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家族が死ぬのが怖い もう死にたい

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有り難し有り難し 103

こんにちは
この頃私はすぐ泣いてしまいます

母から買って貰った物や、家族とよく一緒に通る道やスーパーを一人で歩いたり、家族との思いでがある場所(家の中など)にいると、胸が苦しくなって、手が震えて涙がぼろぼろ落ちてくるんです。
一人になるとすぐそんな事になってしまって辛いです。

私は小学5年生ぐらいの時から、母のようなお母さんになりたいと思っていたのですが、今思うと
母のような人になりたいのでは無く、母になりたいんです

優しくて強い父と結婚して、私を生んで、数年したら妹を生んで、私と冗談を言い合って、父がゲームをしている所を私と一緒に見て、近所のスーパーに私と行って、今自分が住んでいる家で私と妹の子育てをしている母に憧れていたんです

母のようなお母さんになって新しい家庭を作るのではなく 母自身になりたいんです 今住んでる家を出て、違う家で、違う場所で、家庭を作るんだと思うと この先私は幸せになれるのか不安です

ずっとこのままでいたいんです ずっとこの家で母 父 妹 おじいちゃんおばあちゃんと暮らしたいんです そんな事は出来ない事は分かっています でも苦しいんです 怖いんです

これからそんな気持ちで生活するのは嫌です、でもすぐに悲しくなってしまいます 何か楽しい事をやっていると落ち着くのですが それをやめると どっとつらい気持ちになります それがもう2週間も続いています

こんなネガティブで家族離れできていない自分が嫌です
どうしたら、そういう事を考えないように出来るでしょうか
助けてください 死んじゃいたいです 


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

先のことより昨日に感謝、一昨日に感謝の積み重ね。

こんばんは。
死にたくなるくらい
家族と離れ離れになったらどうしよう!
悲しい寂しい、別れるのが嫌な気持ち
それと
本当に家族大切にしてるんだなという思いがとてもとても伝わりました。

けど、本当に死んじゃったら、永遠のお別れになっちゃいますよ。
楽しかった思い出を思い出すことすらできなくなってしまいますよ。
それは寂しいです。

この時期のこのコメントということは、
4月から住む環境が変わり、新たな世界へ旅立つのでしょうか。
あるいはもしも家族との別れが起こたらということを考えてしまって
頭から離れない状況でしょうか。

お父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃんに
雪乃様の思いをそれぞれ、手紙に書いてはいかがでしょうか。
この文面で良いので。一人ずつお返事ちょうだいと。

環境の変化は今後あるかもしれませんが、
それに合わせて、
雪乃様も気持ちを変化させなきゃいけないってことはないですよ。
家族を大切にする思いは、
ずっと、ずっと思い続けていただいていいんです。
20年後、30年後も。

子を持つ親にとっては
最高の褒め言葉だと思います。
子どもにそこまで思われるような家族ってそうないと思います。
手本にしたいです。

先のことばかり気にするのでなく、
今日1日家族と一緒にいれてよかった。
今日も一緒にいてくれてありがとう。
そんな日々の積み重ねも大切にしてください。

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おきもち

自分のことはあまり好きじゃない。 でも、だから、せめて自分だけは 自分...
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すぐにでも悲劇が起こる心地して少女が流す感傷の海

何時までもあると思うな親と金なんて無粋なことを昔のひとはいいました。
私が小六だったとき、ご近所の幼稚園ぐらいの子供が2人いた工務店の奥さんが、大人同士で話していたのを聞いていまも思いだしますが「もし私がいま急に死んでしまったらこの子供たちはどうなるのだろうと思うと、涙が止まりません」といって涙ぐんでいました。
なんか現実離れした変な会話ですね。
感傷にふけるとか、センチメンタリズムとかいいますが、不幸なことを予想して涙を流すのは人間の優しい性かも知れませんが、こういうのを取り越し苦労といいます。
男の子はあまりおセンチにはならないかも知れませんが、女の子は想像力がたくましくて、想像のなかで親が死んでしまったら、、、と思うだけでもいたたまれない気持ちになるのでしょう。いまの平安、これをそっとしまっておきたいと願うのでしょうね。
まして他家に嫁いで母親になるなど、怖くて想像もつかない。
でも時が経つとあなたもそうなっています。
今の家庭環境をポケットや鞄に入れてしまってはおけないのです。
あなたのような少女を育ててる親御さんは、娘が想像のなかで自分を殺してしまってることなど知らないで、ほらゴハンですよ、などと呼んでくれたりしています。
あなたは成長の途中ですから、いまはいろいろそんな想像をたくましくしていますが、ご両親があなたの気持ちを知ったら、きっと大笑いすることでしょう。
昔から、嫁をもらうときはお母さんをよく観察しろなどといいます。おかあさんの年齢になったらそっくりそのままになるのが娘というものだからです。
若くて美しい娘だと思っていても、母親をみれば娘の未来の姿が立っている。

泣きたい気分のときは大いに泣くがよろしい。感傷という少女のそれがやまいだからです。
そのうちに自分からアホらしくなってくることでしょう。
一時的感傷癖症候ですね。
あなたの年代ではもうしっかりと文学でも繙いていっぱしの理屈でもいう生意気盛りになるころです。
自分がどれくらいの家族ばなれできてる大人なのかを自己採点してみましょう。

垣根越えいずれ向こうへ消えて行くmelancholy indeed

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有り難し
おきもち

山内 宥厳
楽健法と楽健寺の天然酵母パンを普及しはじめてかれこれ半世紀になります。楽健...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございました
少し気分が軽くなりました、やはり溜め込んでしまうと駄目ですね 
 自分以外の人に自分の悩みを聞いてもらうのは初めてで、とても勇気づけられました
本当に本当にありがとうございました!

「死ぬのが怖い・死恐怖症にお坊さん知恵袋」問答一覧

親離れと親の死に対する恐怖心

通勤時間短縮や自立した生活をするために、数年前から一人暮らしをしている30代女性です。 両親とは仲が良いこと、実家も県内にあることから、月一回は帰省しているのですが、ここ最近、一人暮らしの家に帰る度に、寂しさと悲しさが込み上げてきます。 たまに、両親が一人暮らしの家まで送ってくれることがあるのですが、良い歳した大人が別れた後に泣いてしまうのです。 ひどい時は、車中で泣いてしまうことがあります(泣くと親を心配させるので、こっそり泣いています)。 また、両親に持病があることや、ここ数年で他の親族の死を何度か経験したことから、いつか来る両親の死のことを考えてしまうことが増えてしまいました。 命あるもの、必ず死が来ることは分かっているつもりですが、両親が亡くなったら、私はメンタルが保てないのではないかと、すでに恐怖を感じています。 実家から帰省後、悲しくなって泣いてしまうのは、親離れができていないせいだと思っているのですが、親離れをするためにはどうしたら良いでしょうか?やはり、帰省回数を減らす事が得策になるのでしょうか? また、いつかくる両親の死に対する恐怖にはどうしたら打ち勝つことができるのでしょうか? どうか、ご助言をいただけないでしょうか。

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大切な人を失うことへの恐れ

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死にたいと思いながら死ぬのが怖い

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お世話になっております。 以前より、強い死の恐怖について質問しており、その度に暖かいご回答を頂き大変感謝しております。 今回は、自分の死を受け入れて生きることが現実的に可能なのか、という質問です。 今まで頂いたご回答や仏道の自習において、「死はみんな怖い、けれどそのまま生きている」「死の恐怖を無理に消そうとしない」「禅は【今を生きる】修行で、未来のことを考えない(未来のことを考えるのは、今を生きていない)」といったお考えを学びました。 このお考えの論理そのものはとてもよく分かります。そもそも怖がってたって人間は死ぬし、時間の無駄だとも思います。それでも湧く本能的な恐怖なのですから、放っておくしか無いのが実状でしょう。 また、心理学の森田療法でも同じように書かれており、宗教の壁を超えた現実的なお考えだと思っています。 ですが、その考え方は、本当に現実的に可能なのでしょうか?このお考えを知って尚、そんなふうに生きれない私がおかしいのでしょうか。 私は恐怖感に襲われ続け、正直もう疲れてしまいました。皆さんに暖かいご回答を頂いているのにも関わらず、恐怖を受け入れられない自分が情けないです。そしてできる限りの実践や自習もしてきたつもりです。自分のできる限り死に向き合って、でも実生活が疎か疎かになるから恐怖を無理やり忘れて、また思い出してはパニックになりの繰り返し。 日常的な禅などで身体で理解するまでにも至らず、3年ほど強く悩まされて「本当は恐怖を受け入れる日なんて来ないんじゃないのか、来ないまま慄き泣き喚き絶望に塗れて死ぬしかないんじゃないのか」と絶望でパニックの日もたくさんあります。 修行が足りないだけなら今後も修行するしかないのでしょうが、会得までの長い間がもう、頑張れないです。弱音吐いてすみません。 死ぬのが怖い、でもその気持ちを抱えたまま生きているのがどうしても苦しい。皆同じだからと言われても、私が納得できないんじゃ、私は救われないままです。 わがままだと思います。自己中だと思います。ただ、辛い現実から救われたいのは、それこそ皆同じなのではないかとも、思っています。 具体的な解決策はありませんでしょうか。 どうか知恵をお貸しください。

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初めてこのサイトで質問をする中学生です。 私は幼い頃、意味もなく虫を殺してしまったことがあります。また、人からお借りしたものを無くしてしまったこともあります。そのことを深く後悔し、捕まえた虫は逃し、精一杯人に親切にするように心がけていますが、今も毎日歩くたびに、手を洗うたびに、息をするたびに、たくさんの微生物を殺し、食事のたびにたくさんの動物の命をいただいて生きています。人に悲しい思いをさせてしまうこともあります。 最近、こんな自分が世界一の悪人であるように思え、命を脅かされることもなく幸せに暮らしていることが心苦しくて仕方なくなりました。すると、死後に罰を受けないはずが無いと思い、何をしていても死の恐怖が頭から離れなくなってしまいました。今この瞬間も生き物を殺してしまっているのだと思うと、心臓がバクバクして、辛くてたまらなくなります。それでも、罰を受けたく無い、死にたくないと思ってしまいます。幸せを実感するたびに、申し訳なさと、死の恐怖で頭がいっぱいになります。自分勝手なことだとわかっていますが、死後もずっと今のように家族や友達と笑い合って、今のように平穏で幸せな暮らしをしたいと思ってしまいます。死によって今の幸せに終わりが来るのが怖いです。 私はやはり地獄へ行くのでしょうか。死んだら、もう二度と大切な人たちと暮らせないのでしょうか。めちゃくちゃな文章でごめんなさい。回答をいただけると幸いです。

有り難し有り難し 6
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