自分でも後悔しています。
皆さん、年越し前でお忙しいかと思います。
年越えて落ち着いてからご相談しようと思ってしましたが・・・、
そうもいかず・・、相談させてください。
今日の出来事なのですが、母親と妹と出かけている途中のとある道路に、動物なのか、それともゴミ袋なのか・・、分かりません(反射的に目を瞑ったのでうっすらとしか分かりません)が母親が運転する車がそれを避けました。
その後、あれが動物だったのかゴミ袋だったのかは分かりませんが、見て見ぬふりをしてしまった事に後悔しています。
とてもじゃありませんが、見て見ぬふりはよくないと思っています。
自分でも、後悔していますし、自分を責めたり、他人任せにしたり、・・色々頭の中が駆け巡りました。
一応帰る前に色々スマホで調べましたが、年末という事もあって・・って事で
諦めました。
家に帰って調べてみましたら、対応できる番号がありました。
またこのような事があったら、対応してあげるべきだとは思ってます。
ですが、自分の見て見ぬふりは許されるものではありません。
悪いことだとも思っています。他の出来事でもそうですが・・、
自分はあの時どうしてあげたらよかったのか、もし勇気があれば
まだこんなふうに後悔しなくてもよかったんじゃないかなと・・、
今となっては後悔しかありません。
自分の行いはきっとよくないと分かってます。
きっと未来は、天国より地獄の方に落とされると思ってます。
悪いとこも反省しています。
でも何度も同じことの繰り返しで、やらないと決めてもまたやってしまって
責めて、気を付けて、やってしまって、また同じことの繰り返し。
また自分を責めて責めて、同じことの繰り返しで疲れました・・。
もう、嫌です。何もかも楽になりたいです。
死ぬ事で気持ちが楽になるとは思えませんが、自分はどうしたらいいですか・・
お忙しいと思いますが、教えてください・・。
こんな気持ちで年を越しても気分は・・よくないです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
慈悲がひとつ芽生えたのです。
拝読させていただきました。
「悔い」という思い。これは、苦しいものです。苛まされる思いに駆られます。
「あのとき」「勇気を出していれば」など
色々です。
世の中の人々、すべて勇気がある訳ではなく、因果という「原因があって結果」が伴い、そこに意(心)が宿っていきます。
そんな色々な事象が世の中で常にあり、人は悔い改めようと、前進ではなく邁進されるのです。
本年も年の瀬となり、いよいよ新年を迎えます。
「正月」の意味をご存知かもしれませんが、記載します。
全国の寺院では「修正会」という法要を必ずといっていいほど、行います。
正月は本来「修正月」でもあるのです。昨年の行いを悔い改め、反省をし、新年である月より、互いに悪かったところを言い合い、良き一年を迎えれるよう、過ごせるよう自身に約束をするものでもあるのです。
今、hasunohaを通じ、懺悔される思いが来年には勇気の力と変えてくれるでしょう。
過ぎた過去は取り戻せないものです。しかし、色々と調べられて出来る限りの知恵を絞り行動に移されたのです。
まだ、気になるようでしたら「合掌」を。おそらく心の中で、様々な対話ができることと思います。
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。過去は変えられませんが、未来は変わるかもしれないですね。
来年はもうちょっとよくなればいいのですが、とりあえず頑張ろうと思います。