教養を養うために本を読んでおりますが…
こんにちは、ここ3ヶ月くらい本を買うようになりました。
そのなかで今でも読まれている論語という本があるのですが、こういう難しい本はどう読んだらいいのかわかりませんし頭に入ってきません。一応解説はありますが(宇野哲人による)
ふと思ったのですがお坊さんたちはあの長いお経を理解して覚えているのですよね?
難しい本の読み方の参考になりそうなので
お経をどうやって頭に入れたのか教えていただけると嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
素読という学習方法
古典の学習方法の基本は、まず素読することです。素読とは、原文を幾度となく繰り返して読み記憶して誤りなく言うことができるようになる学習方法のことです。江戸時代までの学校と言えば、昌平黌や藩校(潘で建てた学校)そして寺子屋が一般的ですが、そういう学校での基本は素読だったそうです。そして、一番のテキストは論語だったそうです。素読と言えば、論語だったようですね。
そういう伝統に倣うならば、まずは原文をしっかり声を出して繰り返し読んでみることだと思います。完全暗記とまでいかないまでも、或る程度そらんずることが出来るくらいまで読み慣れてから、解説部分に入った方が理解が進むと思います。
お経に関しては、既に佐藤良文師が書かれている通り、繰り返し読んで唱えることに尽きます。お檀家さんでも毎日仏壇でお経を唱えて居られる方も居ますが、そういう方は結構お経を暗記されています。我々もうかうか出来ません。尚、暗記したとしても、そらでお経を読んでいると途中で幾つかの語や行を飛ばしてしまうことが有ります。有ってはいけないことですが、現実にあります。暗記していても、経本を見ながら読むようにしております。
ですから、小さい時分からお経を習いましたが、意味は全くわからず、ただ読むことだけを繰り返しておりました。大学で仏教学を学ぶようになって、「ああ、こういう意味だったのか。」とようやく理解できるようになりました。お経を全く読んだことが無い人が講義を聞くのと、お経をほぼ暗記している人が講義を聞くのでは、理解はかなり違ってくると感じました。
そういう意味でも、論語はまずしっかりと素読してみた方が良いと思います。当然ご承知のこととは存じますが、声を出して読む場合はTPOにご注意ください。
読書百遍といいまして。
お経をどうやって覚えたのか?ですね。こういった質問は嬉しいです。
表題は「どんな難しい書物でも、100回読めば意味が分かります」という言葉です。実際その通りで、「99回読んでも分からないが100回読めばオッケー」というほど厳密ではありませんが、何回も読んでいると「あー、こういうことか」というのは掴めるものです。
一言で言えば、「繰り返しと時間を掛けると頭に入ります」です。
しかし、「理解しているのか?」は「自分なりの理解」であるのは間違いありません。周りの人と「お経のあの部分って、こういう意味だよね?」というのを議論しないと「理解」には至りにくいだろうと思います。
それを代行してくれるのが読書(他の解説など)だと思います。本編と解説はそのように使うのがよいと思います。
お経は丸暗記しません。
法要で読経する際は
必ず勤行本を開いて読みます。
僧侶は
お釈迦さまや宗祖のお言葉を
皆さんにお伝えするのが役目ですから
丸暗記して
自分の言葉かのように話す必要は無いのです。
状況によっては
勤行本を持たずに読経することもありますが
それは暗記しようとして丸暗記したのではなく
毎日読経していた結果です。
覚えようと意識して読書するのではなく
普通に読んでいたら
自分に大切なことは
自然と頭に残りますよ。
質問者からのお礼
沢山の回答に感謝しています。
お経を丸暗記していた訳じゃないということは初めて知りました。
やはり繰り返し読むことが大切なんですね、素読はなんとなく聞いたことがあってなんかの本で寺子屋での素読があったのを思い出しました。
昔の子供より私は頭が悪いみたいなので追い付きたいですね、私は現代の教育が好きじゃないので。
ありがとうございました。