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浄土真宗本願寺派の供養とは

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浄土真宗本願寺派の教えについてご質問させてください。
3月に、祖母が亡くなりました。
実はそこで初めて、祖父母の宗派が浄土真宗 本願寺派であることを知りました。

表面的なことしか知らなかったため、浄土真宗の教えについて少し調べました。
なくなった瞬間に浄土へ導かれるため、今後行われる法要等はすべて現世に生きる私たち家族のためで、祖母にしてあげられることは何もないと理解しました(解釈が間違っているかもしれませんが)

祖母が安らかにいるのならばもちろんそれでよいのですが、これから祖母にできることは本当にもう何もないのでしょうか。

このコロナ禍の関係で、納骨そして新盆の法要に出席できず、お墓参りすらできていません。
祖母とのつながりが薄れていってしまうのではないか、とても心配です。
ご回答をいただけますと幸いです。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

浄土真宗の「できること」

浄土真宗本願寺派の僧侶です。

仰るとおり、浄土真宗では息を引き取るその瞬間が、阿弥陀仏に救われ仏となる瞬間と考えています。
ですので、確かに「亡きお祖母様を仏に導くため・成仏させるため」であれば、こちらからできることは何もない、ということになります。故人様を安らかな仏として成仏させるのは、阿弥陀仏が請け負ってくださったのです。おそらくお調べになったのはこちらの方ではないかと思います。

では「こちらからできることは何もないのか」という質問に対しては、「仏となられたお祖母様(故人様)としっかり向き合っていく」という意味で、できること・していくべきことはある、と考えます。

誰しも、大切な身内の方が亡くなられると、どうしても「何かしてあげられないだろうか」「もっと◯◯してあげればよかった」という気持ちが湧いてきてしまうものです。私も同じような経験はあります。
そして「暑い(寒い)思いをしてないかな?」とか「お腹へってるのでは?喉が渇いてるのでは?」と、亡き故人様の心配をしてしまいます。その気持はとても素晴らしいものだと思います。(里帰りも難しい今の状況ではありますが、そのお気持ちはきっと故人様にも届いていると思います)

ですが、仏さま(となられた亡き故人様)は、仏さまであるがゆえに「私のことは心配いらないよ。それよりも、あなたのことが心配なんだよ」と、こちらのことを心配し、見守り、導き続けて下さっている方です。
私のほうが仕事や生活で忙しく、仏さま・故人様のことをすっかり忘れていても、仏さまの方は決して私を忘れずにいてくださる。そんな方を「仏さま」というのです。

ですので、まずは生活の中で、仏さまと向き合う時間を作って下さい。(お仏壇があれば家の中でお参りする場ができますが、無いのでしたら、東京であれば築地本願寺にお参りされるのはどうでしょうか)
そして、手を合わせて「いつもいつも私を心配して下さっている仏さま、ありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします」と、故人様のご生前のお姿を偲びながらお参り・お念仏申して下さい。

仏事や仏教そのものへの関心や疑問がありましたら、お聴聞する(法話を聞く)等もまた、仏さまと向き合うひとつの姿であろうかと思います。

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2016年5月より登録させていただきました、新米回答僧です。 浄土真宗の...
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亡き人から願われているのです。

Blairさま

はじめまして、釋等心(しゃくとうしん)と申します。

私は浄土真宗大谷派ですが、本願寺派の教えと全く同じですので回答させていただきますね。

Blairさんが言われるとおり、亡くなったBlairさんのおばあさんは浄土に帰られましたので、生きている私たちがしてあげることは何もありません。
私たち浄土真宗の教えから言えば、亡くなった方に何かをしてあげる(これを供養といいます)のではなく、亡くなった方が仏となり、私たちに仏教を聞き真実に目覚めてくださいと願われているのです。(これを回向(えこう)といいます)

私たちが亡くなった方へできることとすれば、いち早く真実に目覚め、真実に生きることではないでしょうか。
日々、自己中心に生きている私たちですが、亡くなった方と生前のことを思い出したり、Blairさんのおばあさんが何を大切にされて生涯を過ごされたのか。それを仏教を通して再確認してみてはどうでしょうか。
私はこれを亡くなった人との「出遇い直し」と呼んでいます。
それがBlairさんがおばあさんにできる唯一のことではないでしょうか?
そして、出遇い直しを通して、自分自身のあり方、生き方を見つめ直してみてください。

納骨や法要は出遇い直しのための大切な行事です。それに立ち会えないということはとても残念です。
ですが、このコロナ禍の状況ではどうしようもありません。
納骨や新盆の法要に立ち会えなくとも、おばあさんとの出遇い直しはいつでもどこでもできます。あなたがおばあさんを思う気持ちがあればいつでもどこでも出遇い直しはできます。

私たち浄土真宗は供養ではなく、回向の仏教です。
亡くなった人から私たちが「一度きりの人生、悔いのない人生をおくってください」と願われているのではないのでしょうか。
ややこしくなりますが、残された私たちが精一杯生きることが亡くなった方への供養なのかもしれませんね。

Blairさんのおじいさん、おばあさんがBlairさんに仏教を聞く機会をつくってくれました。これを機に少しずつ仏教に触れていってみてください。

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新潟県のとある田舎にあるお寺を父の住職とともにお預かりしています。 ...
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ありがとうございます。

 ご質問ありがとうございます。祖母さまの訃報に接し心から哀悼の意を表します。
 まずは、築地別院へ参拝されましたでしょうか。浄土真宗本願寺派は私たちが亡くなるのと同時に御浄土に生まれさせて頂くという教えでございます。御本尊である阿弥陀如来さまの御慈悲により救われるという事でございます。既に回答頂いている先生方もおっしゃっておられますので、私の回答とさせて頂きますが、御参りが出来ないという事で、祖母とのつながりが薄らぐという事であれば、築地別院が開催されている仏教のセミナーに参加される御縁が大切ではないでしょうか。 合掌

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山寺の住職です。他の仕事と兼務してます。
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