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不条理

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昨今、いろいろな情報が蔓延っていますが、それに囚われる私が嫌です。

以前、こんな事がありました。
女性には、月のものやそれによる体調不良があります。
それが理解できないと言う男性がいることを知りました。
初デート、男性に口説かれ、どうしても性行為がしたかったそうですが、
初デートだし、生理だし出来ないとお断りをしたところ、御立腹。
嘘をついてると思われたのかもしれませんが、まるで私が悪いと言わんばかりに。

どこかのサイトでこんなものをみました。
「“ヤれそうで、ヤれない”が男を1番ガッカリさせる」
「男は、少なからずとも下心がある」

世論なのかよくわかりませんが、
いちいち、こういう時にイライラして囚われる自分に腹が立ちます。
どうやってコントロールすればいいんでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

縁起する私

ご相談拝読しました。

初デートでそれはないですね。そのような相手にイライラ・モヤモヤするのも時間・労力がもったいないです。

イライラ・モヤモヤしてしまうのはしょうがないですが、おっゃるとおりそれに囚われるのをどうにかしたいところですね。

インターネットには有象無象の意見が飛び交っていますからそれに引っ張られることもあるかもしれませんが、今回はともみさんに何の落ち度もないでしょう。そんな男願い下げでしょう。

ご自身に自信がないことから、ひょっとして自分にも非があったのでは?と考えてしまうのかもしれませんが、ちょっと落ち着いてもう少し自分の感覚を信じてもよろしいかと。

思考にコントロールされる時は眼をつぶって深呼吸して自分の感覚に集中してみましょう。
それでもどうにもならないほど心が乱される時もあるでしょうがそんな自分も認めてください。
「ああ、私は今これほど乱れる縁の中にいるんだな」と認識するのです。縁(外的要因・状況環境)と無関係に存在する自分はいないのですから。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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群盲象を評す

こんにちは。ひどい男性に会いましたね。

「群盲象を評す」という言葉があります。
 昔、ある国の王様が、盲人たちに象を撫ぜさせてみて、自分が感じ取った象の形状を、それぞれ発表させました。すると、象の脚を撫でた盲人は、「象とは柱のような形をしたものだ」と言い、象の耳を撫でた盲人は、「象とは大きな団扇のようなものだ」と言い、象の尾を捜った盲人は「蛇のようなものだ」と言い、脇腹を撫でた盲人は「壁のようなものだ」と言った、という話からできた言葉です。
 ものごとをひとつの視点から見てしまい、全体像を見なかったり、見ようとしない、または見ることを忘れてしまう事があるものです。

 あなたがインターネットで得た情報も事実かもしれません。でも、全ての男性に100%あてはまるものでもないでしょう。そういう人もいるんだなぁくらいに思っていれば良いでしょう。全員じゃないです。ひどい男がいたものだ。その男性とはもうナイなぁ、などと思っていれば良いでしょう。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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以心伝心は、現実には、難しい

 北島三郎さんの『兄弟仁義』(古くてすみません。)という歌の一節に「俺の目を見ろ、何にも言うなああ」とあります。信頼関係のある間柄なら、眼を見るだけで相手の言おうとしていることがわかるんだ。という意味です。日本人が好みそうな歌詞ですね。
 禅の方にも、似たような言葉があります。「以心伝心」とう言葉です。『景徳伝灯録』という高僧伝に「仏の滅する後、法を迦葉に対し、心を以て心に伝う」(原文は漢文)とあり、この記述が出典であると言われています。お釈迦様は一番弟子の迦葉尊者に仏教の真理を伝えたが、言葉では無く「以心伝心」で行われたということです。但し、これは決して簡単なことではありません。長年、共に托鉢し坐禅をし、迦葉尊者はお釈迦様の教えを聞いてきました。そういう長年の師弟関係・信頼関係があり、或るきっかけで心から心へ「教え」が伝わったのです。

 以前、こんな生命保険のCMがありました。「会社から帰ってきても、風呂!メシ!としか言わない旦那さんです心の中では奥様に感謝して思いやってます。」という感じでのナレーションが流れて、夫が妻のための保険を外交員に依頼す映像が流れる。北島三郎さんの歌やこのCMにうんうん頷く人が居る一方で、「目を見てわかったと思うこと自体、とんでもない勘違い。」と思う人も少なくない筈です。以心伝心は飽くまでも理想形であり、遥かなる目標なんです。以心伝心までの道程は遠いんです。

 世の中いろんな人間が居ます。そんなことわざわざ言われなくても、わかっていると思います。ですから、欲望や下心丸出しの男も或る程度居てもおかしくないでしょう。居て当たり前でしょう。但し、そういう人間が目的を達成できるかどうか、私にはわかりません。ルックスが良くて会話が上手なら、都合の良い結果を出せるかもしれません。女性の多くはそういうアプローチを拒絶すると思いますが、好意的に受け留める人が居るかもしれません。自分の価値観だけで他人を推し量ることは出来ませんし、他人に押し付けることは出来ません。
 他人は他人、自分は自分と割り切るしかないと思います。そう簡単に「以心伝心」出来るわけがありません。ともみさんの倫理観は決して間違ってはいないと思います。でも、他の人にそれを強制することは不可能だと思います。違いを認めて、おおらかに生きていきましょう。

 

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おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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質問者からのお礼

御回答いただき、ありがとうございます。

嫌な事も携えて生きる。
思考に負けそうな時は深呼吸。
視点を変えて見る。

今後の目標です。頑張ります!

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

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日本に盛り上がりが全く足りないです

今、大阪にいますけど閉鎖的で盛り上がりもなく楽しくありません。地下鉄に乗っていますが表情が暗い雰囲気を作って楽しくもありません。夜もアメリカのようにパーティーみたいな盛り上がりもなくて寂しいです。日本は閉鎖的な国だとも思います。 ラグビーワールドカップ2019イングランド対アメリカではかなり賑やかやったしパーティーしてたようにも思えます。結構、日本よりも盛り上がっていたようにも思えます。イギリスやアメリカはパーティー文化がある国にも思えます。イギリスやアメリカの方が個性的な人いたような気がします。 アメリカ行ったことがないので自分には分かりませんが日本よりも個性がある人が多いようにも思えます。 僕にとっては10年前頃ですが、明光義塾北巽教室通ってた時は個性的な先生もかなり居ましたし、活気もありました。まあまあパーティー的に盛り上がっていたと思います。明光義塾北巽教室では賑やかでワイワイしてて僕にとっては楽しかったのです。明光義塾北巽教室Twitter(現在はX)では個性感半端ないな。キャラ感凄いなと書いたらいいね1つくれました。親には明光義塾北巽教室勉強するところやのに遊びに行ってた所が怒られました。 そういうの日本ではなかなか無いから寂しいです。日本の閉鎖的な環境が辛すぎてたまりません。パリピみたいな盛り上がりが好きでたまりません。日本は雰囲気が暗い国だなと思います。 日本生きるのが活気と盛り上がりが無さすぎて辛いです。日本人って個性が全くない人ばかりでつまらないです。僕の近所でも全くパーティーみたいに騒ぎがないのがつまらないです。 日本は治安も良くてご飯が美味しいと言う理由からいいって言っていますけど僕はそう全く思わないです。 日本は衰退国家だなと思います。日本は閉鎖的すぎて嫌になります。日本に生きていてもつまらなさすぎて嫌になります。だからアメリカ移住したいです。 四谷学院の校舎長に言われましたが大学は盛り上がりはないと言われ、寂しいです。辛すぎます。大学でも遊びに行っている人や騒ぎに行っている人もいると思います。僕は日本が大嫌いです。日本は同じことばかり過ぎてつまらないです。 サテライトオフィス平野に通っていますが、その事が悩みすぎて集中出来ないことがあります。 日本では盛り上がりや活気が全くないので暗いし寂しいししんどいです。

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日本は姥捨山を求めている

「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。

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やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ