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仏の心になる

回答数回答 3
有り難し有り難し 70

言いたくありません。喧嘩になるから。
我慢して、私が片付けます。それで丸く収まるので。
黙って掃除します。けど、毎日同じことをして汚されます。最初は 気をつけてほしいとお願いしましたが直りません。
「仏のような心になれ」といわれます。
正直、私も感情を持った人間に生まれました。お金をもらって、妻や母をしているわけではありません。
仏のような心になるなんて可能なのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏様は、闘わないヒーロー

怒りの原因は、あなた自身の価値観、思い込みかもしれません。
「汚したくない」のはあなたです。
自分が掃除したいから掃除しているのです。
怒る前に、自分自身の「思い込み」をチェックしてみてはどうでしょうか?
価値観が「違う」からといって、相手が間違いとは限らないのです。
ただ違うだけ。
どちらが正しいというわけではない問題かもしれません。
ただ、仏教では、怒りは悪なのです。
怒っているときは慈悲はひっこみます。
理由が正義でも、怒ったら悪です。
したがって、たいがいのヒーロー物語の主人公は、仏教的には悪人です。
本当のヒーローはお釈迦様みたいな仏様です。たくさんの人びとから慕われ、闘わずして見方がどんどん増えていくのです。
お釈迦様は、某有名教祖のように若くして張り付けにされたりもせず、80歳で安らかに亡くなりました。
お釈迦様を処刑しようだなんで、まともな国王なら考えないのです。お釈迦様に一日でも長く生きてもらいたい人が大多数だったのです。
お釈迦様は王子の地位を捨て出家して、妻子や親をも捨てました。が、結局は捨てられた妻子でさえもお釈迦様を尊敬して弟子になったのです。
もしあなたが仏様のような心になったなら、敵は減り、見方が増えます。相手の方からあなたの掃除を手伝いたくなるかもしれませんね。

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おきもち

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人それぞれです。仰る通りにございます。

やぎこさん、こんにちは。

ご質問拝見させていただきました。

「正直、私も感情を持った人間に生まれました。お金をもらって、妻や母をしているわけではありません。 」

仰せの通りでございます。私も僧侶ですが、同じく、感情を持った人間です。
「仏さまのこころ」を持てているかは、わかりません。
まだまだ人としても、僧侶としても修行の身にあります。

さて、「仏さまのようなこころ」
というのは「あります」。但し、それは周りの人から見た客観的なことで、決して自分から言うことじゃないでしょうね。ましてや、人に「なれ!」なんて、開いた口が塞がらない。
せめて「なってください。」「お持ちください。」という丁寧な言葉を使って欲しいものです。

「仏さまのこころ」は「なる」というより「自分の中にある''仏さまのこころ''が起こる」ということの継続が「仏さまのようなこころを持った人間」を作り、その有り様が私たちの目の前に現れて「仏さまのような〇〇」となるのですね。ちょっと難しくなってしまいましたが。

何かを片付けたり、掃除しなければならないその「何か」が、見えないのですが。
旦那様の行為であれば、大人ですから、まず、「人として」の言葉で伝えれば良いと思います。
小さなお子様のことであれば、それは、「仏さまのこころ」を起こして欲しいな、とも思います。赤ん坊は、一人では生きていけない、だからこそ、母親が自ら栄養(母乳)を与え、オムツを替え、泣けば抱きかかえ機嫌を直す。食べこぼしたり、お漏らししたり、散らかしたりもします。けれども、無償で全て、やぎこさんも、与えたり掃除したり洗濯したりし続けていらっしゃるのでしょう。本当にお疲れ様です。

質問の意図としては、何かを「許せ」と言われたが、人間ゆえ「許せない」ということが起きてしまっているんですね。
ドラえもんではありませんが、
「仏の顔も三度まで。」という言葉もあります。

参考までに覚えておくといいのではないでしょうか。合掌

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おきもち

こんにちは。 埼玉県秩父市のお寺で住職をさせて頂いております、野村圭秀と...
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我が子がどんな人間になって欲しいですか?

まず「仏のような心になれ」という言葉ですが、会話として言うべき言葉ではありません。「仏のような心になる」ことはとても素晴らしいことです。大事なことです。しかし、「なれ」と言った瞬間、自分の都合で相手に忍従を強いるだけの言葉になってしまっているのです。
以前、私は自分のブログに下記のような記事を書いたことがあります。
「仏教とは自覚の宗教です。いかに仏様の教えであろうとも、自分の思惑や利益のために他者に強制したり忍従を強いたりした時、仏様の教えは仏様の教えでなくなるのです。」
http://blogs.yahoo.co.jp/dorinji/19674236.html

こう書いてしまうと、上の文章を「仏のような心になれ」と言った方を非難糾弾するために用いてしまいかねませんが、そういう意図で書いたのではありません。
相手が「なれ」と自分に言えば、相手の意図が透けて見えるだけに、むしろ不信感を頂き反発したくなると思います。大事なのは、この言葉をあなたの中でどのように消化して自分の行動に生かすか?そして、このような一方的な押し付けともいえる言葉を自分が発しているか否か?じっくりと点検していきましょう。

一連の質問を読む限り、結婚生活と育児の悩みは尽きないようですね。
「言いたくありません。喧嘩になるから。」と書いてますが、実際は我慢できず不満や愚痴を夫にぶつけてしまうこともあったのでしょう。だからこそ、「仏のような心になれ。」という言葉を投げつけていたのでしょう。

 さて、ご質問の「仏のような心になるなんて可能なのでしょうか?」ですが、私はなれると思います。まず、あなたが「仏のような心になろう。」とすることが必要です。両親がお互いを非難し罵り合っていたら、あなたたちのお子さんはどんな人間に育っていくのでしょう。子供さんが清らかな人間に育って欲しいと思うなら、あなたも夫も共に「仏のような心になろう。」と誓い、そういう実践の日々を送るよう努めていくことです。

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おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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質問者からのお礼

野村様
ありがとうございました。
仏さまのこころはあるのですね。確かに、自分では言わないですね。周りが思ってのことですよね。

仏さまのような心になる。
大変ありがたいお言葉を頂きました。
大切に致します。

吉田様

ありがとうございました。
仏教とは自覚の宗教。

自分自信の心がけの問題なのですね。
子供には 清らかな人間になってほしいので、親として恥じぬよう 努めてまいります。

願誉浄史さま
ありがとうございます

全ては私の価値観、押し付けだったのですね。

怒りは悪。
その通りですね。怒りをあらわにして 環境がよくなることは全くありません

怒りのコントロールは本当に難しいですが 家族みんなが笑顔でいられるよう 頑張ります

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