加害妄想、過ち…
こんにちは…
僕は過去に人を傷付けてきた、そして人から傷つけられてきた。その記憶は保育園児の頃から中学生までのものです。
今になってその過ちに気付いたわけじゃないです。当時は先生に怒られ、人の泣き顔を見て「その場で反省し」謝れたことがほとんどでした。
最近では過ちを犯した自分自信を責め続けて、「きっと他に嫌がらせ、嫌味を言ってきたに違いない」「やった方がすぐ忘れるし、それを楽しい思い出と捉えるから自分もきっと忘れてるんだ」「そこに陰湿な自分がいた」となる…これが妄想なのか事実なのかも分からない
今までの学生活で、自分は部外者として見てきた同級生の悪事などを遠くもしくは近くで見てきたこともあるので、実は自分も同じことをしてきて人を傷付けたことを忘れてるだけではないのかという所に行き着きました。
このことを第三者に相談した時ある人は「みんな通る道だよ」「そんなこと考える人に限って何もしてないよ、そもそもそんな奴じゃなかったよ?」「思春期だからね」「子供は残酷」「そんなこと忘れてるよ、気にするな」「今が暇だからそんなこと考えるんだよ」と僕のことを責めずに、アドバイスをいただきました。
昔から心配性、神経質な性格でしたが、僕は罪深い生き物、不器用で後になって何もかも気付く、謝れたとしても意味あったのかなという考えで捻くれ者です。
今になって気付いたことじゃない、人を傷付けた痛みの方が大きいのは理解したはず、でもホントはできてないんじゃないの?日々感情の浮き沈みがすごくどうすればいいのか正直分かりません…
ニュースで見る、犯罪、不倫、いじめ、自殺の記事またはそれらに向けられるコメント全て自分に言われてるようです。。。
ごめんなさい。
長々とすみませんでした。
ですが、この機会にまたお話しを聞いていただきたいと思いさせていただきました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お暇ですね、に一票。
こんにちは。「本当は…」を考え始めるとグルグルした妄想世界に遊ぶことになります。何故なら「本当は」というのは掴みようがないからです。例えばテストが「100点」と書かれて返ってきたとしても、「本当は100点じゃないのかも」を悩むことはできます。「先生が採点間違いしたって言ってくる」可能性はありますから。入学試験だって同じです。あなたが赤ちゃんの時、誰かと取り違えられた可能性もゼロじゃありません。「もしかしたら、俺は大富豪の子どもだったのかも…」とかね。
実は、そんな時は「他のことに手がつかない」というメリットが生じていることがあります。「悩んでいて勉強しなかった」とかの。そんな可能性はありませんか?
それを、甘えとか言うつもりはありません。「メリットを得ているのでは?」という淡々とした自省です。
「そればかり頭に浮かんで、眠れず体調を崩した」「勉強できなかった」などの「良くないこと」が起きているならなおさら疑ってみて下さい。それらの弊害が出ていないのならば、「あーまた俺この事考えてるよ。暇だなぁ」と客観視して自笑してみましょう。
質問者からのお礼
こんにちは。
ご回答ありがとうございます。
ここ数ヶ月、暇が続き過去を見直し続けていました。あることからないことまでゴールが見えずに、自分自身を痛ぶることばかりして過ごしていました。
少し気持ちを入れ替えてみようと思います。
誠にありがとうございました。