう一方、やれることがないときには一日中そわそわと机の前に座っているような日が繰り返しています。

上司も部下に仕事をやらせるよりも自分でバリバリ捌いていくタイプで指示を仰いでも具体的なことは言われません。

長くなりましたが、このような環境でとにかく仕事が上手くできないことへの焦りや、自分だけが取り残されている不安、自分はなんて無能なのだという失望感に苛まれています。

最近では動悸や不眠など体調にも不調が現れており、仕事へのモチベーションも下がって手につかず、また自己嫌悪へ陥る悪循環になっています。目に見えてミスが多くなり先輩らに尻拭いをしてもらうのも辛いです。やらなければならないことを後回しにしてしまうことも増えてきました。

もっと気楽に、むしろ開き直って環境のせいにしようと思ってもみましたが、気持ちは楽になりませんしやる気も戻りません。
自分の能力では無理な職場だったと結論づけて新たな職を探すことも検討しています。

日々前向きに明るく過ごしたいと思って生きてきましたが、このような精神面のつまづきは初めての経験で戸惑っています。自分を肯定し、気持ちを楽にするにはどのような心構えが必要でしょうか?

他愛もない内容で愚痴っぽくなってしまいましたが、悩んでいます。ご意見よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

貴方の尊さと輝きはかわらない

 二寸さん、お早うございます。前回のご相談で、少しはハスノハがお役に立てたようで嬉しかったです。
 この新型コロナ騒動は、それぞれの現場で様々な影響を与えています。感染拡大防止のために新しい取り組みが試みられているため、長年当たり前のようにやってきた一つ一つの作業が大きく変わってしまいました。その試みの検証も十分でなく、変化に慣れる時間も充分に与えられないまま、何かわからないものに突き動かされているのが私たちの現状だと思っています。つまり、二寸さんが悩んでいると同じように、上司を含め新型コロナ渦にあるすべての人が、手探り状態で今を生きているのですね。
 
 二寸さんに、お釈迦さまのお誕生の言葉を紹介します。それは、「天上天下唯我独尊」という言葉です。元は、仏教をひろめたお釈迦さまの尊さを表す言葉として伝えられています。と同時に、お釈迦さまは仏教を通して、「いのちは誰とも何とも、比較する必要のない尊さと輝きをを具えている」と教えてくださいました。二寸さんは、誰とも何とも、比較する必要のない尊さと輝きをを具えているのです。この言葉を紙に書いて、朝起きた時と眠る時に、声に出してつぶやいてみてください。

 現代社会は、仕事の能力=その人の価値と見てしまっています。ですから、このハスノハにも、仕事のトラブルやミスを重ねることで、「生きている意味がないのでは」と(二寸さんと同じように)相談を寄せる方が多くいらっしゃいます。そこで、仕事の能力=その人の価値という現代社会の先入観をいったん切り離してほしいと思いました。二寸さんの尊さと輝きは、もともと具わっているのです。仕事でトラブルやミスを重ねたからといって、二寸さんの尊さと輝きが損なわれるものではないことを、どうぞ胸に刻んでいてください。このいのちの真実が二寸さんの胸にしっかり刻まれた時、大いなる安心を感じていただけるでしょう。
 
 具体的な仕事上の課題は、細かく可視化して、何をどうすればそのミスが少なくなるか、またどの部分は教えてもらうか、仕分けができるといいと思います。二寸さんがお気づきのように、不安感から様々なミスが生まれ、体調の変化や仕事上のモチベーションも変わってきますね。ですから、この場では二寸さんに大いなる安心をプレゼントしたいと思いました。これからも、応援しています。

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有り難し
おきもち

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん...
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質問者からのお礼

げんさん様
大変暖かいお言葉をいただき、心に沁み入りました。生きるか死ぬかなどと煮詰まった考えになる前に相談を投稿して本当によかったと思います。
前向きに明るくだとか、もっと気楽になどと私自身が書いた内容であるにもかかわらず、げんさんの仰る通り仕事のできるできないを自分の価値だと思い込んでいることに気がつきました。
こんな私に生まれもった価値があるといっていただき、ありがとうございます。
げんさんからいただいた安心と自信を心に刻んで過ごしたいと思います。
繰り返しになりますが、本当にありがとうございました。

「自分に自信がない」問答一覧

私の悪行について

新高校1年生です。私はたくさんの人を傷つけてきました。小学生の頃、友達に嫌なことを度々言いました。 その子は親御さんの事情で引越して、その後に小学校の運動会であって、眼鏡の模様可愛いねという会話をした記憶があります。 もう1人私は掃除をちゃんとしない子に暴言を吐きました。他にも工作のぽんぽんや小さい消しゴムを人からとりました。 中学にあがって反省したのに私はまた過ちを犯しました。友達に嫌われたくなくて友人、先生、他人にまで悪口を言いました。本当に酷かったと思います。聞こえていたかは分からないけど本当に酷いことをしました。謝れる人には謝ったけれども私は嫌われたくないというエゴのために知らぬ人まで傷つけました。最低です。私が覚えてるより多くの人を傷つけていると思います。 そして、また新たな罪を見つけました。YouTubeのスカッと系の投稿に棒読みというコメントがついていて、5年前の私はそれに「たしかに」というコメントをしていました。それは結構前にしたコメントですが今更ながら削除させていただきました。投稿主さんはその後も動画を上げていましたが5年前に止まっていて、先程私は意味は無いかもしれないし、ひとりよがりですが、絵が見やすくて分かりやすかったという旨のコメントをしました。良かったのかは分かりませんし、投稿主さんがみているかは分かりません。 そして他に嫌なコメントをしてたらどうしよう、嫌なコメントにいいねしてたらどうしようと考えるようになりました。私が覚えてないだけで他の方も傷つけたんじゃないかと不安になります。誹謗中傷にあたるような容姿や振る舞い方について何か言っていないか本当に不安でたまりません。自業自得ですね。 死んだ方がいいと思うけど、両親を悲しませたくなく死ぬことはまだできません。謝れる人には謝りましたが、傷は消えません。私が傷つけた多くの人たちがまだ苦しんでいるかもしれない、私は人を殺してしまったのではないかと考えます。身勝手ですが私にはその人たちがどうか幸せに生きているように願うしかありません。私の罪は消えません。私はのうのうと生きていていい人間じゃないと解っています。ですが、私が今止まってしまったら、さらに多くの人に迷惑をかけることになります。どうしたらいいのでしょうか。おこがましいですが、私を導いてくださると嬉しいです。長文で申し訳ありませんでした。

有り難し有り難し 2
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