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本能と煩悩

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ほんのう(本能)に濁点を付けた瞬間、「ぼんのう(煩悩)」に変わることについさっき気づきましたが、どうやって、煩悩(執着)を捨てることが出来るでしょうか。
肉体を持っているが故の苦しみは、人生のあらゆる場面で現れやすいので気をつけたいものです。合掌。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「執着を捨てる」というのは、本来、正確な言い方ではない

ともやさま

おぉ、、本能の更に汚れた(濁点が付いた)ものが煩悩。確かにです。

本能は、生まれながらに備わっているものになりますが、同じように生まれながらに持ってしまっている実体視執着があることを「俱生の諦執」と申します。先天的な問題であります。

そして、更に後天的にも、分別を働かせて、様々に諦執があれこれと生じてしまい、なお、問題が膨れ上がってしまうのであります。いわゆる煩悩というものであります。

また、上記二つを所知障と煩悩障という区分で扱うこともあります。

いずれにしても、問題となるのは、モノコトが実体としてあるかの如くに顕れてきてしまっているところへの囚われであります。

「執着を捨てる」というのは、本来、正確な言い方ではなく、「実体視を辞める」という方が使い方は正しいものとなります。

「実体視を辞める」ためには、「空」の理解が大切なものとなります。

是非、「空」、そして「縁起」について学び進められて下さいませ。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
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