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仏壇と信仰宗教

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有り難し有り難し 29

初めて質問させていただきます。

私は、三人兄弟の末弟で、長男は結婚し実家を離れて暮らしており、次男は生まれてすぐに他界しております。
父も母も各々の実家の跡継ぎではなく、母方は浄土真宗らしいのですが、父方に関しては、父が全くこのての事に関心が無いためわからずじまいです。
そんなこともあってか、次男の葬儀の際も病院のご紹介頂いたお寺(浄土宗)にお願いしたようで、実家にある仏壇もその時のものといっていました。
特に檀家などでもなく、お墓も公営墓地です。
質問というのは、このような場合でも供養の作法は浄土宗に倣うのでしょうか?
父母は特にこだわりないようなのですが…
とゆうのも、私自身が最近その話を母から聞くまで知らなかった(お恥ずかしい話ですが)為、以前から空海様の教えが好きなこともあり、真言宗の作法で日々手を合わせていたもので…。(一人暮らしの為、直接実家の仏壇を拝んではいません)
日々のお祈りは自分の守り本尊(大日如来)に手を合わせています。

このような場合、このままでもいいのか浄土宗の作法に変えるべきなのか悩んでおります。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

難しい質問ですね。

仏教は、お釈迦様が説かれ教えになります。
対機説法といって、その人その人の境涯や境地にしたがって教えを説かれています。
仏教とは、仏道ともいいますが、悟りを開く道、仏様になる道なのです。
だから仏様は、先達(師)であって、目標なのです。
だれでもなれる道をお釈迦さまが示されました。生きとし生けるものすべてが平等、対等です。
富士山登山に例えれば、静岡県から登るのか、山梨県から登るのか、
登り方を宗派とお考えいただければよいと思います。
江戸時代以前はお寺自体が宗派を変えるということも多かったと聞きます。
日本の仏教は江戸時代に檀信徒制度が確立し、封建制度にあって家の宗派を守る
ということで、江戸時代250年は、維持されてきたように思います。
どの宗派で行うのか、ご実家については、ご家族ご親族の皆様とよくご相談されて何を選択されるのか、
皆様が納得される形で進められたら良いのではないでしょうか?
浄土宗は、「選択本願念仏集」を著された鎌倉仏教の旗手であらせられる法然上人です。
真言宗は天才であり、大唐の青龍寺の恵果和尚より、わずか半年で伝法灌頂をうけるという
まさに密教の主、不空三蔵(金剛)の生まれ変わりと讃えられた弘法大師さま。
仏教は因果の法則にしたがうといいます。いま、あなた様が、真言宗を信仰されているのも、
それは前世かその前か、密教にご縁をいただいて信仰されている、それはそれで尊重されるべきと
思います。
夭折された、ご兄弟は、浄土宗のご縁をいただいて、その流儀でご供養を受けた。
それはそれで尊重されるべきでしょう。
両方を一緒に選択されたらいかがですか?ご自宅では真言宗。
お帰りになって、ご実家では、お念仏「南無阿弥陀仏」、
ご自宅では、「南無大師遍照金剛」
「オンアビラウンケン=胎蔵界大日如来真言」を唱えられたらよろしいいのではないでしょうか?
仏さまの教えを学ばれるというのは、御同朋として大歓迎、素晴らしことだと思います。
私自身、その道を試行錯誤しながら一歩一歩と進めているところでございます。
積極的に学ばれて、あなた様ご自身の何かを感得されたら、
本当に素晴らしいと思います。
どうぞ、精進なされませ。 ご健勝をお祈り申し上げます。

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おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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真言宗でも阿弥陀仏信仰がある

浄土宗の仏壇なら、ご本尊は阿弥陀仏のはず。
阿弥陀仏信仰、浄土信仰(阿弥陀仏のつくった極楽浄土へ往生することを願う)は、真言宗にもあります。真言宗で阿弥陀仏像があるお寺もあります。
浄土宗は浄土信仰に特化していますが、他の修行を否定してはいません。(極楽浄土に行ってから阿弥陀仏の指導のもとでさまざまな修行をしようという考えです。)
真言宗の作法で供養したあと、最後に、南無阿弥陀仏の念仏をとなえながら手を合わせてはいかがでしょうか。
「なむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶつなむあみだぶーぅ」
と、10回となえるのを十念と言います。
10回目(なむあみだぶーぅ)のときにおじぎをします。
浄土留学で学ぶ修行(真言)を浄土に行く前から予習し、浄土生きチケットである念仏でチケットを亡くしていないか確認。
大日如来は抽象的な真理そのものの宇宙仏(法身の仏)でしょう。
一方、阿弥陀仏は修行の結果悟った人格的な仏様(報身の仏)で、具体的な救いの活動をする仏様です。
宇宙に散らばっている悟りのヒントはすべて大日如来のメッセージかもしれない。
阿弥陀仏はそのヒントに気付いて悟り、生きとし生けるものを救う活動をなさっている仏様、だと考えてもよいかも。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

願誉浄史様

ありがとうございます。
「宇宙に散らばっている悟りのヒントはすべて大日如来のメッセージかもしれない。 阿弥陀仏はそのヒントに気付いて悟り、生きとし生けるものを救う活動をなさっている仏様」
このような考えかたもあるのですね。
そう思うと少し楽になりました。

三浦 康昭様

ありがとうございます。
実家の仏壇のこと、家族とも話し考えていこうと思います。
実家と私個人の信仰どちらも尊重してよいと仰っていただきありがとうございました。

お二方のお言葉を聞き、もっと柔軟に考えていこうと思います。
この度は本当にありがとうございました。

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