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天部様の役目、お経のあげ方、神仏習合解釈

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1.仏教では如来、菩薩、明王、天部とありますが、天部様の役目は何なのでしょうか?

2.天部様は仏様ではなく神様と聞いたのですが、般若心経を唱える時は最初の『仏説』は読まなくていいのでしょうか?

3.神仏習合では大黒天様=大国主様となりますが、大黒天様は大黒天様!大国主様は大国主様!と分けるのではなく、大黒天様=大国主様と考えて問題ないのでしょうか?

私は神棚に伊勢神宮のお札、嚴島神社のお札、大黒天様を祀っているのですが、神様として般若心経を唱える時、『仏説』はつけていません。

詣り方は合っているのでしょうか?

少し前までは大黒天様は天部様だから仏様になると思っており、頭に『仏説』をつけ伊勢神宮(天照大御神様)、嚴島神社(宗像三女神様)とは分けて般若心経を唱えていました。

今ではどれが正しいのか分からず少々混乱しております・・・。

教えて頂けたは幸いです。

2020年7月27日 0:39

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

法楽ということ

法楽という言葉があります。神社で読経することを法楽と言います。神仏習合時代には普通に行われていましたし、私も神社にお参りするときは柏手は打ちません。

1.天部は元々はインドの神様を仏教が取り込んだものです。しかし、三国伝来(さんごくでんらい インド・中国・日本と仏教が伝わる事)により、中国の神や日本の神も天部とされるようになります。この天部の役割ですが、仏教の守護神とされています。

2.私は『般若心経』を唱えるとき『仏説摩訶般若波羅密多心経』(ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう)と唱えますが、その略なので『般若心経』でも『仏説般若心経』でも大差はないです。神様だから仏説を省略するというのはおかしいです。神様は天部なのだから、六道輪廻(ろくどうりんね 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天をぐるぐる回っている死生観)するわけで、次の世は良く生まれますように、とお経を唱えるのが仏教から見た神様へのお経の唱え方です。

3.聞いたことがあると思いますが、本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)ですね。本地仏(ほんぢぶつ)があり、その垂迹(すいじゃく)として、神様がいるという考え方です。ですから、本地仏とその垂迹の神様はイコールと考えて構わないと思います。つまり、大黒天と大国主尊は同一と考えて構わないと思います。

先に述べた通り神様にお経をあげることは法楽と言って、何ら問題はないのですから、『般若心経』を上げましょう。仏説はつけても付けなくても良いと思います。語呂から言うと付けないほうが唱えやすいように思いますが。それから、厳島神社はわかりませんが、天照大神の本地仏は大日如来ですよ。

2020年7月27日 5:26
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浄土宗僧侶ですが、時宗の一遍上人と同じころ活躍した一向上人の流れです。宗門...

天部とは仏法を守護する護法神ですが、

1、天部は、インド土着の神でした。仏教の教理が体系化され、経典として整理する過程で、仏法を守護する護法神に位置付けられました。

2、天部や日本の天神地祇に対する考え方は宗派によって異なります。私は曹洞宗ですが、曹洞宗の場合毎月一日と十五日に鎮守諷経というお勤めをしています。お寺を守護する天部にお祈りする法要です。基本的にはインド伝来の帝釈天、金毘羅、毘沙門天などに対しての読経ということになります。実際は、諏訪、白山、愛宕ななどの日本の神を鎮守として祀っている寺院も多いんです。明治の神仏分離以降、神仏習合を否定的に捉え、仏教と神道を対極に位置付けるようになりました。歴史的には、神前で読経することは日常的なことでした。神棚に伊勢・厳島を祀っているなら、二礼・二柏手・一礼し、大黒天には読経で宜しいと思います。
 般若心経には何種類かありまして、一番広く知られているのは玄奘訳の般若心経です。『仏説魔訶般若波羅蜜多心経』という題がついているのは、羅什訳の般若心経だと思います。翻訳者によって、仏説とつけたり、つけなかったりしているのです。あまり気にする必要は無いと思います。お経の題名に仏説とついているなら、そのまま読んで構わないと思います。

3、大黒天は仏教の天部としてお祀りし読経して、差し支えないと思います。大黒天で検索すればわかると思いますが、日本で祀る大黒天像はインドの大黒天像とはかなり違います。福徳円満なお姿は、大国主命の影響を受けたものだと思います。僧侶の立場から申し上げれば、大黒天と大国主命は別のものです。尊像や御利益に関しては大国主命と習合したものになっていると言えます。佐々木盛綱さんが「大黒天様=大国主様」と受け留めて信仰していますが、それはそれで宜しいと思います。

2020年7月27日 7:38
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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...

仏が説いたお経

「仏説」は、仏が説いたという意味です。
仏様(ブッダ)が説いた教えを神様にお聞かせする場合でも、仏説は仏説です。

2020年7月27日 8:01
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浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

質問者からのお礼

井澤隆浩様、吉田俊英様、願誉浄史様、私の質問に答えて頂きありがとうございました!

これからも神仏習合を胸に仏道、神道の修行に邁進致します!

「お経・経典」問答一覧

読経

昨日、母の初盆で自宅にお坊さんに来ていただき、読経していただきました。 今まで無宗教だのあの世は信じないだの威勢のいい言葉を並べて生きてきましたが、母の死に直面して、純粋に「苦楽から解放されてあの世では安らかに過ごして欲しい」との思いで父方の宗派の浄土真宗大谷派のお寺さんにお願いして節目の法要をお願いしています。 お坊さんの法話で、私たちが心配しなくても極楽浄土で過ごされているから心配は無用なんだとの旨を教えていただき、少しずつ自分でもネットで調べて仏教に触れ、今まで無知だった仏教に対しての印象も段々と変わってきました。 そんな私のお坊さんに対する疑問ですが、母の法事のお坊さんの読経中は生前の母は「こんなことあったな」「あんなことあったな」と色々思いを馳せたり、お坊さんの「南無阿弥陀仏」が聞き取れた時はお坊さんの言葉に重ねて頭の中で南無阿弥陀仏と唱えているのですが、未熟なものでそのうち「お経長いな」とか「お坊さん、歌うまそうだな」とか「お経は何て言ってるのかな」とか色々と雑念がわいてきて、母や法事と無関係なことを考えてしまいます。正直お経の意味すら知らない自分が読経に合わせて手を合わせることに意味があるのかなんていう素朴な疑問もよぎります。 自分でも失礼だと思うし、「せめて今日ぐらいはお袋や先祖さま、お袋も可愛がっていた先代のペットのことを考えてやれよ!」と自分自身に突っ込みをいれたくもなるのですが、失礼な言い方ですが読経に自分でか「飽きてしまってる自分」もいるのだと思います。 そこでお坊さん方にお聞きしたいのですが、法事はもちろんこれからも参列する機会もたくさんあると思いますが、お葬式やお通夜など含めてお坊さんの読経中はどういった心持ちでいるべきなのでしょうか? もし同じような雑念が出てきてしまったら、どのように持ち直す?脱線を修正したらよいでしょうか? またお坊さんたちは自身のお勤めの際、どのようなお気持ちで読経なさるのですか?例えば劇の時のように、感情を込めてそのたちばになりきるように、お経の中の言葉の意味に思いを込めて唱えられるのでしょう?また同じような雑念がわくことはありますか? 子供じみた質問で申し訳ありません。

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お経をあげないと不幸になりますか。

昔から家は仏教徒で、私も産まれてから仏教を信じなさいと育てられてきました。 小学生の頃、学校環境になれず拒食症になってしまい、食べ物を見ると吐き気を催すようになりました。 その時に母が、「先祖が苦しんでいる。それがあなたに出てきてしまっている。きちんとお経をあげないから、ものが食べられなくなってしまったの」と教えられました。 その時は真に受止めお経を上げました。ですが、考えてみると、ストレスによるものではなかったのかと思うようになりました。 月日が流れ社会人になった時、やっかいな病気にかかり、毎日不安で泣いていました。 他の兄弟は、病気になることも無く、ごく普通にすごせているのに、私だけなぜこんなにも不幸が降りかかるのかと。 母に聞くとやはり、「先祖が苦しんでいるからだ」の一点張り。 私はただ不安な気持ちを聞いて欲しいだけなのに、私のせい、私のせいと言われ続け、仏教とは私を苦しめるものなのか?と思ってしまうようになりました。 確かに、先祖があってこその自分ではあるが、もし仮に母が言っていることが本当だとして、私ばかり苦しい思いになる理由も分からないです。 私ばかりお経をあげて、時間を使わなくてはならないのかと、疑問に思ってしまいます。 他の兄弟は、お経はおろか、仏教を信じていません。ですが、結婚もし、子供も生まれ、幸せな家庭環境を築いています。 このような場で、仏教やお経に対して罰当たりな事を書くのをどうぞお許しください。 私はどうやって生きていけば、普通に生きられるのでしょうか。お経を上げなくては私は幸せになれないのでしょうか。

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説法は邪道?お経は自己解釈すべし?

 いつもお世話になっております。私が最近通い始めた法座(読経会)の お寺の住職先生が、法話や説法を邪道とみなしているようです。  法座が終了し、私がノートを片手にお経について聞きに伺うと、 「本当のことを知っているのはお釈迦様しかいないから、説いてはいけない」 「僕のいったことも参考程度に耳に挟んでおいてね」 「説いちゃいけないって書いてあるから(確かに法華経にはそんな文言が あったと思いますが)」 「もしそれを説いて、その人の言ったことを信じてしまったら、変な新興宗教 ができちゃうよ」 「お経を直接読んで、自己解釈するように」(逆にそちらの方が危険な気が… 例:理趣経。それに漢文や中国語の文法が理解できない人はどうするの でしょうか)などと言い、教えていただくことができません。それどころか、 最後の文言のように、かえって危険な事態を招きかねないことを言われます。  法句経ーダンマパダには「教えさとせ」という文言があったような 気がします。対機説法という概念もあったと思います。  それに、積極的に法話会を開いている先生方もいらっしゃいます。  この先生のおっしゃることは、信頼しても良いのでしょうか? 私個人的には「う〜ん…」といったところです。

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