法要の必要性について
初七日、四十九日、一周忌、三回忌などの法要は必須なのでしょうか?
私自身供養したい気持ちはあり、毎日仏壇に向かって挨拶と定期的な墓参りは行っています。
法要についてなんとなく行ってきましたが、兄弟から金銭や工数の負担面からも要らないのではという意見がでて、強い反対理由もなくやめてしまおうか悩んでいます。
・他人の成功に嫉妬してしまう ・甘いものがやめられない ・他人に厳しく、自分に甘い ・欲望に負けやすい ・散財しがち
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご質問ありがとうございます。
宗派によっても違うと思います。浄土宗なら無理をして年忌法要しなくてもそれぞれが日頃からお念仏をお称えすればいいと思います。ただ大人になり歳を重ねると家族や親族が集まる機会は減っていきます。会う機会が減れば誰かが苦しんでいても気が付かず手を差し伸べることができません。ですから数年に一度は集まってお互いの近況を話したりするのに年忌法要は良い機会になると思います。また法要の時でしかなかなか仏教や宗派の教義を聞く機会もありませんし、法要が終わった後ならお坊さんに色々と仏教や人生について質問したり相談したりしやすいと思います。なので私個人としては無理にきっちり年忌法要をしなくてもいいけど数年に一度は集まる機会を作る方がいいし、命日でなくても集まれる時にお坊さんを呼んでくれたらいいと思います。またその時は一霊だけでなくニ霊まとめて供養してもいいと思います。お布施はご家族で無理のない範囲で少しずつ集めてくれたらいいと思います。あなた達が兄弟が明るく正しく仲良くされることを何より優先してくださいね。
これはあくまで私個人の思いです。
ご参加までに。
追善供養のあり方
大福大家さま
回忌における追善供養(代表的には、初七日から三十三回忌までの十三仏供養)は、必ずしなければならないというものではありません。
もちろん、正式に僧侶に読経して頂いて、功徳を回向して頂ければ良いでしょうが、そうはいかないそれぞれの事情も色々とあるかと思います。
ただ、重要となるのは、「追善」という言葉が示しているように、簡単に申せば、「功徳を届ける」ということが大切となります。
功徳とは、つまり、善い行いの積み重ねになります。
ですから、本来は、私たちが善い行いに励んだ、その功徳を届けるということが法要において大事なものとなります。
昨今は、形式的な法要のみとなり、功徳を積む面が疎かになってしまっていますが・・もちろん、僧侶の読経・回向というものにも功徳の一つの役割はあります。
ですから、本来は、「こんないいことしましたよ」と報告してあげるだけでも立派な追善供養となります。
もちろん、仰々しく、寄附やボランティアやとかではなく、「電車で妊婦さんに席を譲ったよー」とか、「ゴキブリを殺さずに逃がしてあげたよー」とかでも構わないのであります。
何か仏壇やお墓の前で報告できる善いことを少しずつ積み重ねていって頂ければ有り難いと存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
三宅様 川口様
丁寧なご回答ありがとうございます。
お二人のお話を聞いて、形式や手段ばかりに目を行き過ぎていたのかと感じ、冷静になると気が少し楽になりました。親族と会う良い機会ととらえ、今後を検討していきたいと思います。改めてご回答いただき感謝しております。