部下を厳しく叱ることができません
小さな会社の管理職をしています。
部下の間違いを指摘することは出来るのですが、厳しく叱ることができません。会社の不利益になるような大きな失敗ではないので、その都度注意する程度です。
部下はそれでも同じ間違いをよくします。もっと強く叱らないと・・・と考えますができません。
私自身が完璧ではなく、間違いもします。それなのに部下を叱るなんて、自分を棚にあげているようで・・・と思ってしまいます。
大学生の娘に何気なく話をしたら、「それはママは自分が嫌われたくないから、自分がかわいいだけ。それじゃ下が育たない。」と叱られました。
やはり厳しく叱れないのはいけない事でしょうか。上司とは、部下を厳しく叱らないと失格でしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
伝え方を考えてみましょう。
minminさん、ご質問ありがとうございます。
管理職で、部下が同じ間違いをするので、厳しくしからないと、と
お考えのようですね。
あなた自身も完璧ではない、それを忘れて叱るのは何か違うように思う。
厳しく叱るということは、必要なことではありますが、
唯一の方法かと聞かれれば、そういうわけでもないと思います。
嫌われたくないから…という理由はあまり理由になっていませんが、
その部下は、厳しく叱られたときに、どのような反応を示す人なのでしょう?
厳しく叱ったことで、あなたの思いがよく伝わるのなら、それも一つの
方法ですが、
厳しく叱られると、かえって何を叱られているか、理解できないということもあります。
部下の間違いの原因を部下と一緒に考えてみませんか?
頭ごなしに叱るよりも、一緒に考えて改善していくのだという
あなたの意思を伝えた上で、真剣に改善策を作ってみましょう。
部下の頭の中を上手に整理してあげることができれば、
その部下はきっといい方向に進んでくれるのではないかと思いますよ。
叱らなくてもミスは防げます
「愛語」という言葉があります。優しい言葉をかけるという事です。
曹洞宗の開祖、道元禅師は、
「
愛語といふは、衆生をみるにまづ慈愛の心をおこし、顧愛の言語をほどこすなり。
おほよそ暴悪の言語なきなり。
猶如赤子のおもひをたくはへて言語するは愛語なり。
徳あるはほむべし、徳なきはあはれむべし。
むかひて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こころをたのしくす。
むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ、魂に銘ず。
愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり。
」
(愛語というは、優しい心を起こし、親切な言葉を発する事である。
およそ暴悪の言語などはない。
赤子に対するが如くに慈愛の心をたくわえて言葉を発すれば、それが愛語というものなのである。
徳あるものはほめ、徳なきのもは慈悲の心で接する。
直接愛語を聞くのは、うれしいものだ。
間接的に愛語を聞くのは、心に残るものだ。
愛語には世界をひっくり返すほどの力がある。
)
というように示しています。
叱らなくても、ほめ、優しい気持ちで接することで、特に声を荒げなくても、きっと仕事は進むことでしょう。
私は、地元消防団で「班長」という役についており、団員を指示する立場にありますが、決して団員に対し叱ることはしません。してくれた仕事に対し感謝の気持ちを忘れず、失敗には「大丈夫、次気を付けよう」といい、失敗しそうなときには「前、ここ失敗したよね、気を付けて」と声をかけるようにしています。それだけでミスを防ぐことができます。火事場では気分が高ぶってしまうので、さらに言葉に気を付けるようにしています。
もちろん、ボランティアの組織と会社とでは違うかもしれませんが、上司として「叱らない」というのは、ひとつの方法として良いのだと思います。
私もそうですけど、minminさんも叱られるのはイヤですよね。できれば叱らずにミスを防げるよう工夫したいものです。