仏壇をとじることについて
ご相談させていただきます。
私は結婚していているのですが、事情があり実家から持って来た仏壇を自分で供養しています。
自分の実の親族、家族などとはとても縁が薄い状態です。
これからも永遠に連絡を取り合う事はありません。
仏壇には先祖と祖父母の位牌が入っています。
本家ではありません。
先日、急な高熱が出て、PCR検査の結果コロナではなかったのですが、持病があり、もし自分に何かあったら残してしまった仏壇が、現在結婚している親族に対して迷惑になってしまうのではないかと大変気になりました。
私には子供もなくこの先、この仏壇を供養してくれる人もおりません。
主人と義母とは、私の生きているうちにとの話しで持ってきています。
今回の体験で、仏壇を閉じようかと思ったのですが、守って貰っていると感じていたし、寂しい気持ちがあります。
ただ、私は望まれた子供ではなく、小さい頃から存在することすら大変嫌われていたので祖母からしたら私に供養されても嬉しくないとも思います。しかし、私はその祖母のおかげで育つ事ができたので感謝しています。
祖母が亡くなったのが64歳で私も遺伝で同じ病気を持っているため、60歳までは自分で供養しようと決めていました。私は現在49歳です。
このタイミングで仏壇を閉じてしまって良いのかとても迷い、悩んでいます。
宗派は真言宗です。
文章が稚拙で伝わりにくいと思いますが、何かお言葉をいただきたいのです。
どうかよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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発遣
まめさま
仏壇を事情によって閉眼することはよくあります。
後顧の憂いを避けられるために、自分でできるうちに閉眼なさられておかれるのもよいでしょう。タイミングはそれぞれです。
供養してもらえるのは、どのような生前における事情があれども嫌がることではないでしょう。むしろ、大変に有り難いことであると喜ばれるでしょう。
仏壇の本来の趣旨は、菩提寺の本堂のご本尊さまへのお参り、ご供養を自宅でできるように、お墓の代わりとして位牌でご先祖さまをご供養できるようにとして、開眼されるものとなります。
それぞれに、お性根入れとか、お魂入れなどと申すように、仏様や亡くなられた方を招来するところとなっております。
ですので、仕舞われる際には、閉眼供養として招来させて頂いたものを発遣、お帰り頂く供養を行うところとなります。
仏壇、位牌と、カタチとして対象があった方が、対象を明確にして供養ができるものの、もちろん、発遣してお帰り頂き、対象のカタチが無くなったとしても、供養の心はいつでもいかなる時でも、ご本尊さま、ご先祖様を思い浮かべて頂くと届くものとなります。「念」というものであります。
ですから、カタチは無くても供養なさられるお気持ちがあおりであれば、寂しく思われることはないかと存じます。
川口英俊 合掌
はじめまして、まめさん
北海道白老のはくりょうと申します。まめさんのお悩み、読ませていただきました。
お仏壇をお祀りし、ご先祖とお祖父母のお位牌をご供養される事は、とてもありがたく尊い事でございます。「縁が薄い状態」であればなおさら、ご先祖のご供養が大切です。
お仏壇を、置いたり閉じたりはそのご家庭の事情にもよります。置くべき時も閉じても良い時期も、やはりあるでしょう。もしもまめさんの負担になっているならば、閉じるべきタイミングですね。
ですがまめさんは、「守って貰っている、寂しい気持ちがあります」「とても迷い、悩んでいます。」と感じておられる。やはりまだ供養を続けられてもよろしいのでは。お祖母さまもきっと喜んでおられますよ。
「祖母のおかげで育つ事ができたので感謝」の心を持つ優しいまめさん。
もう少しだけご供養をお続けになり、お祖父母様かご先祖の十数回忌(三十三回忌)以降に閉じられてはいかがかと。
まずは、菩提寺かお仏壇をお入れになった時のお寺様に相談されるのが早そうです。
「私は望まれた~嬉しくないとも思います。」の一文、ご先祖さまも皆悲しんでおられそうです…
心優しきまめさんの、健康とご多幸をお祈りいたしております。
はくりょう拝
質問者からのお礼
温かいお言葉、涙がでました。
ありがとうございます。
決心がつきました。
以前、ダライ・ラマ法王が来日されている時に偶然、
説法を導かれるように拝聴いたしました。
チベット仏教のご研究をなされているお方に今回お答えをいただき、
本当にご縁のありがたさを感じ、感動しています。