母と縁を切りたいかもしれない
母には愛してもらっているとは思います。ですが母があまり好きだと思えません。
昔は大好きだったのですが、今は母が帰ってくるとそれだけでストレスに感じます。
まず、母は毎朝身支度をする際、お気に入りの曲を大音量でながします。私は母と趣味が合わず、母が流す曲はあまり好きではありません。ですがそれをやめてくれと言っても母は「かーちゃんだって我慢してることある」と言います。だから最近は諦めて我慢しています。
次に、母との食事の会話です。母は帰ってくると必ずと言っていいほど職場の話をします。内容は職場の人がああだこうだといった、正直悪口のような話です。それがすごく嫌です。でも吐き出さないとしんどいのだろうと思い話を聞いています。
2人だけの生活で1日に一緒にいれる時間はあまり多くありません。だからその時間くらい今日あった嬉しかったことや楽しかった話を聞きたいし、したいと私は思っています。
ですが、私が嬉しかった話や友人との楽しかった話をすると、母は時々、私の友人を悪人のような言い方をします。その度に抗議はしますが、あまり意味はありません。
もう、母の話す言葉も、歌う声も、価値観も全てが嫌になりつつあります。
早く離れたいです。ですが年齢的にまだ無理なので耐えています。
離れることができたら、すごく愛して育ててもらったのに母との縁を切りたいと思っています。
やっぱり私のこの思いはおかしいでしょうか。愛されたのに縁を切りたいのは罪でしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
良くなるためには、根にある膿を出すことから
拝読させていただきました。
人間十人十色ですよね。それぞれの家庭環境があり、戻すことは難しいものであるものですよね。簡単には。
人間誰しも「愚痴を吐きたい場所」があるもので、社会人になれば、まさかこんな良い環境で働けているのに、悪口が横行しているなどは意外に多かったりするものです。
悪口は仏教では十善戒の中にある「不悪口」に値しますが、人の悪口が相手に聞こえないところで言うことで、嫌な思いを吐き出す環境が娘様である つみきさん なんですね。観点を変えると娘を信じ、口外されないと信用されているということにも取れますね。
最近、私のお寺にこのような相談者が来られました。男の子の小学生です。父のギャンブルで、借金ができ、毎月の家のローンも払えないと。。。母は朝から晩までパートにアルバイトの掛け持ちで、金銭のやり繰りをしながら奮闘しているのですが、父は息子にも新聞配達を強要してきているとの相談でして。
人生はすべて時間が経てば、経験となり大人になったときには経験値の高い大人へと成長していくものであります。
その息子さんは転校もしたくない、妹は幼稚園で面倒も見ないといけない。母は働き詰めで、ご飯も遅くなったりと悪循環の日々が続いているようです。
この不幸の連鎖を止めるには、父のギャンブルを止めるほかない。もしくは離婚しかない。と考えましたが、まだ両親と対話していないことから、安易な返答はせず、話を聞いている段階です。小学生なら友人と遊びたい、ゲームがしたい、塾に行きたいなどなど、やりたいことができない。求めるもの(愛情・お金・物など)は手に入らない。実は、これは誰にしも値することであり、仏教では求不得苦といいます。
こうであってほしいという境界線を下げることで、お母さんの本当の気持ちと会話することができるかも知れません。
命がけで、つみきさんを育てる気持ちは心の奥に必ずあるものです。
お母さんは本当は泣きたい心境ではないでしょうか?甘える環境が つみきさん以外に無いのではないでしょうか?
つみきさんは辛い環境に今、置かれていると存じます。
家族ですので、また母と二人、どんな人と暮らそうが不満がない家庭は、仮面家族です。ぶつかってもいい。本音と本音で心を通わせることの勇気を一歩踏み出してみてください。
合掌
質問者からのお礼
お忙しい中、回答ありがとうございます。
回答の中に書かれてあった通り、母は今私にしか甘えられないのだと思います。
母は生活や日々の仕事が苦しい中、私のために毎日頑張ってくれています。それは、私も分かっているつもりなのです。でも、それなら、私は誰に甘えればいいのだと思ってしまったんです。
これからは母に対してのこうあって欲しいというのはやめていこうと思います。
少し楽になりました。ありがとうございました。