7/18に俳優の三浦春馬さんが亡くなってしまったことが自分の想像以上にショックが大きく、悲しい気持ちから立ち直れません。
もう二度と三浦さんの活躍が見れなくて悲しいという気持ちよりも、自分が大切に思っていた人が自殺をするほど辛い状況にあったという現実がとても悲しいです。
私は追っかけをするほどのファンではありませんでしたが、三浦春馬さんが大好きでいつもドラマやバラエティーを見ていました。
ですが、お会いしたこともないのになぜこんなにも悲しい気持ちになるのか自分でも分からないため、立ち直り方が分からず困っています。
報道は真実ばかりではありませんが、母親との関係で苦しんだ、という報道を見ると、私も親との関係で苦しんだり、死にたいと思いながらもなんとか生きてきたため、勝手に自分を重ね合わせてしまっているのかもしれません。
また、三浦さんはあれほど才能に恵まれ、多くの方に楽しみや喜びを与えてくれていたのに、私のような大して人の役に立っていない人間や犯罪を犯した方がのうのうと生きていて、三浦さんのような方が死ぬほど辛かったということが、どうしても悲しくなってしまいます。それに、三浦さんのように苦しんでいる方は、この世には沢山いるかと思うと、何も楽しめない気持ちになります。
起きてしまった出来事にとらわれず、前向きに今自分の目の前の人だけでも大切にしたいと思うのに、どうしても気持ちが落ち込み食欲もない状態です。どうしたら大切な人の自死を受け止め、乗り越えることができるのでしょうか。
このような質問をして、他に大きな悩みのない贅沢者で失礼だ、と思われてしまうかもしれません。もし不快でなければご指導いただけますと幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教は死に様を問いません。
どのような亡くなり方でも
どのような想いを残していたとしても
仏さまがお救いくださって
お浄土に往って仏さまに成ります。
成仏しています。
どういう経緯で彼が死に至ったのか
真相は誰にも分からないことで
そのことをあれこれ妄想して悩むのは
もう止めましょうよ。
ファンがそういう状態にあることを
それこそ彼は望んでいないでしょうから。
我々が出来る供養は
彼のことを忘れないことです。
彼の作品を愛し続けることです。
誰も責められ苦しむことがないよう
誹謗中傷を止めることです。
『三浦さんはあれほど才能に恵まれ、多くの方に楽しみや喜びを与えてくれていたのに』
そういう言い方をされること自体が
逆に彼にとって苦しかったのだと思います。
人は役に立っていない方が基本幸せなんです。
もし三浦さんが才能も外見もなにも持ち合わせていない
ひとりの人間だったら、そんなに悲しみましたか?
才能に恵まれているとか活躍されているとか
そういったことを除けば
人並みに喜んだり悩んだりする、ごく普通の青年だったと思います。
有名人でしたから多くの人が彼を「大切な存在だった」とおっしゃいます。
そういう人たちは実際、彼のことを本当に一人の人間として大切にしていたのでしょうか。
『自分が大切に思っていた人』とおっしゃるのは分かりますけども
では具体的に彼の何を大切にしていましたか?
『お会いしたこともないのになぜこんなにも悲しい気持ちになるのか自分でも分からないため、立ち直り方が分からず困っています。』
大切にしていたのは彼自身ではなく“俳優としてのイメージ”だからではありませんか?
彼に抱くイメージをご本人によって傷つけられたから悲しいのだと思います。
別件の某俳優さんの不倫騒動も、大切なイメージを傷つけられたから
みんなあれほど怒るわけで本気で彼自身のことを大切に思っていたわけではないでしょう。
構造は一緒だと思います。
こういう言い方をすべきではなかったかもしれません。
でもこの状況は本当に多くの俳優さんを傷つけていると私は思います。
私は視聴者として有名人に対して忘れてならないのは
イメージに対する“憧れ”とか“大切”とかよりも
ひとりの人間であるということ。
人間に対する“理解”だと思います。
彼らがなぜ俳優を志したか。
どのような演出で何を私たちに伝えたいと思ったか。
視聴率が取れないからあまり見せてくれませんが
視聴者は内心みんな「どうでもいい」と思っているに違いないです。
テレビ側もよく分かってらっしゃると思います。
視聴者がたいせつにしているのは
“有名人そのもの”ではなく“イメージ”。
春奈さんはそうじゃない違うって言えますか?
そんなことない、人間として「大切」だとおっしゃるなら、
彼の何を理解すべきかをまずお考えいただきたいと思います。
また同じことが起きる前に。