輪廻転生六道と浄土
大切な方が亡くなりました。
これは宗派によって考え方も違うと思いますが、禅宗の和尚さんにお参りをしてもらいました。
四十九日を終えて、六道に生まれ変わったと言ってみえました。
六道に生まれ変わった、六道の中には人間界もあって、どこかに生まれ変わっているのでしょうか?
空から見守ってもらっている?と思っていたら違うのでしょうか?
お盆や何回忌に追善供養をするというのは、地獄にいる前提なのでしょうか?人間界に生まれ変わっていたら、人間界に生まれ変わった誰かに追善のお経がとどいている。ということでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
表現は多様です。
六道は、十界の中の、地獄(界)、餓鬼(界)、畜生(界)、修羅(界)、人間(界)、天上(界)のことを言うので、果たして亡くなったら個々の世界へ行くという表現が合っているのかは分かりませんが、よく死んだ地獄へ行くと言います。
でも本当にそうなのかは、生前中の行い考え方の結果として、それぞれの世界へ自ら行くということも間違いではないと思います。
しかし、本当は死んでからではなく、今、こうして生きている間にも、それぞれの世界を体験しているということです。それぞれの世界は、どのような心なのかと言えば、地獄は怒り、餓鬼は貪り、畜生は怠惰、修羅は闘争、人間は平静、天上は喜びとなり、常に私たちは出来事に対して反応しています。
心もそうですが、実際に肉体的にも病気などで苦しい時や、空腹で辛い時、また、邪な男女の関係など、戦争もそうでしょう。でも美味しいものを食べた時の喜び、満足なども心身共に体験しているとなります。
さらには、十界の残りの4つは、声聞(界)、縁覚(界)、菩薩(界)、佛(界)となり、向上心や、慈しみの心、愛情なども経験しています。人を無条件で助けるなど、菩薩そのものであります。ゆえに死んでからではないとなります。
今、こうして世の中をみれば、私たちはそれぞれの世界を瞬間瞬間に体験している最中となり、そのまま死んだ後の世界を言うのではあれば、その延長線上にあるのでしょう。
死後の世界については、これだ!と解明されていませんから、単純な表現であれば六道のいづれかにとなると思いますが、本当のところは分かりません。もう少し複雑なのか、もっとシンプルなのかさえも分からないです。
でも、古来から多くの書物やお話は伝わっていますので、あとはどのように表現するのかの問題だと思います。
あくまで宗派の考え方や個人的な考え方は個々に違います。どれを選択するのも自由なので、あとは自分が納得するかどうかで、生き方も変わるというのが教えなのでしょう。
仏教史の流れと民俗文化の中に答えがある、と思います
曹洞宗の吉田俊英と申します。大切な方を亡くされ、お悲しみのことと存じます。まず仏教の来世観についてザックリとした説明をさせていただきます。
お釈迦様は弟子たちには死後のことよりも、目の前にある問題にしっかり対処し、しっかりと修行して今をどう生きるべきか考えなさいと説きました。(毒箭の喩え)ですから、出家者は死後のことを説かれませんでした。しかし、一般の信者には「布施をしなさい。功徳を積みなさい。そして、五戒を守りなさい。そうすれば死後天界に生まれるよ。」と説きました。こういう信者への説法のことを世論戒論生天論と言います。お釈迦様の当時のインドの一般的な来世観(善業の者は天界か人間界に生まれ、悪業の者は悪道に墜ちる。)に則って教えを説いています。この来世観を後に三界五趣とか三界六道と体系づけました。
こういう立場から見れば、葬儀を勤めたお坊さんが戒名を付けないで俗名だけの葬儀を行った場合なら、「六道に生まれ変わった」という説明は正しいと思います。
私も禅宗系の僧侶ですが、ちょっと違う説明になります。葬儀で戒名を故人に授与します。葬儀で授戒という儀式を行います。故人に仏戒を授け、故人を仏弟子とし、仏弟子として名前を授与します。これが戒名です。授戒して仏弟子となった故人は、来世に旅立ちます。読経では「一路涅槃の径に入る」と唱えています。「涅槃の径」とは迷いを離れた世界のことです。仏様の世界のことです。仏国土とか極楽と呼ばれる世界です。
「草葉の陰に眠り、草葉の陰から来世に旅立つ」https://hasunoha.jp/questions/7220
其の「禅宗系のお坊さん」が葬儀で授戒を行い戒名を付けた場合、説明としては間違っている可能性があります。
私の立場から申し上げますと、葬儀で授戒を受け戒名をいただき仏弟子となった方は地獄には行きません。仏弟子として仏国土に居ます。年回供養・追善供養は「仏弟子として精進することを祈り、後押し・応援するために勤める法要である」と私は理解し檀家さんに説明しております。
尚、お盆については、仏教tasteの民俗行事と理解された方がわかりやすいと思います。下記の回答をご参照ください。
「亡き人々の幸せを願い、今生きてることに感謝する」
https://hasunoha.jp/questions/44431
質問者からのお礼
吉田和尚様、ご回答ありがとうございました。お葬式では戒名をいただきました。葬儀をしてくれた和尚さんも仏さんの弟子となって。と仰っていたので、仏国土という遥かな仏様のところで安らかにいてくれると考えれば、見守ってくれている。という私の思いも叶うような気がします。
鈴木和尚様、ご回答ありがとうございます。私たちは今がそれぞれの体験をしている。宗派によって個人によって考え方は違うので私がどれを選択するかによってどう生きていくかというお答えに、吉田和尚様の示してくださったお話を信じたいと思いました。