不条理
昨今、いろいろな情報が蔓延っていますが、それに囚われる私が嫌です。
以前、こんな事がありました。
女性には、月のものやそれによる体調不良があります。
それが理解できないと言う男性がいることを知りました。
初デート、男性に口説かれ、どうしても性行為がしたかったそうですが、
初デートだし、生理だし出来ないとお断りをしたところ、御立腹。
嘘をついてると思われたのかもしれませんが、まるで私が悪いと言わんばかりに。
どこかのサイトでこんなものをみました。
「“ヤれそうで、ヤれない”が男を1番ガッカリさせる」
「男は、少なからずとも下心がある」
世論なのかよくわかりませんが、
いちいち、こういう時にイライラして囚われる自分に腹が立ちます。
どうやってコントロールすればいいんでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
縁起する私
ご相談拝読しました。
初デートでそれはないですね。そのような相手にイライラ・モヤモヤするのも時間・労力がもったいないです。
イライラ・モヤモヤしてしまうのはしょうがないですが、おっゃるとおりそれに囚われるのをどうにかしたいところですね。
インターネットには有象無象の意見が飛び交っていますからそれに引っ張られることもあるかもしれませんが、今回はともみさんに何の落ち度もないでしょう。そんな男願い下げでしょう。
ご自身に自信がないことから、ひょっとして自分にも非があったのでは?と考えてしまうのかもしれませんが、ちょっと落ち着いてもう少し自分の感覚を信じてもよろしいかと。
思考にコントロールされる時は眼をつぶって深呼吸して自分の感覚に集中してみましょう。
それでもどうにもならないほど心が乱される時もあるでしょうがそんな自分も認めてください。
「ああ、私は今これほど乱れる縁の中にいるんだな」と認識するのです。縁(外的要因・状況環境)と無関係に存在する自分はいないのですから。
群盲象を評す
こんにちは。ひどい男性に会いましたね。
「群盲象を評す」という言葉があります。
昔、ある国の王様が、盲人たちに象を撫ぜさせてみて、自分が感じ取った象の形状を、それぞれ発表させました。すると、象の脚を撫でた盲人は、「象とは柱のような形をしたものだ」と言い、象の耳を撫でた盲人は、「象とは大きな団扇のようなものだ」と言い、象の尾を捜った盲人は「蛇のようなものだ」と言い、脇腹を撫でた盲人は「壁のようなものだ」と言った、という話からできた言葉です。
ものごとをひとつの視点から見てしまい、全体像を見なかったり、見ようとしない、または見ることを忘れてしまう事があるものです。
あなたがインターネットで得た情報も事実かもしれません。でも、全ての男性に100%あてはまるものでもないでしょう。そういう人もいるんだなぁくらいに思っていれば良いでしょう。全員じゃないです。ひどい男がいたものだ。その男性とはもうナイなぁ、などと思っていれば良いでしょう。
以心伝心は、現実には、難しい
北島三郎さんの『兄弟仁義』(古くてすみません。)という歌の一節に「俺の目を見ろ、何にも言うなああ」とあります。信頼関係のある間柄なら、眼を見るだけで相手の言おうとしていることがわかるんだ。という意味です。日本人が好みそうな歌詞ですね。
禅の方にも、似たような言葉があります。「以心伝心」とう言葉です。『景徳伝灯録』という高僧伝に「仏の滅する後、法を迦葉に対し、心を以て心に伝う」(原文は漢文)とあり、この記述が出典であると言われています。お釈迦様は一番弟子の迦葉尊者に仏教の真理を伝えたが、言葉では無く「以心伝心」で行われたということです。但し、これは決して簡単なことではありません。長年、共に托鉢し坐禅をし、迦葉尊者はお釈迦様の教えを聞いてきました。そういう長年の師弟関係・信頼関係があり、或るきっかけで心から心へ「教え」が伝わったのです。
以前、こんな生命保険のCMがありました。「会社から帰ってきても、風呂!メシ!としか言わない旦那さんです心の中では奥様に感謝して思いやってます。」という感じでのナレーションが流れて、夫が妻のための保険を外交員に依頼す映像が流れる。北島三郎さんの歌やこのCMにうんうん頷く人が居る一方で、「目を見てわかったと思うこと自体、とんでもない勘違い。」と思う人も少なくない筈です。以心伝心は飽くまでも理想形であり、遥かなる目標なんです。以心伝心までの道程は遠いんです。
世の中いろんな人間が居ます。そんなことわざわざ言われなくても、わかっていると思います。ですから、欲望や下心丸出しの男も或る程度居てもおかしくないでしょう。居て当たり前でしょう。但し、そういう人間が目的を達成できるかどうか、私にはわかりません。ルックスが良くて会話が上手なら、都合の良い結果を出せるかもしれません。女性の多くはそういうアプローチを拒絶すると思いますが、好意的に受け留める人が居るかもしれません。自分の価値観だけで他人を推し量ることは出来ませんし、他人に押し付けることは出来ません。
他人は他人、自分は自分と割り切るしかないと思います。そう簡単に「以心伝心」出来るわけがありません。ともみさんの倫理観は決して間違ってはいないと思います。でも、他の人にそれを強制することは不可能だと思います。違いを認めて、おおらかに生きていきましょう。
質問者からのお礼
御回答いただき、ありがとうございます。
嫌な事も携えて生きる。
思考に負けそうな時は深呼吸。
視点を変えて見る。
今後の目標です。頑張ります!